ワールドエンド・フラワーブーケ
今日、地球は滅ぶらしい。なんでも、恐竜を滅ぼしたものの数十倍規模という隕石が衝突するのだそうだ。
ここに至るまで、きっと色んなことがあったのだろう。きっと色んな試行錯誤があって、けれど結実には間に合わずに、人類は滅ぶことになったのだ。
いや、まあ、厳密にはほんの一握りの人間が宇宙に逃げ延びているのだけれど、多分それもロクな結末を迎えないと思う。どんなパニック映画でも、閉鎖社会はカルト化するのがお決まりだ。
だからやはり、今日この日に人類という種は滅ぶのだ。
預金を下ろして人生最後の豪遊を……みたいな話は既に頓挫している。そういうのが横行していたのはだいぶ前のことで、結果として貨幣価値はあっという間に壊れてしまった。一足早い世界の終わりだ。
そこからほとんどの地域が無政府状態になった。
暴行、強盗、姦淫、殺人、エトセトラ。いまにして思えば、外に出た途端、悲鳴と怒号と破壊音が出迎えてくれるあの時期は、あれで少し楽しかったのかもしれない。
いまは、とても穏やかだ。
まるで誰もが物言わぬ植物になったかのよう。あるいはもう、世界には私ひとりしか残っていないのではないだろうか。崩壊した都市には、静寂だけが満ちている。
安全靴を履いてきてよかった。
砕けたアスファルトの上は、ビルから落ちてきたとおぼしきガラスの破片で埋め尽くされている。ぎちぐちと雪を踏み固めるような感触と共にしばし歩くと、ペイントボールを思い切り投げつけたみたいな赤を視界の端で捉えた。よく見ればその上には虫にたかられているいくつかの肉片が見える。
悲しむべき、哀れむべきではあるはずだ。
けれどそれらはとっくに麻痺してしまっていて、それを義務的に表明したところで、そうあるべしと定めた社会が頷いてくれることはないだろう。
ただ、まあ。
今日は最後の一日で、明日を気にする必要は、もうないのだから。
私はここまで愛用してきたキャップ帽を外し、血だまりの中心辺りをめがけて放った。帽子は二周ぶん回転しながら地面に落ちて、生乾きだった血をじんわりとつばに染み込ませる。
……ついでだ。
リュックからワインボトルを取り出し、一口、二口と呷って、残りを血だまりの端に置いた。
これだけサービスしたのだから、せいぜい安らかに眠ってほしい。
私は再び歩き出した。
どこかを目指しているわけではない。強いて言えば、物資を漁るために使っていたルートから外れ、見たことのない場所に至ることを目指していた。
だが、最近では物資もほとんどなくなっていて、ルートは二日三日も歩き通すようなものばかりだった。一応、ルートの間隙を縫うように進んでこそいるが、見たことがなくとも既に見慣れている景色が続いているだけだ。
……まあ、こんなものか。
見上げた空はどこまでも澄んだ青空だ。
これから世界が滅ぶなんて嘘みたい。
あるいはだからこそ嘘みたいに世界は滅ぶのか。
けれど、ふと。
ふわり、と。
青空のはるか彼方から、何かカラフルなものが落ちてきた。風に流されながら、けれどぴったりに私の手元に落ちてきたそれは、色とりどり抱えるほどの花を詰め込んだ、大輪の花束だった。
言うまでもないけど。
こんなことをする余裕のある人間は、もうこの世界のどこにもいない、はずだった。
花束の中央部を彩るオレンジ色のバラの山に、小さなメッセージカードが添えられている。困惑と共に、そこに記されている装飾文字を読み取った。
次の瞬間、世界が咲いた。
崩れかけのビルも、ひび割れたアスファルトも、私も、すべてを飲み込んで、ポピーやらコスモスやらが、辺り一面に萌えそよぐ。
今度こそ、完全に理解の範疇を超越し、呆然とその場に立ち尽くす。無数の花びらを孕んだ柔らかい風が吹き抜けたかと思えば、今度は雲もないのに雨が降ってきた。雨……黄金色の雨だ。花の甘みの中に、焼けるような、泡立つような高揚が醸し出されていく。
手についた雨粒を舐める。
ああ。これは、と、三度、頭を持ち上げて。
そして光が次に降る。
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