第94話 橋を取れ

 ファン・フリートは予想とは違う状況に直面している。

「接敵が予想より早すぎるじゃないか」

 彼は盆地の入り口になっている隘路で交戦できると考えていた。


 だが彼は川を越えて入り口に到達するどころか、川すら越えていない。

橋を抑えたベルトレ隊がファン・フリートの行く手を遮っている。

予定が狂ったことに苛立ちを覚えたが、そんな感情はすぐに霧散した。


 ベルトレは川を背にしていて、後退が困難になっている。

橋があるとはいえ、軍勢が通るには狭く、速やかな後退は望めない。

しかし橋があるだけで、退路の存在を示しており、背水の陣にはならない。


 今、ベルトレは中途半端な状況に置かれている。

遭遇戦なら、機を制してベルトレを押し込んでしまえば、下がって勢いを逃がすことも、背水の陣で死力を尽くす事もできない。


 この勝負、勝った。

ファン・フリートは確信し、全軍に突撃を命じた。

統制の取れた集団が、喚声を上げて勢いよく敵陣へ向かう。


 しかし、敵の数はそれほど多いわけではない。

数を絞って、機動力を高めたのだろうか。


 敵の狙いが川を越えるのではなく、橋を抑えるならどうなる。

目前の敵と同数の戦力をもう一つの橋に差し向けている可能性は十分に考えうる。


 だがもう一方に兵を差し向けると、目前の戦場が危うくなる。

二つの敵を同時に狙うのは愚策だ。

目前の敵軍を撃破、もしくは大幅に弱体化させ、接近するかもしれないもう一方の敵に備えるのが最適解だろう。


 ファン・フリートを悩ませるものはもうない。

別働隊の警戒をしつつ、目前の敵を撃破することに集中を向けた。


******


 ベルトレは迫る敵を見て血潮が沸き立つ感覚を覚えた。

背後が川だからといって、今更、一本しかない橋を渡って後退は困難だ。

そんな不利な状況で遭遇戦になったことで、自分の能力を試されている。

ベルトレはそのように思った。


「我らに下がる場所はない! 前にこそ活路はあるぞ!」

 ベルトレは大剣を敵の方角へ向けて、高らかに叫んだ。

彼の激は、万雷の歓呼をもって応えられた。

彼に従い、死線を何度もくぐってきた歴戦の兵士たちは、ベルトレのことを信じてる。

常に最前線に立ち、そして敗北しないからこそ、得られた信用である。


 大剣を担いだベルトレが兵士の前に立ち、ファン・フリート隊の攻撃を真っ先に受け止めた。

「お前らごときに、俺の相手が務まるものかぁ!」

 ベルトレが大剣を一振りする。

一合で敵兵の剣をへし折り、二合で兵士を袈裟斬りにした。

「次は誰だ!」


 ベルトレが一瞬にして戦場の空気を支配した。

圧倒的な武勇の前に有象無象はその引き立て役に成り果てる。


 先に動いて機を制するはずだったファン・フリートの計算を狂わせはしたが、兵力と地理的に劣勢なのは変わらない。

ベルトレの武勇を高い士気で戦線を維持しているが、ジリジリと前線を押し上げられていく。

だが、ファン・フリート隊に出血を強いているということもまた事実だ。


 そんな戦況の報告を逐次、もう一つの橋で待機しているバゼーヌのもとへもたらされていた。

「さて、どうしたものかね」

 バゼーヌに与えられた命令は橋を抑えること。

ベルトレを救援するために橋を離れてしまうと命令を無視したことになる。


 だからといってここにとどまっていると、ベルトレが敗走して橋を一つ失うかもしれない。

難しい判断を迫られて、バゼーヌは胃がキリキリと痛むのを感じた。


 そんな彼に、さらなる報告がもたらされた。

「敵の主力が進軍を開始したというのか。それで、どっちの橋に向かっているんだ?」

「まだなんとも言えません」

 偵察兵ははっきりと答えた。

まだ進路をどうにでもできる位置にいる。


 もしもベルトレのいる方角へ向かうと、彼の敗北は必至だ。

橋を取るという命令は遂行できない。

救援に向かえば、主力に今いる橋を奪取される。

ならばできることは限られる。


「敵主力部隊を攻撃する。敵の位置把握のため、偵察兵を増やして、確実に接敵できるようにしろ! こちらの動きと、敵が動いたことは、本陣にも知らせるんだ」

 そう命令を下した彼の手は震えている。

圧倒的な大軍に攻撃を仕掛けるなんて、自分らしくない。

ベルトレの性格が移ったのだろうか。


 しかし攻撃的な行動を取るしかない。

主力を拘束すれば、橋を離れても奪取されることはない。

敵の主力が動いたなら、味方も行動を起こすだろう。

主力がベルトレ救援に動けば、彼の持ち場は守られ、敵の先鋒も撃破できる。

それまでの間、敵主力を拘束して、主力同士の決戦を優位に運ぶ準備をするのがバゼーヌの役目だ。


 クロヴィスなら理解して動けるはず。

バゼーヌは上司の能力を信じ、行軍を開始した。

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