第92話 崩れゆく目論見
エブロネスまで奇襲作戦を行ったクロヴィスは、帝都へ凱旋を果たした。
彼を宮殿で出迎えたシュヴァリエは、鋭い眼光を送った。
「バゼーヌ将軍から話は聞いています。軍のトップがすることではありません。その身の重さを自覚してください」
静かに語ったが、その言葉には力強さがあった。
「すまない。以後このようなことはやめておくよ」
クロヴィスは言い返すことができず、謝ることしかできなかった。
「閣下が無茶をしている間に、兵の招集を完了しました。すでに帝都の外に待機させています」
「では早速閲兵しよう」
宮殿を出て帝都の外壁に登った。
高い壁の上から、帝都の外に広がる平原を見下ろす。
そしてクロヴィスに歓呼の声が浴びせられた。
彼の視界を武装した兵士で満たしている。
これほどまでの大軍を、彼は指揮したことがない。
「いかがですか?」
クロヴィスの横に立ったシュヴァリエが、そっと話しかけた。
「これだけの戦力を、短期間でよく集めたな」
「ロンサール公の統治時代に把握していた戸籍を利用したので、これだけ集まりました。滅亡時に戸籍が散逸していなかったおかげです」
だがクロヴィスの胸中に不安がよぎった。
二人は外壁を降りて、帝都警備隊の指揮所へ赴いた。
エティエンヌのクロヴィスの屋敷は焼けているため、シュヴァリエの手配で代わりにここを作戦本部としている。
指揮書の会議室に入って椅子に腰掛けると、クロヴィスは不安を吐露した。
「補給が不安だ」
「それですが、南部の食料は敵の侵攻までに集められるだけ集めておいたので、二週間は保ちます」
「それ以上はどうなるかわからないということだな」
シュヴァリエは黙って頷いた。
「2週間より先のことなんて、考える必要はないかと思われます。敵は南部で食料調達できず、本土からの補給と手持ちのものだけで凌がないといけませんから」
「補給にしたって、数日前に阻止した。ということは、三日から五日で限界を迎えるんじゃないかな」
物資をエブロネスに貯めていれば、すぐに補給部隊を編成して食料を届けられるだろう。
しかし今回の動きは、明らかに急である。
軍隊を総動員しただけで、食料は集められていないだろう。
次の戦いに短期決戦で勝利して、ここにある食料を奪うしか、ベアトリクスに手はないはず。
「ではエティエンヌで守りを固めれば大丈夫だな」
「その通りですね。皇帝は手紙を寄越していますが、無視してもよろしいでしょう」
クロヴィスはテーブルに手紙を置いた。
封蝋は切られていない。
「なぜ陛下からの手紙を無視するというんだ」
「何一つ影響がないからです。皇帝が戦場に出て何ができるというのです? 軍権は閣下が握っておられるのですよ」
「陛下をないがしろにするな!」
シュヴァリエを睨んでから、手紙の封を切った。
クロヴィスは手紙を一読し、それをテーブルに戻して一息ついた。
「なんと書かれていたのですか?」
「陛下は敵の撃滅を命じられた」
「なんと無茶な……」
シュヴァリエの言うように無茶だ。
「皇帝は国家がどうなるかなんて考えず、閣下の没落のみを望んでいるのは明白です。こんな命令は無視しましょう。皇帝がなんと言おうと、閣下の意思を通すだけの力はあるのですから」
「だからといって、陛下の望みを無下にすることはできない」
「いったいどこに陣取るというのですか? 要害といえる場所は、川くらいしかありませんよ」
ベアトリクスの軍はかなり北上している。
野戦を決意するには今しかない。
「川で迎え撃つ。帝都にいる全軍に出撃を準備させてくれ」
「……御意」
シュヴァリエは不本意そうに返事をした。
******
ベアトリクスは焦っている。
数日前、クロヴィスが主力を率いて帝都から出撃したという情報は、彼女の耳にも入っている。
それは数で勝るベアトリクスにとって朗報であるはず。
朗報で喜ぶ余裕がないほど、食料事情は悲惨であった。
「一週間以内に決定的な勝利ができなければ、退却するしかありません」
ボックは表情を変えず、ベアトリクスに状況を報告したが、内心では彼女同様かなり焦っている。
あまりにも準備が足りなすぎた。
内乱という好機を利用した形だが、彼女は今回の遠征で大陸の趨勢を完全に決めようと意気込みすぎたのだ。
西部諸侯救援だけを目的にした方がよいと、彼女に進言すべきだった。
だがもうどうにもならない。
ボックは報告の返事を待って頭を垂れるだけしかできない。
「ファン・フリートを先行させて、要所を押さえてもらう。野戦を確実に優位に運べる手筈をする。これしかない」
破綻した補給のことばかり考えていても仕方がない。
彼女はファン・フリートを呼び出し、二万人の兵力と、敵を捕捉したとき、要所を占領することを命じた。
ファン・フリートも自軍の状況をわかっている。
しくじれば全軍の崩壊に直結するかもしれない。
彼はボックやベアトリクスと違い、焦りが顔に出ていた。
今度こそ進言をしなくてはいけない。
ボックは決意して彼女に口を差し挟んだ。
「陛下、彼はこの危険な事態で日頃の平静を欠いています。ここは熟練の指揮官であるクライフ将軍が適任と思われます」
彼女は突然の進言に驚きを見せたが、すぐに表情を戻した。
「彼はエブロネスの戦いでも先鋒の努めを十分に果たし、ロンサール公との戦いで重要な働きをしているんだよ。彼は適任でしょう」
「ですが……」
「ボック将軍」
二人の間にファン・フリートが割って入った。
「私は焦ってなどおりません。陛下、任せてください」
「よく言った! 君を信じよう」
「御意」
スラリとした長身を翻し、若き将軍は本陣を後にした。
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