第81話 ひとつの終わり

丘の上で勝利を叫ぶ血まみれのウスターシュに、ブノワが慌てて駆け寄った。

「どうした?」

「本土を失いました。帰るところがありません」

 ブノワは顔を蒼くしている。


「本拠地に姉君が兵を率いて来られたそうで、そのときに先代様を害した犯人が誰であるか、証拠とともに突きつけ、降伏を迫ったそうです。降伏した本拠地の人が、姉君の命で各地の城へ一斉に赴き、降伏を説得したとのことで」

「いくらなんでも、それでも早すぎる! それにエレオノールは何をしている! 逆賊に力を貸すとは……」

 そう口に出してから、自分の人望の無さを痛感した。


誰もウスターシュの権威を認めていない。

実の姉すら味方にならない。

そのことを彼は思い知らされた。


「それともう一つ報告が。ラグランジュ軍がすぐそこまで迫っています」

「本土は姉上だけで事足りるから、こっちに来たということか。ここで迎え撃つ。地形の優位を活かせば、そこに勝機はある」

そんなものはないことは、ウスターシュもブノワもわかっている。


これから迎撃を行うため、敗残兵の東部諸侯を回収する余裕はない。

それに先程の苛烈な突撃により、多くの兵士を失い、全軍が疲弊している。

退却するにしても、ここは東部諸侯の本土。

国境にいる直臣の軍以外は信用できない。

疲弊した軍隊で、ラグランジュ軍の追撃を振り切って、そこまで逃げられるとは思えない。


 ウスターシュは全軍に向かって叫んだ。

「もう一度我らの手で奇跡を起こすんだ!」

 そう言って彼は剣を天に掲げた。


 しかし誰も丘を上がる前のような熱量で応えてくれない。

冷めきった空気が丘陵を包む。


ウスターシュ軍は、剣や旗竿を杖代わりにせざるを得ないほどに疲弊している。

そんな彼らに戦う力も、ウスターシュの呼びかけに応える気力もない。


ボロボロの軍隊が布陣する丘の麓に、リュカ率いるラグランジュ軍が到着した。

「敵に戦う力は残っていませんね。旗竿すらまっすぐ立てられていません。風が吹けば彼らの敗北は必至でしょう」

 ボワイエ軍の布陣を見て、状況をすぐに看破した。


「では私に先鋒を任せてください。その程度の相手なら問題ないでしょう?」

 エレオノールがリュカに詰め寄った。


 彼女は実家の城に赴いただけで、他のボワイエ家本土の城を「攻略」した。

そのため、すぐにリュカの本軍と合流することができた。


「どんな戦いでも人は死ぬんですよ」

 詰め寄るエレオノールを冷静に牽制する。

「ここで私に先鋒を任せないで、弟に愚行のツケを払わせる機会はどこにあるんですか?」

「分かりました」


 エレオノールはボワイエ領に行く際に預けられた二千人を率い、自らの足で丘を駆け上がっていく。

ウスターシュは東部諸侯の軍と、先程の戦闘で残りの半数の兵士を失っている。

数的優位はもうない。

自分が先頭に立ってこの戦いを終わらせないといけない。

使命感が彼女を前に突き動かした。


 エレオノール率いる先鋒が接触した瞬間から、ボワイエ軍が綻んでいく。

疲弊しているだけではない。

主君の姉が陣頭に立って攻撃してきているという事実が、抵抗する力を一気に奪った。

ボワイエ軍の兵士は武器を捨てて、散り散りになって敗走を開始した。


「何をしている! 戦え、戦うんだ!」

 ウスターシュの檄を聞くものは誰もいない。

「もうここまでです。国境まで逃げないと、ここで死ぬかもしれないのですよ」

「まだ終わってたまるか!」

 ブノワの言葉を打ち消すように、檄を飛ばし続ける。


 そんな彼を見たブノワは決意を決めた。

「私は南方の国境に行って参ります。誰かが残された軍をまとめないといけませんから」

「好きにしろ」

「今までありがとうございました」


 敗北を前提として話すブノワを、ウスターシュは咎めない。

彼ももうわかっているからだ。


 ブノワが彼のもとを去ってすぐ、本陣にエレオノールが飛び込んできた。

「姉上自ら来るとは思いませんでしたよ」

 ウスターシュは剣を捨てて、彼女と相対した。


「父上の仇!」

 ウスターシュの言葉を無視し、エレオノールは彼を袈裟斬りにした。


 ウスターシュは何も言わず地面に倒れた。

「なんで……戦ってたんだろう……」

 彼から将兵の喚声や、戦場を照らす夕日が遠ざかっていく。


 戦場の露と化したウスターシュを見届けて、エレオノールは戦場を見渡した。

「ウスターシュは死んだ! 戦いは終わりだ!」


 エレオノールの叫びに呼応するように、喚声が鳴り止んだ。

大将が死んだ以上、ボワイエ軍に戦う理由はない。

彼らは武器を捨て、降伏を申し出た。


クロヴィスの失脚を目論んだ動乱は終結した。

しかし北上するベアトリクスとの戦いはまだ終わっていない。

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