第50話 南方の覇者リーベック帝国

 左翼の総崩れにファン・デル・ホルスト辺境伯は狼狽した。

「中央の兵力を本陣の防衛に回せ! 早く!」


 一方戦況が動いてもベアトリクスは動じない。

「どうやら作戦通りにいったみたいだね。じゃあ頼むね」

「御意」

 フェナが笑みを浮かべて席を外した。


それから大して時間も経たないうちに、戦うわけでもなく、騎馬で前線を駆ける兵士が現れた。

「本陣が戦闘に突入しているぞ!」

「辺境伯はもう戦場から逃げたぞ!」

 騎兵が大きな声で喧伝している。

実際には左翼が崩れただけで、本陣は戦闘に突入していない。


「もうだめだ!」

 正規軍の兵士たちが我先に逃げ出していく。

士気の低い彼らは、逆境に立たされると圧倒的に弱い。


「脆弱性を中央に配したのが敗因ね」

 勝利を確信したベアトリクスがつぶやく。

総崩れした中央に向かって突撃を命じる。

この命令を出してしまえば、彼女のするべきことはもう終わり。


「どうした、なぜ逃げる!」

 ファン・デル・ホルストには状況が理解できない。

まだ負けたわけではない。

中央の兵力を一部引き抜き、崩れた左翼と合わせれば、オリヴィエの攻勢は凌ぎきれるはず。

なのに中央の正規軍は雪崩を打って逃げ出している。

統制も何もない。


「忌々しい小娘が!」

 彼は床几を蹴飛ばした。

一息つくと、幕僚を睨みつけた。

眉間に深い渓谷を作り、唇を噛んで両端から血が流れ出しているものすごい形相が、顔面蒼白な幕僚の顔を捉えた。

「撤退だ! さっさとしろ!」

 鬼の形相に気圧されて、本陣はかろうじて秩序を保ち後退した。


 整然と撤退した本軍を見て、オリヴィエは迷った。

本軍を追撃すべきか、取り残された敵右翼の退路を遮断するか。

「ここは敵の大将を討ち取って、大手柄を立てましょうや」

 エタン・ブールの「大手柄」という言葉が、功名心をざわつかせた。


「本軍を追撃しても、アーデルヘイト城に逃げられるだけです。敵右翼を攻撃しましょう」

 ファロの言葉がオリヴィエに冷静さを取り戻させた。

「ああ、そうだな。本軍を無視して、右翼を攻撃だ」

「あいよ!」

 エタンが真っ先に駆け出した。

「調子に乗りすぎるなよ」

 オリヴィエの注意もよそに、喚声沸き立つ戦場へと飛び込んでいった。


「何も無理をせずとも、必ず出世します」

「クロエ、何か根拠はあるのか?」

「ありません。私なりの人物鑑定です」

「おもしろいことを言うなあ」

 オリヴィエは槍の柄で自身の肩をトンと叩いた。

「功名以外にも戦う理由はあるのでは?」


「陛下の命を狙ったのに、私に目をかけてくださる。その恩に報いるために、陛下の望む世界実現の尖兵となる」

「功名は二の次が理想ということですか。ですが陛下が信任しているので、自ずと結果はついてきます」

 オリヴィエは思わずファロの顔を見た。

「なんだ、根拠はあるじゃないか」

「根拠の半分を自分で言ってくれたので」

「まんまと乗せられたわけだ」

 

******


 取り残されたファン・デル・ホルスト軍右翼は壊滅し、正規軍は霧散した。

残されたボロボロの戦力では勝てないと判断し、アーデルヘイト城を放棄して退却していった。


 がら空きのアーデルヘイト城に入城したリーベック軍は、休息と次の行動に備えていた。

「さて、本土への侵攻ルートは開かれたけど、この先はどう動くべきか」

「敵はまだ戦力を残しています。うかつな動きはできませね」

 フェナの言うように、ファン・デル・ホルスト辺境伯の戦力は四万人ほどいる。

リーベック軍より少ないとはいえ、まとまった戦力であるため油断ならない。


「確実に叩くなら、敵を釣りだしてしまえばいいでしょう。敵将も勝利に飢えているはずですし、策に乗る公算は十分あると思います」

「ファン・フリート将軍の意見に賛成です」

「フェナも賛成していることだし、その方向で。戦力を三つに分けて敵の本拠地を目指す。これなら出てこざるを得ないでしょう」


「それではリスクが高くないかね?」

 ボックが不安そうな顔でベアトリクスを見る。

「彼我の戦力差を見るに、奇襲さえ許さなければ、すぐに負けることはないよ。将軍の質なら敵よりも勝っているんだから」

「そこまで言われちゃ、将軍の質とやらを見せてやらんとな」

 プライドを刺激され、不安そうな顔だったのが不敵な笑みへと変貌した。


「次の戦いで南方の戦争に決着をつけよう。勝利ののちに、民衆に我らの理想を示そう!」

「勝利! 勝利! 勝利!」

 城内に勝利の唱和が響き渡る。

リーベック軍の士気は最高潮に達した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る