第34話 疲弊行軍

 ベアトリクスは主力を率い、領内を急行している。

しかしその方角にファン・デル・ホルスト軍はいない。

「いったいどこに向かっているのですか?」

「ファン・デル・ホルスト領だよ」

 ファン・フリートの質問に、眉一つ動かすことなく答えた。

「敵の本土を強襲するつもりで! それには外征の準備はありませんよ!」


 やり取りを聞いていたフェナは、得心した表情を示した。

「敵を誘導しようとしているのですね」

「そういうこと。敵は本土に大軍が向かっていることを知れば、必ず引き返して、こちらに来る」

「どこに誘導するおつもりで?」

 ベアトリクスは指差した。

「この先にある森だよ」

ファン・デル・ホルストとデ・ローイ家の境界にある森だ。


「ボック!」

「はい!」

 大きな声で名前を呼ばれ、ボックは急いで馬を彼女の傍らに走らせた。

「すぐにあの森に麾下の兵を連れて行って、街道に陣地を構築してくれる?」

「かしこまりました」

 ボック指揮下の部隊は、主力の隊列から離れ、森へと消えた。


 ここまでの会話をベアトリクスの隣で聞いていたオリヴィエに、彼女は話を急に振った。

「作戦の意図はわかる?」

「敵を長駆させ、こちらが設定した有利な戦場へと引きずり込むのが狙いですか?」

 質問に対して即答で返した。

ベアトリクスもこれには表情を動かした。

「わかってるじゃない」

 彼女は満足げに言った。


スロース城を包囲しているファン・デル・ホルスト軍本陣にも、ベアトリクスの行軍が伝わっていた。

「これは明らかに我が領土を荒らそうとする魂胆だ。すぐに軍を返し、小賢しいあの娘を叩き潰してやる!」

ファン・デル・ホルスト家当主ノルベルト辺境伯は感情を抑えきれず、立ち上がって抜刀し、床几を斬り捨てた。

そうするやいなや、馬に跨った。

「ここには最低限の兵だけ残し、全軍で小娘の軍を追う!」


 幕僚の間に、不安視する声が次々に上がる。

デ・ローイ軍と戦争する前は、湿地帯を越えてロンサール公へ奇襲を仕掛けた。

しかし戦況は膠着し、無為な出兵にならないようにと、ロンサール公と講和して、デ・ローイ辺境伯に攻め込んだ。


 彼は軍を動かし過ぎている。

それに最低限といえど、兵をここで割いてしまえば、戦場でデ・ローイ軍と会しても、数で負けてしまう。

そのことを幕僚は指摘したが、麾下の南方八旗の一家を動かせばいいと言って、全く聞く耳を持たず、ベアトリクス追撃を開始した。


 彼は数日で、行軍中にベアトリクスが攻め込んできたという情報のあった、ファン・デル・ホルスト家領内の町へ入城した。

「デ・ローイ軍はどこにいる?」

町長を呼びつけて質問をぶつけた。

「ここに攻め込んできましたが、何もせず、すぐにここから北の方角へ進軍しました」

「北だと?」


彼はベアトリクスの意図が読めなかった。

どこを目指して攻めているのか皆目検討もつかない。

彼ができることは、情報通りに北へ追撃することだけだ。


 彼は軍を北上させ、デ・ローイ軍が出没した町で、先程と同じように質問した。

「西の方へ行きました」

 西はデ・ローイ領内だ。

敵の意図が全く読めず、苛立ちが募り始めた。


「あのアマ! 必ず、必ず縊り殺してやる!」

 貴族とは思えない下卑た口調で、ベアトリクスへの恨みを発露した。


 軍を急いで再びデ・ローイ領内へと走らせた。

向かう先には森がある。

そこを抜ける街道を、怒りに任せて突き進む。


「捉えたぞ、デ・ローイ!」

森の中でデ・ローイ軍の陣地を捕捉した彼は、突撃を命じた。

陣地の規模はそれほど大きくない。

所詮は急造。

麾下の南方八旗の家とは合流していないが、敵陣を突破して戦場の主導権を握ってしまえば勝機は見える。

ファン・デル・ホルスト辺境伯の頭には、勝利のビジョンが浮かんでいた。


 それをぶち壊すように、軍の側面から矢嵐が吹き荒れる。

「罠か!」

 彼が退路を確保するより先に、伏兵が退路を遮断した。


 進退窮まったが、ファン・デル・ホルスト伯の命令は変わらなかった。

「臆するな! 目の前の陣地を突破して退却だ!」

突撃命令を覆すことなく、両軍は陣地で衝突した。


「敵将はいい判断をしましたね」

 状況を見ているフェナがベアトリクスに言った。

「そうだね。疲弊していない軍隊だったらね」


 ファン・デル・ホルスト軍は突撃して陣地を食い破ろうとするが、ここまでの行軍で疲弊し、突破力を欠いている。

突破をもたついている間に、ベアトリクスは敵軍を締め上げていく。


 ファン・デル・ホルスト辺境伯本人も剣をとり、陣地へ飛び込んだ。

彼は必死の戦いを繰り広げ、戦場からの脱出に成功した。


しかし多くの兵にとってはそうではない。

大勢が脱出に失敗し、脱出しても散り散りになって、大将のところへたどり着くことができなかった兵が続出した。

ベアトリクスは敗残兵狩りをしつつ、スロース城へと帰還した。

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