第35話 危険な誘い
「川を挟んで両軍は睨み合っています。そこで主力は敵を小競り合いで拘束しつつ、別働隊が別の渡河ポイントから川を渡り、敵の本拠に進撃します」
机に広げられた地図を用いて、クロヴィスが作戦を説明している。
諸将は机を囲み、説明を聞いている。
「ですが狙いは本拠地ではない。そうなのでしょう?」
長い銀髪の女性が、髪をかきあげながら言った。
不敵な笑みを浮かべ、黒い瞳でクロヴィスを見つめる。
「すみません。娘が出過ぎた真似を」
女性同様に銀髪で、初老の軍人が彼女を制止してクロヴィスに謝罪した。
銀髪の男はボワイエ侯ウジューヌで、女性の方の名前をクロヴィスは知らない。
もともと日の当たらない場所にいた彼が、皇帝に后を送り込むような上流階級の娘の名前まで、
いちいち覚えているはずがない。
娘はともかく、父親の方は慇懃な人物だと、クロヴィスは思った。
爵位が上の人物が下のクロヴィスにこのような態度を取っているのは、クロヴィスには奇異に映った。
「いえいえ、そちらの女性のおっしゃるとおり、本拠地が本命ではありません。本拠地が攻められて、背を向けて撤退したところを本隊、別働隊で挟撃するのが今回の作戦です」
女性はほらねと言わんばかりにウジューヌの顔を見た。
ウジューヌは額に手を当ててため息をついた。
「私の名前はエレオノール。上流階級に身を置いているから、名前は知っているかと思ったのですがね」
エレオノールはアイロニーな表情を浮かべている。
「ふん、娘が軍議に出るとは、ボワイエ侯も末期ですな」
他の同格の貴族が嘲り笑う。
「武功を立てにここに来たの。嘲るのは戦いが終わってからでいいかな?」
挑発的な物言いに、その貴族は激怒し席を立とうとしたが、その前に総大将ジェロームが解散を宣言した。
諸将が自分の陣地に帰っていく中、クロヴィスはジェロームに呼び止められた。
「皇子、どうかなさいましたか?」
クロヴィスは跪いてジェロームの発言を促した。
「ラグランジュ伯、どうか私の味方となって欲しい」
クロヴィスはその言葉の意味を測りかねた。
「どういうことでございますか?」
「逆賊ロンサール公を討つ同志となって欲しい」
シュヴァリエが言っていたことはこのことかとクロヴィスは察した。
同時にこの誘いへの返答はどうすべきかという思考が頭をグルグルする。
「これは私だけの問題ではない。ラグランジュ伯にも関わってくる」
「と言いますと」
「ロンサール公は伯爵を危険視している。おそらく排除の大義名分を探しているだろう」
「何をおっしゃいますか。私はロンサール公への叛意などありませんよ」
ジェロームは机を叩き、感情を顕にした。
「ラグランジュ伯はわかっていない! 急速に勢力を伸ばし、北部で最大の規模を誇るようになった。しかも戦上手。そんな人物を利己的で猜疑心の強いあの男が、貴殿を放置するものか!」
クロヴィスにも思い当たるフシはある。
スエビ川の戦い前に、何人かの貴族を叱責したこと。
戦いは他の貴族の軍を犠牲にするような作戦だったこと。
そもそもデ・ローイ家討伐も、自身の野心や、その勢力の大きさを危険視したことに起因するのではないか。
ジェロームの言っていることには説得力がある。
だからといって軽々しく彼の誘いには乗れない。
緊張感がクロヴィスの額に汗をにじませる。
「一度話を持ち帰らせていただきます。無論他家に他言はいたしません。結論は戦いの後にでも」
クロヴィスはジェロームの制止を振り切って、半ば強引に自陣に帰還した。
リュカたち幕僚を集めて、先程の件を話した。
シュヴァリエ以外は事の重大さにおののいた。
「これは流石に危険では。ロンサール公と事を構えるには力さがありすぎます」
バゼーヌがそう言ったそばから、シュヴァリエが反対の意見を開陳した。
「なぜ拒む必要がありましょうか。皇子という大義名分を掲げ、堂々とロンサール公と戦えるのです」
「いや、戦力差があまりにもありすぎですよ」
バゼーヌは冷静にシュヴァリエの強硬論に反対するが、シュヴァリエはニヤリと笑う。
「戦力差がある? そんなものは小さいものです。最近の横暴な行為が、裏切り者を出すでしょう」
「ただし大きな勝利を挙げる必要がある。そうですね?」
リュカのただし書きにシュヴァリエは頷いた。
クロヴィスはどうすれば優位な状況を作れるか、無意識に思案してしまった。
まだ戦うと決まったわけでもないのに。
自分が権力を望んでいるのか。
その可能性にクロヴィスは自分を恐れた。
しかし無意識の思考で勝機を見出してしまった。
奇襲によって主導権を握り、優位な状況を作って、焦った敵を防衛戦で叩く。
ベアトリクスが用いた戦略だ。
勝つにはこれしかない。
「シュヴァリエの意見を尊重する。ただし結論を出すのはこの戦いが終わってからだ」
「正気ですか!」
バゼーヌはクロヴィスの答えに恐怖した。
強大な敵と真っ向から戦うことを恐れている。
そんな彼をベルトレは肩をポンと叩いた。
「強いシャンポリオン家と戦って勢力を拡大したんだ。伯爵様について行けば大丈夫。そうですよね?」
ベルトレはクロヴィスを見た。
「ああ、そうだな」
本当は彼も怖い。
だが弱気なところは見せられない。
弱いところを見せられるのは、リュカぐらいだろうか。
そう思っている彼には、ふと救世の教団討伐の折に、ベアトリクスとの木刀勝負で負けたことを思い出した。
違う、あれは弱いところを「見られた」んだ。
クロヴィスは苦い思い出を振り払った。
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