第32話 玉座は誰のもの
スエビ川の戦いに敗れたロンサール公はその後態勢を立て直し、エブロネスを失ったものの、さらなる反撃を食い止めた。
兵力ではまだロンサール公有利だが、士気の低下と疲弊の色はとても隠せるものではない。
陣中で年を越してから、帝国首都エティエンヌに凱旋した。
凱旋したロンサール公はブランシェ伯から、ある献策を受けて、それを実行した。
それから一ヶ月、事態は大きく動いていた。
「貪欲なファン・デル・ホルスト辺境伯は、予想通り戦線の膠着に耐えきれなかったようだな」
ロンサール公は宰相府の椅子でほくそ笑んだ。
ベアトリクスに領土の切り取り自由の約束で、ロンサール公に弓を引いた。
しかしロンサール公の対応は早く、戦線は膠着して土地の占領がままならないでいた。
スエビ川でロンサール公は敗れたが、他の戦線では膠着が続いていたため、しびれを切らしていたファン・デル・ホルスト辺境伯ノルベルトに、停戦とデ・ローイ家への奇襲を提案した。
すると彼は二つ返事でその提案に乗り、デ・ローイ家へ攻め込んでいる。
しかしロンサール公はそれに乗じることができないでいる。
「再度のデ・ローイ領への出兵は無理だろうか」
「厳しいでしょう。防衛軍を展開する現状が関の山です」
ブランシェ伯ははっきりと否定した。
彼は軍の疲弊と、スエビ川の敗北による求心力低下を気にしていた。
この状態で軍を動かす事はできないし、動かしても士気の低い軍隊では戦いにならない。
ロンサール公もそのことはわかってはいるが、デ・ローイ家に反撃させないためだけに、ノルベルトを動かしたのは、もったいないと思っている。
さらにもうひとつ懸案がある。
ロンサール公がスエビ川に出兵している間に、皇帝フランソワ三世が急病に倒れ、危篤に陥っている。
「この状況を利用しない手はないな」
「いったい何をお考えなのですか?」
ロンサール公はにやりと笑い、ブランシェ伯を見た。
「甥のドミニクを帝位につける」
ロンサール公が送り込んだ皇后が生んだ人物の名を出した。
「今の皇太子を排除するおつもりですか。現状でそれは危険です!」
求心力に陰りをみせた今、それを実行することの危険性を説いた。
「だからこそだよ。絶対的な権威によって安定をもたらす」
ロンサール公の目は遠くを見ている。
至高の座を手にして、栄誉を欲しいままにしている姿を想像しているのだろう。
「ですが、どうやって帝位につけるのです?」
「今すぐドミニクを次の皇帝になるという噂を流すんだ。もちろん皇太子殿下を陛下に会わせてはならない。病で陛下自ら動くのだから、殿下と接触さえしなければいいんだ」
「……わかりました。直ちに噂の流布に取り掛かります」
ブランシェ伯は気乗りしないものの、主命に従い、噂を出処のわからないように広めた。
******
デ・ローイ家の幕僚たちの間に、激震が走った。
ファン・デル・ホルスト辺境伯家の寝返り。
戦況を覆しかねないとんでもない出来事に違いない。
誰もがそう思った。
ただし、ベアトリクスを除いて。
「状況はかなり悪くなったんじゃない。ちょっと悪くなっただけだよ」
スエビ川の戦い後、奪取したエブロネスに移した本陣で、ベアトリクスは幕僚に豪語した。
「戦力は軒並みここに集めて、他の地域はがら空きですよ! このままでは滅亡してしまいます!」
ブラッケがベアトリクスに詰め寄る。
「まあ落ち着いて」
「落ち着いてられるか!」
険悪なムードが幕僚たちを包む。
「ロンサール公は攻められないのだから、主力を移動させて対応する。それだけのことだよ」
何を当たり前のことをと言いたげなふうに、ベアトリクスは一同を見た。
「なぜ攻められないと言えるのです?」
ブラッケは相変わらずベアトリクスに突っかかる。
「客観的に見て、ロンサール公とこちら、どちらが勝つと思う?」
当然ロンサール公だとブラッケは答えた。
「絶対勝てるはずの戦いで大敗して、しかもロンサール公に加勢した他の貴族の損害が一番大きい。前線にいたのは公爵に従ってた貴族の軍ばかりだったよね」
一同はうなずいた。
「その状況で、ロンサール公は攻撃に出られるはずがない。まず立て直しを優先することは見えてるよ」
「無礼をお許しください」
ブラッケがベアトリクスにひざまずいて謝罪した。
「どうということはないよ。では将軍、二万人を預けるから、ここを任せるね」
「かしこまりました」
「クライフにも二万人を預ける。スロース城に帰還して守りを固めて欲しい。残りの者は私についてきて」
「了解!」
先程のような険悪なムードはどこにもない。
みんなが勝利を確信し、自信に満ち溢れている。
彼女らは関所を出て、馬にまたがった。
「敵はすでに領内奥深くに侵攻している。勝手知ったる家での戦い、こちらが有利だよ!」
ベアトリクスの呼びかけに呼応するように、兵士たちが勝利と唱和して応えた。
士気は十分。
彼女は気を引き締めた。
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