第13話 狼狽
シャンポリオン公セドリックは、オレリア渓谷と呼ばれる地に差し掛かった。
「渓谷の先に敵がいるのだな」
事前の諜報により、クロヴィスらが布陣していることは把握している。
問題はどのようにして渓谷を抜けるということだ。
渓谷を見上げれば、谷底を進む者たちを葬ろうと窺っている敵の姿が見える。
枝葉に住まう虫を狙う鳥のように、獰猛な一撃を浴びせてくるだろう。
「まず崖に布陣している敵を攻撃しろ」
「崖に至る道はラグランジュ伯の陣地に近く、深入りする形になるため、攻撃は危険かと思われます」
壮年の幕僚ギュスターヴ・バゼーヌが毅然と反対意見を表明した。
数々の戦場を渡り歩いたことを証明するように、顔や腕の古傷が存在を主張している。
古傷がセドリックを罵倒する。
「お前は所詮何も知らない青二才だ」と。
実績を持たずに、名家の当主になった自覚が、ありもしない罵倒する声を増幅させる。
「それなら渓谷を通過して、崖から射掛けてくる弓を甘んじて受けろというのか! 汝の主君が命じたんだ。指示通りに作戦を実行しろ!」
「……御意」
セドリックの顔を一瞥すると、バゼーヌは彼の前から離れていった。
バゼーヌは配下の兵士を集めると、作戦内容を伝えた。
「将軍、自ら指揮を執るのですか?」
幕僚として帷幄に控えるバゼーヌが、作戦を自身で遂行することに兵士たちは戸惑いを覚えた。
「敵の指揮官の力量が気になるんだ。さっそく行動に入るぞ」
馬に跨って森の中を進みながらバゼーヌは思う。
こちらの動きを察知して迎撃部隊を派遣し、崖の上に陣取っている戦力を動かしてきたら、クロヴィス・ラグランジュという男はまぐれで勝ちを拾ったにすぎない。
迎撃に動いて崖の上をがら空きにしたら、それに気づいた本隊が安全に谷底を通過できる。
迎え撃つなら渓谷の先にいる部隊から抽出するのが賢明だ。
しかしそれがバレたら、こちらの本隊が渓谷を一気に抜けるチャンスが訪れる。
崖の上からの攻撃を無視して、迎撃部隊抽出で手薄になった主力を簡単に葬れるだろう。
狭い渓谷の出口でこちらを袋叩きにするつもりだろうが、突撃すれば兵力差で押し切るのは容易だ。
それを理解した上で命じたのか確認しようとしたが、目先のことに執着しているに過ぎないようだ。
バゼーヌはそう結論付けた。
******
敵の一隊がこちらに向かってるという情報は、クロヴィスらのもとにもたらされた。
「さてどうしたものか」
「ベルトレ将軍を動かすことだけはなりません」
「わかってる。ベルトレが崖を離れたら、それに気づいた敵が渓谷を無傷で通過してくる。下策は採らんよ」
リュカが安堵の表情を浮かべたと思うと、深刻な顔でクロヴィスを見つめた。
「自身で迎え撃つのもなりません」
「ベルトレとは一騎打ちをして、彼を配下にできたし、任務も達成できたじゃないか」
「指揮官自らが繰り出して、万が一死ぬようなことがあったらどうするんですか」
自分の立場の重さについて自覚しろと、リュカが言う。
「すまない。ではリュカ、頼まれてくれるか?」
「ええ、もちろん。必ず朗報をお届けしましょう」
「いや、違う。ベルトレに伝令を頼みたいんだ」
このようにクロヴィスが策動しているとは知らず、バゼ-ヌは森を進軍しながら索敵をしていた。
「こちらに向かう部隊が渓谷の向こうから?」
バゼーヌは気持ちを臨戦態勢にした。
敵は愚策を選ばなかったようだ。
彼は勝手に敵将クロヴィスを評価した。
「将軍! 敵に囲まれています!」
報告に思わず吐いた息が戻るような心地がした。
おかしい。
さっき敵が接近しているという報告が来たばかりじゃないか。
臨戦態勢に切り替えた気持ちが乱れる。
状況を理解できない。
いつの間に伏兵を仕込んだというんだ。
部隊もバゼーヌも混乱する中、奇襲部隊は容赦なく斬り込んでくる。
「どうしたどうした! 大貴族様の兵隊は弱兵ばかりなのか? ああ!?」
敵を怒鳴りながら、ベルトレが狭い森の道で器用に大剣を振り回す。
彼の行くところは自然と道ができ、威圧街道をベルトレが突っ切ってゆく。
「あんたが指揮官か」
バゼーヌの前には大剣を構えた、力の具現化が立っている。
「崖から降りてすっ飛んできたのに、この程度か。つまらんな」
その言葉がバゼーヌをさらに混乱させる。
「そう聞いてあんたは、崖はがら空きなのだから、本隊が渓谷を通過してると思うだろう? 残念ながらこれっぽっちも動いてないよ」
バゼーヌはようやく正気を取り戻した。
「崖ががら空きだと気づいて動かないわけがないだろ!」
「そうだな。気づいたら動くだろうよ。気づいたらな」
本隊は気づいていないはずがない。
「陣地は人がいるように見せかけているんだから、警戒して渓谷に突入なんてできないさ」
種明かしした以上、逃がすつもりはないだろう。
周囲もいつの間にか敵兵ばかり。
バゼーヌは槍を構えるも、ベルトレに速やかに払われた。
路傍に音を立てて転がる槍。
バゼーヌは観念した。
「降伏する」
彼は両手を上げてベルトレの前に膝をついた。
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