A病院の裏ルール

穂波子行

前編 表ルール




 私がはじめて金縛りにあったのは、中学生の時でした。



 定期試験の前夜、苦手な数学のことで頭をいっぱいにしていたら、かかったのです。

 夜中、身体が動かなくて。

 でも、目玉だけは動いて。

 誰かの気配が、すぐ傍にあって。

 きっとこれは夢なんだと言い聞かせて目を閉じて、気がつかないフリをしていると、ナニカに強く腕を掴まれました。

 飛び上がるほどの怖さとは裏腹に、その途端強い眠気に襲われて意識が飛んで……気がついたら、朝でした。


 その後も、人生の節目で一定のストレスを感じると金縛りにあいました。


 だから、知っているのです。

 金縛りは、ストレスが原因だということを。


 もちろん、実際に幽霊が原因である場合もないとは言いませんが……大体が、ストレスを取り除けば解決すると思います。


 眠い時に、アクビがでるのと同じように。

 気圧の変化で、耳がキーンとするのと同じように。


 金縛りは、ただの生理現象のひとつ。

 たまたま、見た目や感じ方が恐怖をそそるから、怪奇現象のひとつとして扱われるだけ。

 そんなふうに、思っていました。


 A病院で働くまでは。




***




「夜勤をした後、金縛りにあったら必ず報告してちょうだい」


 新人時代、オリエンテーションの最後に先輩が言いました。


「ここでは、そういう決まりだから」


 病院では、今でもゲン担ぎや迷信が信じられています。

 4という数字を頑なに嫌うことは、有名な話です。

 でも、金縛りを報告しろなんて初めて聞きました。


「分かったなら、返事」


 有無を言わさない先輩の圧力に負けて、私はただ「はい」と返します。

 変な忠告を不思議に思いましたが、その日の夜勤は特に問題なく終わりました。

 もちろん、金縛りにもあいませんでした。


 ですが働き出して数ヶ月が経った頃、異変が起きます。

 同期が次々と、まるで人が変わったように攻撃的になったのです。

 些細なことで驚くほど怒ったり、かと思えば泣いたり、喚いたり。

 情緒が非常に不安定になって、最終的に笑顔が消えました。

 元々、医療系の職場は職員の入れ替わりが激しいですし、A病院の環境もあまり良いとは言えなかったので、よくあることだと思って当時はあまり気にしていませんでした。

 同期のYさんが辞め、彼女に続くようにパタパタと何人か辞めましたが、私はそのまま勤め続けて三年の月日が経ちました。



 ある日、夜勤前に街をウロウロしていたら偶然、Yさんと再会しました。

 A病院で働いていた頃とは見違えるほど健康的になった彼女を見て、ホッとしながら喫茶店で談笑していた時のことです。

 

「……ねぇ、A病院の夜勤後に金縛りにあったら報告しろって決まり、アンタはちゃんと守っている?」

「うーん、私は夜勤の後に金縛りにあったことなんてないから……」


 聞かれたことに答えただけなのに、何故かYさんの表情が一瞬で恐ろしいモノに変わりました。


「どうしてっ!?」


 席を立って、何度も激しくテーブルを叩きます。


「えっ?」

「なんでっ! アンタはっ! 金縛りにあっていないの!?」

「な、なんでって……」

「アタシはあんなに辛かったのに! どうしてアンタは涼しいカオ……ッ!」


 突然の怒りに私が戸惑っていると、Yさんはハッとしたような表情に戻って椅子に戻りました。


「……ごめんなさい、別にアナタに怒っているワケじゃなくて。……アタシ、はじめての夜勤の後……金縛りにあったの。でも、別に大したことないと思って……先輩には報告しなかったのよ」

「そうなんだ……」

「そしたら……次の日から毎晩毎晩金縛りにあって……縛られている時間も長くなって……周りのも日を追うごとに増えていくし……とうとう起きている間も追いかけてきて……」

「……で、でも金縛りってホラ、ストレスが原因だからさ……」

「ストレスなんかじゃないっ! A病院の金縛りは、そんな単純なモノじゃない! 寝ている間も起きている間も、黒いモヤみたいなもので周りが覆われていって……もう、頭がおかしくなりそうだったんだから……!」


 私は涙ながらにそう語る彼女を見て、しかるべき病院を紹介した方がいいのかな?と考えました。冷たく思われるかもしれませんが、話の内容はいつか学校で聞いた、精神を病んでいる方の言葉によく似ていたからです。

 切りの良いところで話を終えて、私は彼女と別れました。

 もしも金縛りにあったら、必ず先輩に報告してね、アタシと同じにならないでね、という頼みに何度も頷きながら。


(……きっと、Yさんの考えすぎでしょ)


 内心、そんなことを考えながら家に帰りました。

 病院に勤めていると、細々とした恐怖体験がたくさん聞こえてきます。

 でも、その大半が気のせいなんです。

 たとえば、夜中に無人トイレから水の音がするという怪談。

 あれは、水道が詰まらないように時々自動的に水を流すシステムだそうです。

 電気が通ってない廃病院でその現象が起きたのなら、もしかしたら幽霊なのかもしれませんが……。

 病院という舞台はそれだけで、十分に怖いのです。

 その中で囁かれる怪談話を、私は信じていませんでした。


 ですが、三年前にYさんが変貌していく姿を近くで見ていたことと、さっきの剣幕。

 そんなことをぐるぐる考えていたら、ついに私にも訪れたのです。




 が。




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