不思議な子供

富升針清

第1話

 僕が小学生の頃の話で、アレが幽霊なのか、人なのか、はたまたそれ以外なのかは、僕は今尚知らない。

 僕が生まれ育った町は、大層田舎だった。民家よりも畑や田んぼの方が多くて広い。店なんて、小学生ではチャリで、しかも立ち漕ぎで15分かかる先にしかない。

 徒歩で30分以上はかかる、まるで天竺かのような遥か彼方な場所であった。

 そんな田舎に住んでいたと言うのに、父方の本家はそれ以上の田舎だった。

 夏休みの帰省で、テレビでは都会から田舎に帰省する子供達が自然に触れる様を流しているか、僕から見ては酷く日常的で目新しさなんて何処にもない。

 我が家も夏休み、父方の本家へ帰省をする。帰省という名称が合っているかは定かではないが、同じ県内にいる祖父母の家に行くよりは、帰省という言葉がしっくりくるので我が家では帰省という言葉を使っていた。

 県を幾つか越えて、車での大旅。車の中は嫌いじゃない。長旅の中で携帯ゲーム機をいくら触っても怒られないからである。僕の三半規管は死滅しているのか、車酔いとは無縁な子供の僕にとっては、天国の様な場所だった。

 あの日も、僕は誕生日に買ってもらったばかりのゲームに夢中だった。

 隣に住む友達と、どちらが強くモンスターを育てられるか競っていた。友達よりも誕生日が遅かった僕は、些か出遅れていたのだ。家でゲーム機を触っていれば、母親に宿題をしろと怒られ、何度も隠された事があったが、この帰省中だけはどれだけゲーム機をどれだけ触っても咎められることはなかった。

 隣で寝ている兄を尻目に、車の中で僕は画面の中でせっせとモンスターと戦っていたのだ。

 帰省1日目。朝早く家を出たと言うのに、本家に着いたのは夕暮れ時。

 本家は山の中にあり、学校よりも広い面積の敷地、とは、流石に言い過ぎだと僕も思う。しかし、きっと体育館ぐらいはきっとあったと思う。幼かった故なのかは分からないが、僕にとってはそれ程本家は大きく感じたのだ。

 夕日に照らされた白い塀は、絵の具で塗ったかの様に、真っ赤に染まっていたのをハッキリと覚えている。

 広い家に入れば、お手伝いさん、だろうか。どう紹介されたか記憶はないのだが、血縁者ではないおばさんが僕たち家族を出迎えてくれた。

 毎年毎年、変わらない笑顔で。

 本家がある町は、殆ど聞かない苗字である僕と同じ苗字の人が殆どであった。

 余談だが、余り聞かない珍しい苗字だからと言って、お世辞にもカッコいい苗字と言えないぐらいの苗字である。逆にからかわられる事だって少ないぐらい、自分と兄は嫌いな苗字であった。

 つまり、町の殆どの住人が僕と何処かで血の繋がりがあると言う事だ。

 そんな町にある、毎年同じ本家の部屋に案内され、我々家族はその部屋で五日間程の夏の休暇を過ごす。

 1日目は、長旅の疲れをゆっくり癒して、本家の人に挨拶をしながら集まって来た親類たちと食卓を囲み大人達は騒がしく夜を過ごした。

 大人達がお酒を嗜む時間になった頃、僕と兄は部屋に戻る。

 当時は喧嘩真っ盛りで、兄の後ろを我が物顔で付いてくる自分を疎ましく思い始めた兄との会話はほぼなかった。

 だが、それは特に自分の中では問題ではなかった。何故なら、勿論僕はゲーム機に夢中だからだ。

 兄は兄で、中学校に上がったために無駄に増えた夏休みの宿題を黙々と片付けていた。

 大体、五日間こんな感じで毎年過ごす。

 特に楽しい事もないが、特に嫌な事もない。些か自分達が住んでいる町よりもこちらの方が涼しいのが唯一の利点と言ったところだろうか。

 だけど、その年は3日目の夕方がいつもと違っていた。

 3日目の夕方に、とある青年が子供を連れて尋ねて来た。

 今思い返しても、青年の名前は愚か、顔だって思い出せない。

 その青年が言うには、車が壊れてしまって、トイレを貸してくれないか。であった。この山を抜けて、海の見える隣町に行く予定だったのだが、車が壊れたらしい。

 話の途中だが、これから起きる事は、昔で尚且つ、田舎だから、仕方がないと思って欲しい。

 現代においては、セキュリティとか安全面とか、もっと事は慎重にならざる得ない事案であるのは分かっているのをここに記しておきたい。

 申し訳ない顔でいた青年を見兼ねて、大人の誰かが言った。

「それは大変だ。もう遅くなるし、車を修理しようとも、日は暮れはじめている。泊まって行きなよ」

 と。

 善意のオンパレードがこの後続き、最後は諦める様に青年はもっと申し訳無さそうにその善意に甘える事になった。

 大人達は、またも、飲めや騒げや。

 子供達は呆れて自分達の部屋へと戻り、お人形ごっこだったり、トランプだったりと遊びの続き。

 他の親戚とそれ程濃い繋がりもない我ら兄弟はそそくさとそんな部屋を飛び越えて、自分達の部屋と戻った。

 しかし、残念な事が1つある。

 その日は、兄の機嫌が滅法悪かった。

 部屋に戻り、時計の短針が足を1つ進めた頃に、兄と僕は喧嘩を始めた。

 原因なんて些細な事だ。僕がやっているゲーム機の音がうるさいとかそんな事。詳しくは覚えてないが、殴り合いの喧嘩になった。

 しかし、兄は中学生で僕は小学生。結果的には泣かされたのは自分で、尚且つ負け犬の如く部屋を出たのも自分だった。

 部屋を出たのはいいが、行く当てなんてあるわけがない。泣いている自分を揶揄う大人や、喧嘩をしたと言えばまた母親に怒られると言う理不尽極まりない対応を取られるのを嫌って、居間にだけは行きたくないと思った。

 そしてここで自分はゲーム機を部屋に置いてくると言う痛恨のミスを犯した事にはたと気付く。

 この時の心境は、たったこんな事でと今なら鼻の穴に小指を突っ込みながら呆れ返るぐらいなのだが、小学生の自分はこの世の終わりの様な絶望感が心の中を支配していた。

 どうしよう。

 呆然と気も遠くなるぐらい長い廊下に立ち尽くしていると、夕暮れ時に来た子供が、少しだけ開いた襖の向こうから僕を見ていた。

 目が合うと、その子は僕に声をかける。

「どしたの?」

 僕はまだ、泣いていたが、知らない子供に泣き顔を見られた恥ずかしさと、子供の頃から無駄に高かったプライドから、泣いていてもどうと言う事はないと強がるために、直ぐに口を開いて答えた。

「ちょっと階段の一番高いところから転んだ」

 因みにだが、この家に階段なんてもんはない古くからの一階建ての家である。屋根裏へ続く階段があるかもしれないが、自分達が入る所には一切見当たらなかった。

 また、髪を引っ張られたり、他に殴られたのは腹と胸と頭である。

 転んだと言い張るくせに、膝は健康そのもの。文字通り傷1つないわけで。

 我ながら呆れるぐらいに、清々しい程の嘘である。

 しかし、子供は、子供故かそれ以上は泣いている理由を聞いてこなかった。

「痛いんね。こっちおいでよ」

 どこの方言かは知らないが、随分と、いや、この場合に限っては、嫌に落ち着いた声に聞こえた。

 何処にも当てがない自分は、まさに蜘蛛の糸だ。願ったり叶ったりで、直ぐにその子の開いた襖の向こうに身を滑らせる。

 その様子を、その子のクスクスと笑って見ていた。

 部屋にはその子だけ。

 きっと、一緒に来た青年は、まだ大人達と飲んでいるのだろう。そう、僕は思った。

「怪我はないん?」

「うん」

 膝を見て、お互い頷き合う。

 それは良かったねと続けると、その子は、ポツポツと、僕の事を聞いて来た。

 何処に住んでいるの?

 名前はなんて言うの?

 今何歳?

 友達は?

 何が好き?

 何が嫌い?

 お父さんとお母さんは?

 お兄ちゃんは?

 ペットを飼ってる?

 部屋はどんな感じ?

 まるで芸能人のプロフィールみたいな事を聴き始めて来たのだ。

 僕は何故か、その子の質問に丁寧に身振り手振りをつけて答えた。

 友達と、今ゲームで競争している事。

 通っているスイミングスクールでバタフライを先生に褒められた事。

 琴やピアノよりも、サッカーや皆んながやっている算盤を習いたい事。

 お兄ちゃんが、最近遊んでくれない事。

 祖母の家のペットを自分の兄弟だと本気で思って可愛がっている事。

 全部が全部、くだらない事ばかりなのに、その子はうんうんと楽しそうに聞いてくれて、それで、それで?と、続きを急かした。

 僕はこの時の、クラスの人気者や芸能人になった気分で自分の事を話していた。つまり、いい気になっていたのだ。

 だからこそ、その子に聞かれるまま、答えて言った。

 しかし、自分には悪癖がある。先程申し上げた様に、子供の頃からプライドが高く、人によく見せたいと言う欲を隠せないクソガキであった。

 元々、褒められる人間でもない。

 特に秀でた事もないし、精々自慢できるのは、友達よりも些かゲームが上手いぐらい。

 注目を浴びれる人間ではない故に、所々に誇張が入る。

 少しだけ、真剣にうんうんと聞いてくれるその子に罪悪感が浮かんだが、一度ついてしまえば、プライド故の引き返す事など出来ない。

 僕は夢中で、本当と嘘の境目を熱心にその子に話していた。

 一体、どれぐらい話していたのだろうか。

 そろそろ戻らなければ、きっと戻って来た母親に叱られるのではないだろうか?

 そう、思い始めた時だ。

 薄暗い電気も付いてない部屋で、僕は段々と変わっていくもの気付いてしまった。

 薄明かりで、 薄っすらと見えるその子の顔が、酷く自分に似ているのだ。

 まるで鏡がそこにある様に、その子は自分と同じ顔でクスクスと笑っている。

 おかしい。

 顔なんて、似てなかった筈だ。

 少なくとも、その子は、自分の様にデブではなかったし、少なくとも、似ている箇所なんて何処にもなかった。


 そして、少なくとも、この部屋に入った時、『彼女』の髪は、真っ直ぐで長かった。

 

 なのに、目の前にいるのは、髪は短く、太った僕だ。

 それでも、その子は僕に聞き続ける。

ーーねぇ、好きな子がいる?

 僕は、襖から飛び出して自分の部屋に走って戻った。後ろは一度も振り返ってはいない。振り返った先にあの子がいたらと考えると、そんな勇気なんて何処にもなかった。

 部屋に戻れば母と兄がいて、僕は安心の余り泣き出してしまっが、そんな事は関係ないとばかりに、母親にしこたま叱られた。

 けど、それでも、家族がいる事を、人がいる事を、たったそれだけのことにひどく安堵を覚え、その日自分は母の布団で寝たのだ。

 次の日起きると、青年と子供はいなかった。

 何でも朝早く自分達の車に戻ったらしい。

 会うことがないとわかった途端、自分は心底安心して肩をなぜ下ろした。

 昨日のアレは何だろうか。自分の見間違えだったのだろうか。暗い部屋だ。そうであってもおかしくない。

 自分の中で整合性が取れれば、怖いと言う感情は消えていった。

 でも、また来年も、もし会ったら。柄にもなく、その時は怖いと言うよりも気持ち悪いと言う感情が自分の中を支配していたのだ。

 しかし、自分の心配を他所に、そんな事が起きる訳でもなく、そもそも、その翌年から、僕ら家族は様々な事情により、本家に帰省する事はなくなった。いつしか、事情が解決してからも、一度も訪ねには行っていない。

 だから、あの時から彼女を一度も自分は見た事はないが、1つだけ、不思議な、いや、実を言うと不思議ではないかもしれない事がよく起きる様になったのだ。

 

 最初は、友達が僕に言った。

「土曜日、お前京都のお稲荷さんにいただろ?」

 いやいや、行ってはいない。

 だって昨日は琴の稽古だ。京都なんてうんと遠い。そんな所に一人でいくはずがないだろう。

 それでも、友達は僕を見たと言うのだ。

 でも、それは僕じゃない。


 次は、大人だ。

「金曜日の夜遅くに、遠い街の店の前で君を見た」

 おいおい、ふざけないでくれ。こっちはチャリしかもってないしがない小学生だ。

 夜分遅くにおいそれとそんな遠くの街にいけるわけないじゃないか。

 でも、それは僕じゃない。


 その度に、よく似てる人間がいるんだなと、思った。

 世界には3人、自分にそっくりな人間が存在してるとテレビでやっていた。

 きっと、そう言うことなのだなと、ぼんやりと思ったぐらいだ。

 でも、不思議な事に、段々とその距離は近づいて来ていた。

 

 社会人になって、住み慣れた町を出て、遠くの大きな街に住む事になったある日のこと、母から電話がかかって来た。

 僕を家の近くに出来たコンビニで見たと言うのだ。

 勿論、僕はその日も仕事で、大都会で残業続きだ。

 そんな訳がないと言っても、母は仕切りに僕だったと言った。一緒にいた父も間違いなく僕だったと。

 車も、僕と同じ車だったと母は言った。

 そんなはずはない。

 それは、僕じゃない。


 その時は忙しさに追われて、でも、違うし、まだ会社にいるよと言って電話を切った。

 それから、何年かたち僕は会社を3社ぐらい変えながらも、何とか社会人を続けている。

 それなりに仕事を任され、部下も出来、会社に馴染んだ頃、出社すると同じ部署の人が不思議そうに自分を見て来た。

 何か不具合でも起こったのかと、恐る恐る尋ねると、俺の前歩いて出社してたよね? 今まで何処に行っていたの? と、問いかけて来た。

 最初は何を言っているかわからなかった。だって、そんなはずはない。

 だって、僕は今ついたばかりだ。

 まさか! 違うよ。寝ぼけていたの?

 聞けば自分が出社する三十分前に、彼の前を僕と同じ鞄に服装をした人間が歩いて会社に出社していたらしい。

 そんな事、あり得ない筈なのに。

 服装はいい。

 でも、この鞄は、一点物だ。職人の祖母が作った一点物の鞄なのだ。


 それからも、誰かが僕を見たと言う。

 僕じゃない、僕を見たと言うのだ。


 段々と、僕に似た人物が僕に近づいて来ている。

 段々と、確実に僕と同じ場所に来ている。


 また違うある日に、上司が僕を見たと言った。

 今度は後ろ姿ではない。横顔だ。

 僕はブラックコーヒーを美味しそうに飲んでいたと言う。


 でも、それは、僕じゃない。

 僕はブラックコーヒーなど飲めない。

 どれだけ勧められても、あの苦いだけの飲み物なんて手が進まなければ舌も胃も受け付けない。大人になれば飲めるものだと憧れてもいたのだが、残念ながらその気配は一向にこなかった。

 だけど、一度だけ、ブラックコーヒーを飲めると、好きだと豪語した事がある。


 コーヒーなんて飲んだ事もない、ブラックコーヒーがどんなものかも知らない、画面の向こうの憧れと知識だけでしかなった、子供の頃に。

 そう、あの日、小学生の僕が、彼女についた嘘の一つだ。


 僕は、上司の話であの小学生の頃に会った子供をふと思い出した。

 それと同時に、ぞっとした。

 罪悪感に苛まれたから、今でも彼女についた嘘は覚えている。

 

 ただの偶然?

 ただの気のせい?

 ただの皆んなの見間違い?


 事実は今尚分からない。

 どの話も、そうだと思えるものばかりだ。

 でも、こんなにも頻繁に、こんなにも近くで、こんなにも長く、続くものなのだろうか?

 でも、それが本当にあの子供だったら……。

 彼女は、僕になろうとしているのだろうか?

 あの時、僕は本当に全てを彼女に真実だけを話していたとするのならば。


 今頃僕は彼女になっていたのだろうか?




 僕はまだ、僕に似た人間に会った事はない。

 今は、まだ。

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