見る前に踊れ
kafan
We Will Rock You 1
六回裏。ワンアウト、ランナー一・三塁。
ベンチを抜けて、バッティング・グローブをはめた指でバットのグリップを掴む。ネクストバッターズサークルに入り、素振りをする。腰だ、腰の回転を意識しろ。小学三年生の頃から――野球を始めたその瞬間から今に至るまで――散々言われ続けてきたその言葉を反芻する。
ブラスバンドの演奏が聞こえる。クイーンのウィ・ウィル・ロック・ユーだ。
バッターボックスへ足を踏み入れつつ、自軍のベンチのほうへ視線を向ける。監督は自身の顔や腕、腰のあたりに数回手を触れたりしたのち、ハエをあしらうような手つきで右手を降った。スクイズのサインである。
高校野球は六イニング時点で十点差が開くとコールド・ゲーム成立となる。十対ゼロ。つまり、ここでランナーを帰さなければ、有無を言わさず敗北が決まるのだ。
かっとばせー、てーっぺい。てーっぺい。
年間行事として定められた七月の野球観戦は全校生徒総動員だ。三塁側スタンドを埋める五百人超の歓声。全員が一人の選手の為に声を張り上げるが、心の底から逆転を期待しているわけではない。といっても、露骨に観戦に飽きてそっぽを向くほどニヒリスティックでもない彼らは、地区予選の一回戦で強豪とされる高校と当たってしまったことと、レギュラーメンバーのうち二名の病欠といった不運に見舞われつつも最後まで戦った彼らを労うというニュアンスも含め、威勢よく声を上げてメガホンを鳴らす。
藤木鉄平がこれまでスタメンとして試合に出たことはほんの数回、片手に収まるほどであった。今回、想定外に空いた穴に収まる形で、彼にとっての最後の最後、地区予選の一回戦にて、こうして八番レフトという立場を得たのだ。フルイニングで出場したのはこれが初めてだった。今のところ打席はすべて凡打に倒れている。次こそ決めなければ。彼はマウンドの上の、セットポジションに構えるピッチャーを睨みつけた。
エースの不在により守備は崩壊、球場のイニシアチブは完全に相手にあった。こちら側のヒットはわずか三本で、エラーも目を覆いたくなるほど頻出した。点差はみるみると、こちらを弄ぶかのように膨れあがっていった。
そんな中、六回に突入して諦めムードの中、六番打者の加藤がスリーベースヒットを放ったのだ。会場が湧いた。それに続き、七番の林も二遊間に鋭いゴロを放ち出塁を決める。
球場の雰囲気がわずかに変化した。ここでランナーを帰せば、コールド負けという屈辱を免れることができ、そしてなりより、逆転の可能性が生じる。ゼロと
一球目、藤木は外角高めのストレートに対応しようとするが、バントの構えを作るのが若干遅れた。後ろに弾かれた硬球がバックネットにぶつかる。強く息を吐く。ヘルメットの鐔に手を触れつつ、監督の姿を一瞥する。サインは変わらず。
ウィ・ウィル・ロック・ユーが響く。
二球目。逸れた、と思った。藤木は見送るが、主審はストライクを宣言した。相手側のベンチから歓声が響く。電光掲示板の黄色ランプが二つ点灯した。万事休す。彼は唇を噛み、自軍のベンチへ目を遣った。監督はスクイズのサインを解かなかった。
これで最後だ。
アンダースローから放たれるスライダー。
この投手の持ち味であった。
タイミングは完璧だった。藤木の構えたバットがボールを捉える。
バットへ添えた右手に軽い痺れを覚える。手を離し、藤木は駆ける。
演奏が止まった。遠慮のない溜息がギャラリーを包む。
藤木は呆然と、ボールの行方を目で追った。それは右へ逸れ、一塁側のファールラインを軽々しく越えていった。
スリーバント失敗。それが、藤木鉄平という野球少年の最期である。
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