7.置き去りの青と嘘(1)

 頬に冷たい感触があって目をひらくと、真横にスネイクが立っていた。小ぶりな酒瓶を呷りながらクロウを見下ろしている。クロウはいま自分がどこにいるのか、なにをしていたのかもわからず、ただぼんやりとスネイクを見上げた。

「よく眠れたか」

 いつものスネイクの声だと感じて、クロウは彼の舞台を観に来ていたことを思い出す。

「なんか、頭ががんがんする」

「これ飲んだんだろ」

 スネイクはサイドテーブルに置いてあったグラスを指した。

「あー、うん、たぶん」

「強い酒だ。おまえにはまだはやいよ」

 広く薄暗い空間は魔法が解けたみたいにがらんとしていた。歓声や喝采の名残はない。劇場内にはクロウとスネイクだけで、リリィの姿も見当たらなかった。

 物語の世界から急に現実へと連れ戻されて、クロウはぼんやりと天井を眺めた。ずいぶんよく寝ていたらしい。

「話の結末ってどうなったんだ」

「寝てた自分を恨むんだな」

「けち」

「人から聞くくらいなら知らないほうがずっといいだろ。それよりほら」

 スネイクがなにかを投げてよこした。広げるとクロウが青蜥蜴館に置いてきた服だった。

「さっき旦那が持ってきた。いま着てるのはここに置いていっていいってさ」

「え、でも」

「甘えておけばいいよ。あとおまえのその帽子、それはプレゼントだって」

 スネイクはクロウへ向かって指をくいと曲げる。ここで着替えてしまえと言っていた。クロウはまだ重い体をのそのそと動かして慣れた自分の服へ着替える。そのあいだスネイクはソファに座って正面の舞台を見つめていた。なにを考えているのかクロウにはまったく想像がつかない。

 沈黙が気づまりで、急いでブーツの紐をほどく。紐と紐のこすれる音だけが響く。無性にいらついて、無性に喉が渇いた。クロウが寝ているあいだスネイクとリリィがどうしていたかなんて、考えても苦しくなるだけだとわかりながら、これ以上苦しくなりたくなくて答えがほしくなる。

 なぜリリィだったのか。それだけでもいいのに、それだけが聞けない。

 ブーツを紐で一括りにして、借りていた服を簡単にたたむ。スネイクはそれらを持ってソファから立った。

「劇場の外で待ってろ、呼んでくるよ」

 リリィのことだと言わなくてもわかる。それがスネイクとリリィの距離のせいなのか、それともクロウがリリィのことを考えていたからなのかは判然としなかった。

 クロウは遠ざかっていくスネイクの背中を見送りながら、自分たちにあてはまる言葉をさがした。知人と呼ぶには距離が近く、友人というほど心許せるわけではない。親代わりというにはあまりにも無責任なくせに、クロウが幼いころの失敗や笑い話については誰よりも詳しい。

 スネイクが置いていった酒瓶に口をつける。入っていたのは酒ではなくただのレモン水だった。さわやかな香りと苦みが沁みながら広がっていく。

 どんな名前の関係性を選んだとしても物足りないことが、いまのクロウには救いのように感じられた。


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