15

 二人はリィに助けられながら山を下っていく。その道はやや急斜面で降りるのは大変だったが、あの洞窟以降不思議と追手は現れなかったため、二人は降りることに集中できた。

「着いた……」

 息を切らせながら二人は山を降りきった。日が傾いて空は赤焼と宵の色が混ざり始めている。

 降り立ったところはすでに街の一角のようだ。前方に横長の建物が見える。ここは裏庭か何かなのだろう。物がなく、草が伸び放題になっている。

「あら、そこにいらっしゃるのはどなた?」

 建物の方から声がかかった。二階の窓からこちらを見ている人がいる。

「この声――もしかしてシルバニア先生ですかっ?」

 レイラが建物に少し近づいて返事をした。

 向こうから驚いた気配が伝わってきた。窓を閉じるとそこから一度姿が見えなくなる。二人はその間にも建物の方に近づいた。少しして一階の出入口から再びその人が姿を見せた。シスターの姿をしており、顔に皺が刻まれているところから老齢なのだということが伺える。

「ミズィアムさんっ!? どうして旧校舎に。いえ、今までどこでなにを!?」 

「旧校舎? ここはコバルト学園の敷地内なのですか?」

 シルバニアと呼ばれた女性は「ええ、ええ」と繰り返すと、レイラを抱き寄せた。

「ああ、無事でよかった。神よ、感謝いたします」

「先生……」

 レイラも知り合いにあってホッとしたのか、目が潤んでくる。

「そちらの方は?」

「私をここまで護って送ってくださったテイル=ブライズさんです」

 彼女を離し、シルバニアはテイルに向き合って頭を下げる。

「これは、ここまでありがとうございます」

 テイルは照れたように両手をぱたぱたと左右に振る。

「い、いえ。オレが不甲斐ないばっかりに彼女には苦労をかけてしまいましたし」

 テイルのその答えにシルバニアは和やかな笑みで首を左右に振る。

「さあさ、中にお入りなさい。ああ、こんなに汚れてしまって。すぐにご自宅に連絡致しますね」

 そう言って彼女は二人を校舎の中に招き入れた。今日は休日で校舎の中は静まり返っている。

 保健室まで連れて来られて傷の具合を確認されながら待機していると、迎えが来たのでテイルを連れてレイラは自動車に乗車した。

「それではミズィアムさん。諸々の事情説明・書類処理は、後日お付き合いくださいね」

「はい。承知しております。本日はありがとうございました」

 車窓越しに言葉を交わすと、シルバニアは車から離れた。出勤していた数人の先生に見送られて車はレイラの自宅に向かって発進する。

 落ち着かなげに窓の外を眺めていたテイルは、レンガ造りの家が多いなと感じる。山の上から見ても街全体がオレンジ色だったくらいなので、この街はレンガ造りの家がほとんどなのだろう。彼の住んでいたカーナシティは漆喰の壁が多いので街全体が白く見える。それもあって、街が赤やオレンジ色なのはどこか不思議な感じだった。

 そのうちに車がとある家の門をくぐる。外周壁と住宅ばかりだった風景から一転、広い芝生の庭が車の左右に広がった。

「もうすぐよ」

 横に座るレイラがそう呟いた。

 テイルがきょとんとしていると、扉と平行になるように車が停車した。外からドアが開かれる。レイラは慣れた様子で降車し、テイルもそれに続いて不慣れながらも車を降りた。

 降りた所でテイルはその家を見上げた。左右にも建物が広がっている。二階建ての建物だが、左右の外周壁までがどちらもとても遠く感じる。振り返ると、入ってきた門までも見える所にはあるが徒歩で行くには遠い。中央の通ってきた道の左右には、芝生は勿論のこと花壇や植木なども整えられていて、華やかな庭となっていた。

「どうしたの? テイル。さあ、中に入って」

 呼ばれてレイラの方を見ると、召使いと思われる人達に濡れタオルで手足を拭かれていた。

「ここが、レイラさんの家?」

「そうよ?」

「――大きくないですか?」

「まあ、この街で一、二の大きさだから」

 テイルの目が点になっていて、レイラは苦笑する。

「お嬢様。お風呂の準備はできております。ささ、どうぞ中へ。ブライズ様もどうぞ中へお上がりくださいませ」

 召使いの一人がテイルの方にも近づいて手足と顔の泥を拭っていく。

 彼は一応、

「え、いや、オレは自分で」

 とタオルを受け取ろうとしたのだが、

「いえ、お仕事ですので」

 とやんわりと断られた。仕方なくされるがままにされ、案内されるまま玄関をくぐった。この玄関戸も大きな両開きの戸だった。

 玄関は吹き抜けのホールとなっており、奥へと続く廊下と、左右に伸びる廊下、更に二階へ上がる緩い曲線を描く階段があった。天井にはシャンデリアが吊り下がっている。

「すげー……」

 テイルの口から感嘆の声が漏れる。自分の生活してきた環境とは全く違ったため、場違い感が拭えない。

「お嬢様のお帰りです、旦那様、奥様!」

 玄関戸を閉めたと同時に、一人の召使いが声を上げる。

 それから数秒して、バタバタと慌ただしい音がして二階の右廊下から、一組の男女が姿を現した。

 男の方は清潔な白のワイシャツと黒のスラックスに身を包んでいる。細身の体型で口髭が整えられており、優しげな眼差しを持った男性だった。女性の方も落ち着いた色合いながらも鮮やかなドレスを身に纏い、肩にショールをかけている。後ろで上げた茶色い髪をまとめる髪飾りにも落ち着いた美しさがある。

「レイラ!」

「お父様! お母様!」

 レイラの姿を見るとレイラの母親はその場に崩れ落ちそうになる。父親はそんな母親を支えながらレイラの元まで降りてきた。

「ああ、よく無事で」

 母親――ミズィアム夫人はレイラの両手を手にとって握り返す。

「ただいま戻りました、お父様、お母様。ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません」

「一体どこを通って帰ってきたのか、このじゃじゃ馬は。無事でよかった」

 レイラの泥だらけの格好を見てか、泣きそうな目で父親であるミズィアム卿はレイラの肩に手をかけた。両親の顔を見て本当に安心したのか、レイラの顔も今にも泣きそうである。

 ミズィアム卿が目元を拭い、テイルの方を見た。

「レイラ、そちらの方が?」

「ああはい。こちらが、カーナシティでお世話になり、ここまで送り届けてくださったテイル=ブライズさんです。彼のおかげで大変助かりました」

「それはそれは」

 ミズィアム夫人は深々と頭を下げる。父親も軽く会釈した。

「娘が世話になった。ありがとう」

「い、いえ。知り合ったのも何かの縁でしたし。あの、オレはこれで」

 テイルはこういう状況に慣れていないのか、外に逃げようとして召使い達に道を塞がれる。

「そのようなお姿でお屋敷から出すなんて、ミズィアム家に仕える者として許せませんので」

 と召使いたちは笑顔でテイルに言い放つ。

「テイル。寄って行ってとは言いましたけど、すぐに帰っていいなんて言っていないわよ」

 テイルのとった行動に、レイラもやや不機嫌そうだ。

「まあとにかく、お前は先に風呂に行きなさい」

「わかりました」

 父親に一礼すると、レイラは母親と共に召使数人を引き連れて奥の廊下へと消えていく。

「さて。テイルくん、だったね。聞きたいのだが、なぜ娘をここまで送ろうと思った。カーナからベルマークまでは遠いだろう。それに、君は孤児だと学園の職員の方から聞いているが。お金が目当てかい?」

 声は厳しくはない。単純に不思議に思ったからなのだろうか。テイルは内心で「なぜと言われても」とぼやいた。

「そりゃあ、お金が頂けるならそれはそれでありがたいですけど。貧乏なんで。ここまで来てしまったのはまあ、成り行きですかね」

 テイルは少しだけ苦笑して、ここまでの道程を省略して彼女の父親に伝えた。

「本当は彼女を一晩泊めて駅まで送って「はい、終わり」の関係のはずだったんですが、オレが間違って汽車に乗ってしまって。そこまで来てしまったら最後までちゃんと送り届けようって思っただけですよ」

 ミズィアム卿は口を挟まずにテイルの言葉を真摯に聞いている。

「でもまあ、オレ、カーナの外に出たことがなかったので、色んな物が見れて結構楽しかったです。オレの方こそ、こう言うのも変ですけど、なんかありがとうございました」

 今度は逆にテイルが頭を下げた。

 ミズィアム卿が「そうか」と小さく呟く。それからテイルの肩を強く叩く。

「娘をここまで送ってくれてありがとう。ご苦労だった」

 その言葉が、本当に彼の旅の終わりを告げられたようで、ふと心のどこかが寂しくなるのを自覚した。

「客人に部屋の用意を。それと替えの衣服も。もう日も沈んだ。今日は泊まっていきなさい」

「え、で、でも」

「これでさよならでは娘が寂しがる。相当君を気に入っているように見えるからな」

 はは、とミズィアム卿は笑って階段を上っていく。

「お、お世話になります!」

 テイルはもう一度頭を下げた。

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