16

 ミズィアム卿が娘の無事な姿を見てひと安心しながら自室で煙管をふかせていると、ノック音がした。

「お父様、よろしいですか?」

 部屋の外からレイラの声がして、ミズィアム卿は「どうぞ」と入室を促した。

 体を綺麗にしてワンピースに着替えた娘が、中に入ってきた。

「失礼します、お父様」

「戻って早々どうした? 疲れただろうに」

 部屋でゆっくり休めばいいのにと彼は不思議に思う。

「テイルのことで、ちょっとご相談が……」

 ミズィアム卿は意外そうな顔でふむと、煙管をふかせた。


◇ ◆ ◇


 あの後、文字通り体を洗われたテイルは、ワイシャツとスラックスをサスペンダーで止めた格好に着替えると、今日泊まる部屋に通された。

「お夕食の準備が整いましたらお呼びいたします。どうぞそれまでお寛ぎください」

 ここまで案内してくれた召使いはそれだけ言うと部屋を後にしてしまう。

 本当ならレイラと話をしたかったが、下手に出歩くと迷いそうだったのでおとなしく言われた通りにすることにする。

 そこは二階の一室で、窓側にベッドが一つ、その手前にこじんまりとした机と椅子が置かれていた。机の上には紙とペン、インクも用意されている。

 ベッドの上に乗って窓の外を見てみると、庭にぽつぽつと明かりが灯っているのが見えた。門の明かりが一際目立っているのでそこから見ると今玄関から見て左側の塔にいるようだ。

「っあーやっと喋れる!」

 突然室内で甲高い声がして、テイルはびっくりして振り返った。親指サイズ程の翅を生やした生き物が枕の辺りに身を投げ出している。

「リィ!」

 そういえば学校に出た辺りから声がしなくなっていた。

「今までどこに行ってたんだ?」

「どこにも。ずーっと二人の側にいたけど。レイラの方に行こうと思ったらさーレイラの周り他人がいっぱいなんだもーん」

 リィは文句を垂れながら小さな手足をじたばたとさせている。それで仕方なく自分の所に来たのかと、テイルは妙に納得した。

「ずっと側にいたって、声もしなかったし姿もなかったじゃないか」

「そりゃー姿は隠してたから。だってさ、あんた達のあたしと初めてあった時の反応があれよ? そりゃ、二人の前以外は隠れてたほうがいいかなーって思うもんでしょ?」

「ああ、確かに」

 リィを初めて見た時の自分たちの反応を思い出して、それはそうだとリィが姿を隠した理由にも納得がいった。

「んで、レイラさんの周りには召使いさんがいっぱいいるから出ていけないし、でも黙ってるのも飽きたからオレんとこに来たと」

「そうそう。仕方なーくあんたの話し相手になりにきてあげたの」

「オレは別に話し相手なんて求めてないけどな」

「んもう、素直じゃないなーティルはー」

「うざっ」

 リィはこの答えには無言で鼻を蹴りに行った。

 蹴られた鼻頭をさすりながら、テイルはリィに聞いてみた。

「んで、お前これからどうすんの?」

「どうって? どうもなにも、レイラのいるところがあたしのいるところだもの。レイラがこの屋敷に住んでるって言うなら、あたしもここに住むだけよ」

 そういえば「レイラが主人マスター」とか言っていたなとテイルはあの時の会話を思い出す。

「そっかあ……」

 テイルはそう呟きながらベッドに身を投げ出した。さすが高級なベッドのようで、身体を受け止めた布団はふかふかとして羽に包まれたかのようなやわらかさだった。

 テイルの目が少しだけ寂しそうに細められる。天井にも繊細な装飾が施されているのが目に写った。育った環境も、生活している環境もまるで正反対なのだと彼に現実を突きつけているようだった。

「まあ、そうだよなー」

 テイルの呟きが気になったのか、リィが小首を傾げながらふわふわと彼の上まで移動した。

「もしかして、ティルってば寂しかったり? 一人だけ離れるなんてーとか?」

 図星だったので、テイルは返事の代わりに身を起こして彼女を捕まえようとする。リィはからかうようにそれをひらりとかわした。

「ティルってばー、実は寂しがりやなんだー。レイラに言っちゃおっかなー♪」

「うるせえよ」

 たぶん捕まらないとわかっていながら、テイルは何度もリィを捕まえようと手を伸ばす。その度にリィは重力を無視するようにひらひらとそれをかわしていった。

 段々ムキになってきて彼女を捕まえるのに夢中になってきた頃、ドアが二回ノックされた。その音にテイルとリィはピタッと動きを止めた。そのままリィの姿は瞬く間に見えなくなる。

「失礼致します」

 先ほど案内してくれた召使いの女性が扉を開けて一礼した。

「ブラウズ様、お食事の用意が整いました。お待たせいたしまして申し訳ありません」

「あ、いえ。どうも」

 テイルが慌ててベッドから降りて出入口まで行くと、召使いの女性は少し乱れた彼の服装を整えてから「ご案内します」と微笑んだ。

 案内された部屋は少し広めで、部屋の四隅には植木鉢に植えられた植物が、中央に六人がけ程のダイニングテーブルが置かれている。ただし、椅子は四脚しかない。そのテーブルの上には美味しそうな香りを放つ料理達が湯気を立てて四人分用意されており、すでにレイラとレイラの両親が着席していた。

「あ、来た。テイルはお父様の向かいね」

「は、はい」

 レイラが気づくと彼女の左手の席を手で示した。案内してきた召使いの女性が椅子を引いて彼の着席を促す。テイルは軽く会釈をしてお礼を言うと、そこに着席した。

「それでは頂こうか。テイルくん、遠慮はしなくていいからね」

「ありがとうございます。いただきます」

 テイルは食事のお礼を述べてから食器を手にとった。オニオンスープにスライスされたしっとりとした大型パンブロート。デミグラスソースがかけられた柔らかなハンバーグには甘く煮られたグラッセと切込みを入れて皮ごと茹でられたじゃがいもが添えられている。切り込み部分にはじゃがいもの熱で溶けたバターが光を反射していて、彼らの食欲を誘う。更にポテトパンケーキやサラダ、ソーセージが盛られた皿があり、その横にマスタードやケチャップが入った小皿が置かれていた。

 普段食べることのない食事が目の前にあり、テイルは少しだけワクワクしながらレイラ達と会話をしながら食事を進めていく。食後にはリンゴのケーキと紅茶が出された。ふっくらと焼かれたスポンジに小さく刻まれたリンゴが歯ごたえを醸し出す。横に添えられた生クリームと一緒に食べるとまた違う味わいがして、ストレートの紅茶と実によくあっていた。全員がそれを食べ終えた頃、ミズィアム卿が唐突に話を切り出した。

「時にテイルくん」

「はい?」

「私は学費の出せない子供達に資金を援助するのを仕事の一つとしていてね」

 テイルは目をぱちくりと瞬かせる。いきなり何の話だろうと、とりあえず先を聞いてみることにする。

「学校を出て働くようになったら無理の無いようにいくらか返済してもらうようにはしてもらっているが、まあ強制ではない。レイラから聞いたが、君は学校に行きたいが学費が出せずに働いているそうだね」

 テイルは思わずレイラの方を見た。レイラは何くわぬ顔で食後の紅茶をすすっている。

「はい、そうですが……?」

「私が学費を出す、と言ったら君は学校に行きたいかね?」

 テイルの目が大きく見開かれた。

 ずっと、ずっと行きたいと、もっと勉強したいと願って、でも叶わないととっくに諦めていた夢。

「で、でも。オレは……カーナの人間だし」

「どこの学校に通うかはあとで考えればいいさ。何もこの街の学校でなくとも構わない。連絡さえ取れればね」

「……」

 本当は行きたい。「はい」と一つ返事をすれば、それがきっと叶う。けれど、今度はちゃんと、学校に行けるのだろうか。昔のことを思い出すとどうしても躊躇してしまう。

 自分は、目の前に差し出されたこの手を――取ってもいいのだろうか?

 テイルが困り顔で黙りこんでしまうと、業を煮やしたのかレイラが机に身を乗り出すようにして立ち上がった。

「何を戸惑っているのよ。行きたいなら素直に行きたいって、そう言えばいいの! あんなに行きたかったって、学校で勉強したいって、汽車の中で言っていたじゃない」

「でも、オレ……」

「もし昔のことを気にしているのなら、私がいる学校に来ればいいでしょう? 私はあなたを馬鹿にしないし、させないわ。知り合いがいるなら学校にも来やすくなるでしょう?」

 レイラの瞳に宿る意思は強い。娘の言動に、ミズィアム卿は少しだけ苦笑した。

「と、娘は言っているわけだけれど。どうかな? ――彼女からのささやかなお礼と思って受け取っては」

 テイルはレイラの顔と、ミズィアム卿の顔と、そしてミズィアム夫人の顔をぐるりと見た。誰も、ひとつも嫌そうな顔はしていない。レイラは自分が返事をしないことに苛立っている顔をしているし、ミズィアム卿は穏やかに返事を待っている。ミズィアム夫人はにこやかな笑みで事の行方を見守っていた。

 『行きたいって言えばいいのに。バカティルってほんとバカ』

 近くにいるのか、リィの甲高い声まで聞こえてきた。自分にしか聞こえていないのか、誰もその声に気づいた様子は見られなかった。

 そこまできて、ようやく彼は「ああ、行ってもいいのか」と気持ちが前に向く。

「行きたいです……。学校に、行かせてください――!」

 決意の目でテイルはミズィアム卿の顔をしっかり見て、答えを返す。その答えに満足したのか、レイラは笑みを浮かべてもう一度椅子にしっかり座り直す。父親はひとつ頷いた。

「わかった。では、そのように手続きをしよう。今日は疲れているだろうから、明日少し時間をもらっても構わないかな」

「はい。それは勿論」

「で、先ほどの話だと、通う学校はレイラと同じコバルト学園でいいのかな?」

「え?」

「ダメなの?」

 テイルが思わずそう声を漏らすと、すかさずレイラの追撃が入った。

「いや、ダメじゃないけど。オレ、カーナの人間だし」

「私の家に下宿すればいいじゃない」

「えっ!?」

 テイルが硬直する。レイラはミズィアム卿の方を向いて「ねえ、お父様?」と同意を取っていた。

「客人用の部屋は余っているし、別に構わないよ。なあ? お前」

「ええ。人数が増えたら、この屋敷もまた賑やかになりますね」

 ミズィアム夫人も気にした風もなく、むしろ人数が増えることを楽しんでいるようである。

「まあ、あそこだと入学試験は受けてもらわなければならなくなるが」

「私がちゃんと教えます。お父様」

「だそうだ。がまあ、君の都合もあるし、そこは明日までに考えておいて貰えるかな」

「わ、わかりました」

 答えてレイラの方を見ると、なぜか口を尖らせて膨れっ面をしていた。

 (え、なんで?)と、テイルは内心で冷や汗ものである。

「さあ、二人とも今日はゆっくり休みなさい」

「はい。お父様、お母様、テイル、おやすみなさい」

 レイラは席を立って一礼すると、一人部屋を出て自室へと戻っていった。

「あ、じゃあオレも。その、お話ありがとうございました。おやすみなさい」

「ええ、おやすみなさい。ごゆっくりなさってくださいな」

 テイルも立ち上がり挨拶をすると、ミズィアム夫人がにこやかに会釈をしてくれた。


 その晩は布団に横になると、考える暇もなくすぐに眠りの世界へと引きこまれていった。

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