12

 テイルがのろのろと目を開けると、部屋は暗かった。掛け布団から顔を出して窓の方を見ようとすると、すぐそこにレイラが佇んでこちらを見ていた。

「起きた? テイル」

 どうやら彼女が彼を起こしたらしい。テイルは目をこすりながら身を起こす。

「何かあった?」

「逃げるわよ」

「え?」

 レイラはテイルの布団を引っぺがすと、乾いた服を服を買った時にもらった袋に詰め始める。

 テイルは少しだけ夜の肌寒さに体を震わせながらもベッドから降りてレイラを手伝った。

「見つかった?」

「まだ見つかってはいないけれど、そう遅くないうちにこの宿にも来るわ」

「も?」

 テイルが聞き返すと、レイラは窓の外を指さした。テイルは示された通りにそっとカーテンの隙間から窓の外を見た。街に入った時と違い、人の姿も賑やかさも嘘のようになく暗闇と静寂だけがそこにある。その中を動くものがあった。

 家から家を訪ね歩いているようで、彼らが滞在している宿とそれ程距離があるわけではない。

 十中八九自分達を探しているのだろう。テイルは窓から離れてレイラの方に向き直った。彼女はいつの間にか深々とキャスケット帽を被っていた。長くきれいな紅色の髪はお団子状にされて帽子の中に隠されている。

「荷物はオレが持つよ」

「ありがとう」

 彼女がまとめた鞄を彼は腕を通して片肩に背負う。二人は部屋を出て宿の主の部屋を静かに尋ねてかいつまんだ事情を話し、裏口から外に出して貰う。建物の裏をなるべく静かにベルマークシティの方へと歩いて行く。宿場町を抜けると、すぐに山に入って茂みに姿を隠した。

「それで、これからどうする?」

「それよりも体調はもう平気なの?」

 レイラの心配気な顔にテイルは安心させるように笑顔を作る。

「大丈夫。寝る前よりずっと体が軽いし。そんなに心配かけた?」

「私が巻き込んでしまったんだもの。心配くらい、します」

 どうやら自分に関わって体調を崩してしまったのを彼女はすごく申し訳なく思っているらしい。

 テイルは少しだけ悩んで、彼女の頬を軽く摘んだ。

「ひゃっ!?」

「オレ、レイラさんが笑顔でいてくれたほうが元気でるんだけどなー。そういう顔、似合わないし」

 レイラが頬を赤く染めながら彼の手を払いのける。

「からかわないでください。街道沿いに行っても多分封鎖されてるでしょうし、危険ですけど山道を行きます」

 強引に話を元に戻されてテイルは嬉しそうに苦笑いした。

「仰せのままに。お嬢様。でも、山道って平気か?」

「そこにしか道がないのなら行くしかないじゃないですか」

 山道はかなりハードな道程である。まだ日が登る気配がないのに山に入るのは危険だが、ここで日が出るまでじっとしているのもそれはそれで危険である。

 それをわかってかレイラはかなりケロッとした態度で立ち上がった。テイルは眉を寄せながらも彼女についていくことにする。

 レイラが昼間に買った地図と空とを交互に見て、進路を決めて歩きはじめる。上がったり下がったり傾斜のある場所をいくつも越えて行くと、左手の方から光が見え始めた。視界が明るくなってきたことに少しだけほっとして、休憩を挟みながらも更に先へと歩いて行く。

 不意にレイラが足を止めて近くの茂みに体を隠した。

「レイラさん?」

「静かに。あそこ見える?」

 レイラは傾斜の下の方を指さす。テイルはそこを覗きこんで顔を引きつらせた。

 そこに、例の黒服がいたのだ。

「こっちも読まれてたのかよ……」

 二人は頷いて身を低くしたまま今来た道をそっと戻る。距離を取ったところで二人は体を起こす。その際に先程は気付かなかったものがテイルの視界を掠めて、テイルはそちらに気を取られた。

「これから、どうしよう……」

「ねえねえ、レイラさん」

 テイルがあちらを向いたままレイラを手招きする。「ん?」と彼女も彼の見ている方を向く。目を瞬かせた。


 そこに、木々の緑に隠れるようにひっそりと、洞窟が小さく口を開けていたのである。




 近づいて中に広がる暗闇に少しだけ躊躇したが、そこ以外に行き場がなかった二人は意を決して洞窟の中へと足を踏み入れた。

 はぐれないように手を繋ぎ、空いた手で壁伝いに中へと歩いて行く。最初こそ屈まなければ入れない狭さだったが、すぐに天井は高くなった。

 もう少し奥であの黒服たちが行き過ぎるのを待って再び外に出れば、見つからずにベルマークシティの方へと行けるだろうと二人は踏んだのだ。

「そういえばさ」

 不意に先を行くテイルが口を開いた。

 レイラが「ん?」と軽く反応する。

「レイラさん結構……というかかなり強かったけど、どこであんな技を?」

 汽車の中でのことを思い返していたのか、テイルはそんなことを聞いてきた。単純に華奢に見える彼女の体のどこに大の大人一人を軽く気絶させられるだけの力があるのか気になっただけである。

 レイラはその質問に、まるで至極当たり前なことを聞かれたような返事をした。

「日頃から部活で鍛えているだけだけれど」

「部活っ!? 部活であんな強くなれるもんなの!?」

「でも、実際他にしていることは特にないですし」

 暗くてわからないが、レイラは首を傾げているようだ。言葉の最後のほうが悩むような声音だった。

「そういえば」

 と、今度はレイラが思い出したようにテイルに質問をする。

「あの時、なにがあったの? 相手のナイフを弾いていたように見えたけれど」

 テイルは言われて「あー」と思い出したような声を出した。

「正直オレもよくわかんないんだけど、オレの力ってどうも治すだけじゃないみたいなんだ」

「そうなの? それじゃあ、どうして最初からそのこと」

「うん。オレもあの時初めて知ったから」

 そこに間が降りた。

「はっ!?」

 意味を理解したレイラが硬い声を上げる。

「え、知らなかったのに使えたの?」

「うん、なんか使えた」

「なんかって、それ、今も使えるの?」

「たぶん使えるんじゃないかな?」

「たぶんって……」

 テイルのいい加減な答えに、レイラは空いた口が塞がらなくなっている。そこで、彼女は根本的なことを聞いてみた。

「ねえ、テイル。あなたはその“力”を理解して使っているの?」

 小さく「うーん」と考える声が聞こえたが、「いやさっぱり」と残念な答えが返ってきた。

「わからないで使っていたの――?」

「感覚的に使えるから、特に気にしたことなくて。それってわかってたほうがいいこと? やっぱり」

「それは……」

 そうでしょう、とレイラは呆れて続く言葉が出なかった。しかし、テイルには伝わったのか「やっぱそっかー」と小さく呟く声が微かに耳に届いた。

「そういえば、嫌なこと思い出させちゃうかもしれないけど、レイラさんのあれも、オレの力と同じじゃないかな? って、今思ったんだけど」

「あれ……?」

 と少し考えて、レイラは顔を強張らせた。彼の手を掴む力が無意識に強くなる。

「ごめん、考えたくないならいいよ、答えなくて」

 雰囲気で伝わったのかもしれない。レイラは「ううん」と首をふる。

「あれが、本当に私がやったことなら、いずれは考え無くてはならない問題よ」

 あれ――レイラが“力”を使った時のことだ。

「私も無意識だったからよく覚えていないのだけど……、それでも、テイルではないのよね?」

「――うん。……その、あの時、レイラさんの額に、五芒星が浮かんでたんだ」

 テイルのその言葉にレイラは目を見開く。確か、テイルが力を使うときは額に六芒星が浮かんでいたはずだ。

「まぁ、俺も全然わかんないんだけどさ! 深く考えることはないと思うよ。オレだって自分の力のこと、深く考えてなかっただろ」

 テイルの声が急に明るくなる。努めて明るくしているのはまるわかりなのだが、レイラはその心遣いにふっと心が和らぐのを感じた。

 考えなければならないことだろうけれど、悪い方向に考えるべきではないのかもしれない。レイラはそう思い直す。

「そうね、テイルは何も考えずに今まで力を制御できているのだものね」

「何も考えずにって……」

「馬鹿にしてはいないわよ? 一応言っておきますけど」

 ツンとすまして返すと、少しだけおかしくてレイラは自分で小さく吹き出した。それにつられてテイルも小さく笑い出す。

 何がおかしいのか二人はよくわかっていないけれど、それでも何かがおかしくて楽しくて、自然と笑顔がこぼれ出てくる。「ああ、彼といるのは楽しいな」とレイラは彼がいる空間に目を向けながら心の中でそっと思った。

「ん?」

 テイルが唐突に声を上げて足を止めた。レイラも彼が声を上げた理由にすぐに気づく。 思わず目を瞬かせた。

「なに? あれ」

 前方にポツンと、闇の中に一点の光があったのだ。動くわけでもなく、ただそこにあって淡い光を放っている。

「出口、か?」

 反対の出入口があり、そこから先回りされたかとも思ったが、向こうの光が全く動かないというのは少なくとも人でも動物でもない。そこで最初に浮かんだのが洞窟の出口だった。のだが、それにしては、どうにも違う気がする。何がどうとはハッキリと言えないのだが。

「行ってみるか?」

「限りなく怪しいですけど……」

 しかし、確かめないことには落ち着かない。ということで、二人はその光がなにか確かめることにした。

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