入団試験
入団試験 1
フィエリスの屋敷で生活を始めてから数日、アザミに与えられた仕事は庭の管理だった。花の水やりや雑草の除去など簡単な仕事ではあったが、フィエリスの屋敷はその庭のスケールもまた広大だったため、初日は朝から始めた水やりが昼過ぎに終わり、草むしりを終える頃には日はとっくに暮れていた。土いじりの経験は殆ど無かったので、翌朝アザミは全身筋肉痛になっていた。二日目からはセロシアにも手伝ってもらいながら作業を行ったので、夕方頃には全て終えられるようになっていた。
アザミが以前はこの作業全てをセロシア一人でこなしていたという話を聞いた時には、言葉を失った。セロシアの有能さを知ることで、対照的に自分がどれほど無力なのかを思い知って、ますます気を落とすアザミだった。セロシアの「お気になさらずとも、私は十分に助かっておりますよ」というフォローの言葉も、今のアザミにとってはもはや逆効果にしかならない。
それでも、日を重ねるごとに一連の作業に慣れてきたアザミには、フィエリスの屋敷に出入りする人々を観察する余裕が生まれていた。その殆どは礼服を着用した大人の男性であり、フィエリスと同年代の女性など全く見かけなかった。そしてそれらの客人たちを連れてくるのは決まってルメリアだった。どうやら渉外等の対外の仕事はルメリアが、庭園の管理や食事の準備のような屋敷内の仕事はセロシアが、それぞれ担当しているようだ。
そしてフィエリスは、ルメリアが連れてきた客人をもてなし交渉を進めている。この大きな屋敷の管理と訪れる客人の対応を少数精鋭で全て賄ってしまえるのは、ひとえに三者の超人的な能力によるものであろう。それこそ魔法でも使っているのではないかと疑ってしまえるほどに。もっとも、フィエリス以外の二人の魔法についてはアザミは把握していなかったので、本当に魔法を使っていたとしてもおかしくはない。むしろ使っていてくれというのが、フィエリスの屋敷で生活する同居人達の仕事量を目の当たりにしたアザミの率直な感想だった。クレメント邸の使用人として雇われているにも係わらず、自分の仕事が彼女たちの役に立てていないのではないかという疑念がアザミに付いて回り、だんだんと居心地の悪さを感じ始めていた。未だにセロシアからお客様扱いを受けるのも、それを加速させていた。
だから、フィエリスから出向が言い渡された時は、内心ほっとした。
ある日の朝、朝食を食べているときのこと、アザミと目を合わせず視線を宙に漂わせながらフィエリスが訊ねた。
「アザミちゃん、最近のお仕事の調子はどう?」
アザミは食事の手を止めて言葉を返す。
「はい、セロシアさんにも手伝っていただいているおかげで、だいぶ慣れてきました」
その言葉を受けて、フィエリスの顔が少しだけ綻ぶ。
「そう、それは良かった。何か変わったことはあった?」
「いえ? 特には何も感じていないですけど」
「そう」
フィエリスはそのまましばらく何かを考えるように黙ってしまった。アザミはその間何をするでもなく、じっと押し黙ってフィエリスが話し出すのを待つ。
「実はね、アザミちゃんに新しいお仕事をお願いしようと思ってるんだけど……」
言い淀むように語尾を濁すフィエリスの様子を気遣って、アザミが言葉の間を保つ。
「はい、何でも言ってください。力になれるかわからないですけど、頑張って見せます。お仕事がもらえるなら私にとっては有難いですから」
水やりと雑草除去の仕事では、セロシアの邪魔にしかなっていないように感じていたアザミにとっては、新しい仕事でも独自に動ける仕事であれば何でもよかった。
「今私の下に一件の派遣依頼が来てるの。『エストアズーロへの人材派遣』なんだけど、アザミちゃんはエストアズーロって…………知らないよね?」
アザミは首を縦に振る。
「私たちが住むアイドクレズは、東部西部北部南部の四つの地区に分かれてるの。その中でこの屋敷を含む東部地区の治安維持を管轄しているのが、エストアズーロっていう組織」
アイドクレズはアザミがターミナルに行ったときに手にした地図に記されていた地名だ。あの人々がごった返す中心部からこの屋敷の辺りまでが、同一の街ということらしい。そういえば、フィエリスが以前にもそのようなことを言っていた気がする。
それよりも今注目すべきは新出の単語の方だろう。エストアズーロ。治安維持を管轄する組織ということは、警察に似たようなものだろうか。
「それでね、アザミちゃんにはそのエストアズーロに派遣される形で、組織のお手伝いをしてきてほしいの」
それが、アザミに依頼された任務の概要だった。
「でも、私なんかが組織に参加して役に立てるんでしょうか? 正直今でもお屋敷でのお仕事を十全に果たせているとは思えませんし……」
自分で言っていて悲しくなるが、事実は事実だ。しかし、フィエリスによるとどうやら他に目的があるらしい。
「誰だって最初は慣れないもんだよ。でもね、そうじゃなくて今回の仕事には一応もう一つの目的があるの。人員補充はエストアズーロ側の目的で、その依頼を受けるなら当然私たち側にも利益が無ければいけない。それが、アザミちゃんが魔法を使えるようになること」
「私が魔法を?」
「そう、エストアズーロは街の中で発生した事件や事故を調査する組織でもあるの。その中にはもちろん魔法に関係するものも存在するから、アザミちゃんが元の世界に戻る方法もひょっとしたらそこから見つけることができるかもしれない。ここからはセロシアさんに代わるね」
フィエリスがそういうと背後に控えていたセロシアが一歩前に出た。
「ここ数日間、アザミ様の魔法の杖をお預かりして、物質の組成や形状について解析していました。その結果、私やお嬢様、ルメリア女史が近くで魔法を使用した際に、魔法の杖からエネルギーが放出されていることが確認できました。エネルギーの量は場合によって変動していましたが、恐らく魔法の使用によって発生する物質への影響力に比例されるものと推測します。私はこのエネルギーを『魔力』と呼称することにしました」
「魔力、ですか」
「ええ、我々は今まで生活の中で、魔法という技術を用いてあらゆる場面に役立ててきましたが、その主なメカニズムは解明されないままになっていました。そのためこの街で暮らす市民の中には、魔法を使用すること自体に否定的な者も存在します。魔法の暴走による事故も数例ではありますが報告されていますから、そういった意見もあながち間違いではないのでしょう。ですが今回観測したエネルギーの解析と、『魔力による魔法の発生理論』が実証されることになれば、長らく不明であった魔法発動のメカニズムについて、何か手掛かりが掴めるかもしれません。魔法技術の安定的な運用が可能となれば、更なる文明の発展も望めるでしょう。そして……」
「ストップ、ストップ! セロシアさん、話題が逸れちゃってます!」
普段見のセロシアからは想像できないような熱弁にアザミが圧倒されていると、フィエリスが慌てて制止に入る。
「失礼しました。ともかく、この魔法の杖には魔法発動時に魔力を感知する機能が備わっているとみています。そしてフィエリスお嬢様の報告から、その魔力をコントロールするような機能も付与されていると推察しました。アザミ様がこちらに召喚されてから間もない頃に一度だけ振るわれた能力です」
言われてアザミの脳内に過去の映像がフラッシュバックする。あの草原での出来事、黒衣の襲撃者に襲われた時に発揮した超人的な反応は、魔力によって一時的に身体能力を向上させていたということか。だが、アザミはその時ただ恐怖で魔法の杖を握りしめていただけで、意識的に魔法を使ったわけではなかった。
「でも、私あの時は夢中で、自分でもどうやったか全くわからないんです」
「ご安心ください。アザミ様には本日から魔法の杖を使いこなせるようにトレーニングを受けていただきます。お入りください、ルメリア教官! 」
「教官ではありません」
セロシアの呼び込みに無感情にツッコミを入れながら食堂に入ってきたのはルメリアだった。相変わらず口調には抑揚が無く、顔に貼り付けられた鉄面皮は眉の一つを動かす気配すら見せようとしない。
「アザミちゃん」
フィエリスが立ち上がって、アザミに宣言する。その瞳には先ほどまでの迷いはなく、明確に未来を見据えていた。
「エストアズーロへの入団は一週間後、それまでに何としてでも魔法の杖を扱えるようになるの。頑張ってね」
朝食を食べ終えてから数十分後、砂塵舞う土の庭の中心に二人の影があった。
一方は紫門アザミ。フィエリスから渡された運動着に着替え、その手には剣の形状をした魔法の杖が握り込まれている。額にはじっとりと汗がにじみ、表情は緊張のせいか固く結ばれている。
対峙するもう一方、ルメリアは普段通りの黒い服装のままで、ただ静かに立ち尽くしている。立ち姿や表情からは何を考えているのかが一切窺えない。高く上る太陽の光など、意にも介さないように涼やかな存在感を放っている。
そしてその二人を離れた位置から見守っているのが、フィエリスとセロシアだった。二人は運動会の父兄の様に日除けのパラソルの下で快適そうに過ごしているので、アザミとルメリアとは対照的にいまいち緊張感に欠けている。
「ルメリアさん、まずは魔法を発動させてください。アザミちゃんは魔法の杖が光りだしたら、なるべくそれを維持するように意識して」
パラソルの下からフィエリスが二人に指示を出す。
「了解しました」
「はーい」
ルメリアはアザミの返事を合図に魔法を発動させる。
次の瞬間、ルメリアの体はアザミの視界から消え、真横にまで移動していた。まるでその間のフィルムがごっそり抜き取られた映画のようである。一瞬にして距離を詰めたルメリアに優しく手を肩に置かれたアザミは、それだけで全身を強張らせてしまう。
「ご安心ください。既に終わっております」
「あ、え、えっと」
ルメリアの言葉で我に返って手元の魔法の杖を確認するが、既に光は消えていた。
ルメリアの魔法は空間転移。
一瞬にして物質を目標の地点まで移動させる魔法だ。しかしルメリア自身を転移させただけでは、魔法の杖で拾える魔力はあまり多くないらしい。
「どうやらルメリアさんの魔法は練度が高くて、ほとんど魔力の漏れがないようですね」
様子を見ていたセロシアが、冷静に状況を分析する。
「そうなんですか? 」
隣のフィエリスが不思議そうに尋ねる。
「はい、通常であれば運動量に応じて消費する魔力量が増加するはずなのですが、ルメリアさんの場合は熟練の技により余分に発生する魔力を極限まで削っているようです。要するに魔力の無駄が少ないと」
「なるほど、それならアザミちゃんに直接魔法を叩き込むのはどうですか?」
「流石お嬢様、聡明でございます。私も同じことを考えていました」
セロシアは日陰から出て、庭の中心にいる二人に次の指示を出す。
「教官、次はアザミ様を転移させてみてください」
その指示に驚いたのは、むしろアザミの方だった。
「ええ、わ、私ですか!? 」
ルメリアはあくまで自然に指示を受ける。
「了解しました。それと教官ではありません」
言い終えると同時にアザミに身体を向けて掌を突き出した。
「少しだけアザミ様を転移させます。慣れないかもしれませんが、手元に意識を集中させて魔力を逃さないようにイメージしてください」
アザミの返事を待つことなくルメリアは魔法を発動させた。アザミの視界が世界を裏返したように瞬時に書き換えられる。気が付くとアザミは既に転移を終えていた。だが呆けている暇はない。アザミはすぐに意識を手元の魔法の杖に移す。
(まだ、光が残ってる……!! )
魔法の杖に意識を集中させ、魔力を維持するようにイメージする。すると風前の灯の様だった魔法の杖の光が、徐々に輝きを取り戻していく。
(やった……!? でも……これは……!? )
しかし、今度は輝きが加速度的に膨れ上がっていき、魔力の増幅を制御できない。このままでは大量のエネルギーが暴発してしまう。とにかく何とかしてこのエネルギーを放出しなければ!!
魔法の杖の柄を握りしめ思い切り振り抜こうとするが、その場に留まった魔力量は甚大ではない。到底少女の細腕のみで振り抜ける重さではなかった。
まずい、どうしよう、死んじゃう、振らなきゃ、重い、魔力が、魔法、…………
刹那が永遠に感じられるほどに、アザミの思考は高速で流れていく。そしてその高速で流れていく思考の中で、一つの言葉がアザミの脳裏に浮かび上がる。
……魔力の、コントロール!!
魔法の杖の中で膨らみ続ける魔力の一部を、腕に送り込むようにイメージする。魔力による身体能力の向上。黒衣の襲撃者を退けた際に無自覚に行った魔力のコントロールを、今度は意識的に発動させる。気づけば少しずつだが魔法の杖が軽くなってきている。
(このままいけば……後もう少し……!! )
危険なのは理解しているが、少しでも多くの魔力を腕に回す。ここまで来れば後は意地だ。
膨らみ続ける魔力と、それを放出するために剣を振り抜く腕の力。どちらかが上回った時に決着が着く。
そして、その瞬間は訪れた。
不意に魔法の杖が軽くなり、アザミの腕が前に押し出された。限界まで増幅した魔力は、その全てが外界に解き放たれる。
視界が光で塗りつぶされた。
限界まで魔力のコントロールに集中していたアザミは、魔力を放出した瞬間に意識を手放しそうになる。
景色も、音も、腕の感覚も、遠い場所に忘れてしまったようにぼやけてしまっている。
やがて、意識を取り戻して現実に帰ってきたときに見た光景は、土の庭に空いた巨大なクレーターだった。
足から力が抜けその場に崩れ落ちそうになるが、ルメリアがその体を支えた。
「お疲れ様です。ひとまず第一段階は合格といったところでしょうか」
「……教官」
アザミはルメリアに身体を預けながら、上目遣いで振り返った。
「教官ではありません」
相変わらずの無表情だったが、その声色は笑っているような気がした。
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