夜明け前 4

 屋敷を出て閑静な住宅地の中を進んでいくと、一つ目の大通りに出た。ここまで歩いてきて分かったことだが、どうやら街並みの景観などはアザミのこれまで見てきた日本のものと、そう大差ないらしい。車も走っているし、点滅する電子看板も見た。魔法の使える世界観なら、てっきり科学技術は発展しないものだと推測していたが、どうやら見込み違いだったようだ。フィエリスの話によると魔法は一人につき一つらしいので、魔法の技術は発展させられなかったと考えれば辻褄の合う状況ではある。継承することの出来ない技術を発展させるのは不可能に近い。

 最初に見た家が中世ヨーロッパ風の豪邸だったので、てっきり街中も世界史の教科書の中でしか見たことの無いような景色だと思っていたアザミにとっては、肩透かしを食らった気分だ。そうなると今度は、フィエリスの屋敷の異様さが改めて際立ってくる。あの年齢であの豪邸に住むのは常識の範囲外にある暮らしのように思うのだが、彼女は一体何者なのだろうか。もしや後ろ暗い仕事を生業としているのではないかという疑念が脳裏をかすめるが、彼女らに施された親切の数々を思い出してそんな考えを一蹴する。手の中にはサンドウィッチの入ったバスケット、背中には魔法の杖を背負いやすいようにと作られた鞘がアザミを安心させるように存在を主張していた。

 いくつかの大通りを超えたあたりで、周りに見える建物は住宅やマンションから商店やオフィスビルへと変化していた。人通りも多く、賑わいが街を席巻している。中心部に近づいてきたようだ。屋敷を出てから二時間半ほどかかったが、徒歩での移動だったことを考えるとそんなに距離があったわけではないのかもしれない。

 流石に歩き疲れたのでどこかで休憩したいと思い辺りを見回すと、針葉樹に囲まれた一帯が目についた。石灰色で塗装された建造物が犇めきあう人工の街の中にあって、自然の色合いを残したその空間は一際異彩を放っていた。奥まで木々が茂っており、まるで小さな森のようである。意を決して足を踏み入れると、ひんやりとした空気が体に纏わりつく。森の中には静寂が横たわっており、奥へと踏み込んでいくにつれて街の喧騒は遠のいていった。

 進んでいくと視界が明るくなり拓けた場所に出た。広場のようなその場所には人影がまばらに点在している。ボールを蹴って遊ぶ少年たちや、それらを離れた位置から見守りつつ談笑に花を咲かせる女性の集まり、散歩に疲れたのかベンチに腰掛けて空を仰ぎ見る老人。広場の隅にいくつか遊具が並んでいる様子から、どうやらここは公園であることが推測できた。アザミも老人の様に近くのベンチに腰を下ろした。荷物を横に置き靴を脱いで足を揉み解すと、力が入りっぱなしだった足の疲れが抜けていくのを感じた。靴を履きなおして立ち上がり、近くの手水場で手を洗う。

 そろそろお昼にしよう。再びベンチに腰掛けて、膝の上でバスケットを開けた。中にはサンドウィッチが並んでいて、端の一つを手に取って口に入れる。公園のベンチでランチボックスを開けていると、ピクニックにでも来ているような気分になって思わずにやけてしまう。

 「ふふ、美味しい」

 セロシアの作ったサンドウィッチの味は無意識に感想が口からこぼれるほどだったが、二切れ目を食べたあたりで満腹感が出てきてしまった。朝におかわりをした所為かもしれない。まだ半分以上も残っているが、後で食べようと蓋をする。一杯になった腹を撫でながらベンチに背中を預けてもたれかかると、自然と上を向く姿勢になって正面に位置するビルが視界に入った。近くの建物は周りが木々に囲まれていることもあって、アザミの位置からでは全く見えないか、見えても頭が木々の先端から少し出ている程度のものが殆どだ。しかし、そのビルだけは他の建物とは一線を画すほど突出した高さで、まるでアザミを見下ろすかのように君臨していた。

 フィエリスは街の中心に駅があると言っていた。このあたりが街の中心部であることは間違いなさそうなので、ここからは駅を探していくことになるだろう。電車なら線路が走っているはずだから、高い場所から見下ろせば探しやすいかもしれない。

 「休憩も十分とれたし、まずはあのビルに上ってみようかな」

 そう呟いて立ち上がるアザミの目は、天を衝かんとそびえ立つ銀色の塔を見据えていた。


 街の中心部に建てられた超高層ビル「フトゥルム・アサヴァトリ」は、様々な施設が一堂に会する大型複合施設である。

 低層階は娯楽や商業を目的とする多様なジャンルの専門店が軒を連ね、中心のエリアは開放的な広場になっているためショッピングにつかれた買い物客達が足を休めている。広場の上方は天井が取り払われて吹き抜け構造になっており、上階から下階の様子を覗くことができる。休日ともなると遠方からも人が押し寄せ、混雑する様子はショッピングモールのような印象を与える。

 高層階にはホテルやオフィスが入居しており、喧噪で溢れかえる低層階とは対照的に比較的静かで落ち着いた雰囲気のフロアが連続している。オフィスフロアには専用のキーを持つ者しか立ち入ることができず、内部の様子は限られた人間にしか知られていない。またホテルフロアには買い取ることの出来る部屋も存在し、一部の資産家の間ではここに住むことがある種のステータスと見なされることもある。

 最上階には展望室とレストランが用意されている。一般客でも入場することができるが、入場には料金が必要なため低層階ほどの人影は見られない。それでも展望室から一望する街の景色は有数の景勝地に数えられるほどの絶景である。

 紫門アザミはそんな高層ビルの一階に佇んでいた。

 ビルに入るなり迷いなくエレベーターに乗り込んで展望室を目指したアザミだったが、入場料が掛かると知り敢え無く断念することとなった。まあ上空からの目視による駅探しができなくとも、聞き込みによる捜査はできるので大した問題ではない。問題は展望室に入場できなかったことではなく、入場できなかった理由だ。

 即ち金が無かった。

 実にシンプルでありながら絶望的な問題である。気付かぬうちに知らぬ世界へ飛ばされていたアザミは、こちらに来る直前まで所持していた持ち物の大半を失っていた。財布についてもその例外ではなく、今のアザミは知らない街を無一文で放浪する家出少女であった。今朝起きてから一連のアザミのうっかりも、ここに極まれりといったところである。頭が真っ白になりながらもパニックを起こさず、なんとか下りのエレベーターに乗り込んで一階の広場に戻って来れたのは僥倖と表現しても大袈裟では無いだろう。

休憩用の椅子に座って項垂れながら自分の愚昧さを恨むしかないアザミであった。そんなアザミを慰めてくれるのは、サンドウィッチの入ったバスケットと背中の魔法の杖だけだ。そうだ、この魔法の杖だけがアザミの唯一の所有物だった。どこかに行ってしまった薄情物の財布やケータイ達とは違って、この魔法の杖だけは私の傍にいてくれる。

 「あなただけは絶対に離れていかないでね。私もう立ち直れなくなっちゃう」

 涙目になりながら宝石の塊に思いきり頬ずりをするアザミ。だが動きが途中で停止する。


 宝石? 塊? ……あ、そっかー。


 浮かび上がる単語を頭の中で数式の様に羅列していくアザミ。そこから導かれる解とはつまり、


 魔法の杖(コレ)、売っちゃえばいいんだ。


 実に合理的で、そしてこれまでアザミの精神的支柱となってくれた魔法の杖に対して一切の思いやりを切り捨てた結論である。しかし背に腹は代えられぬ。

 途端に瞳が失っていた光を取り戻す。先ほどまでの悲壮感に溢れた面影は、もはやどこにも見当たらない。何と浅い絶望であっただろう。そうと分かれば早速売りに行きたいところだが、早計はいけない、まずは家までの交通費を調べなければ。魔法の杖を売り払って金銭を得たはいいが、途中で足りなくなって帰れませんでしたでは今度こそ救えない。

 再起の意思を胸に椅子から立ち上がったアザミは、駅探しを再開するため歩き出す。見た感じ、この建物はショッピングモールの様になっている。ならばインフォメーションがあるはずだ。そこに行けば駅の場所を教えてもらえるだろう。近く置いてあった高層ビル全体の地図が乗ったパンフレットを手に取って、また元の椅子に戻る。

 そうだ、慎重でなければいけない。何の当てもなく歩き回るのはもう終わりだ。自分の成長を感じ、心の中で拳を握る。椅子に座ってパンフレットを開くと、階層ごとに輪切りにされたフロアマップが目に入る。じっくりと舐めるようにパンフレットを睨みつけ、目当ての場所を探す。しばらくパンフレットと格闘していたアザミだったが、ある一点で目線が固定される。ようやく見つけた。

 インフォメーションではなく、駅そのものを。

 超高層ビル「フトゥルム・アサヴァトリ」の内部、その地下フロアに駅は存在した。


 灯台下暗しとは言うが、地下に埋まってしまっていたのでは見つけ出せようはずもない。思い返せばここに来る道中で線路や、その上を走る電車は見かけなかった。電車が地下鉄であるという推測を立てるには十分な証拠が出ていたのだが、今更後悔しても詮無いことである。過程はどうあれ結果として駅を見つけ出すことには成功したのだから、手順として間違っていたとは必ずしも言えない。

 ともあれ、地下フロアに設置された駅の改札前、駅務室にてアザミは電車の運賃を聞くことにした。

 「すみません、お尋ねしたいことがあるんですけど」

 「うん、何だい?」

 応対に出たのは人の良さそうな雰囲気の中年の男性駅員だった。

 「あの、ここから日本に行くにはどうすればいいですかね?」

 「うん?」

 駅員は質問の意味が汲み取れなかったようで、曖昧な返事を返すしかないようだった。アザミは慌てて質問の内容を変更する。一介の駅員に外国への行き方を聞いたところで、駅員も対応に困ってしまうだけだ。まずは情報を小刻みに聞き出そう。

 「すみません、ここから最寄りの空港にはどの電車に乗ればいいですか?」

 「えっと、クーコー? 何だいそれ?」

 駅員が申し訳なさそうに尋ねてくる。

 空港が伝わらない?

 ということは、ここは主要都市からはかなり外れた位置にあるのだろうか? それにしても空港を知らないことなどあるのか? 

 「それに君がさっき言っていた二ホンってのも聞いたことが無いなあ」

 駅員は改めて一つ目の質問にも回答するが、依然言葉の調子は申し訳なさそうなものだ。

 空港も日本も知らない。どうやらかなり辺境の地まで飛ばされてしまっているようである。それにしては発展している様子なのが気になるが……。

 しかし、早速手詰まりになってしまった感が否めない。どうしようと考えていると駅員が折り畳まれた路線図を渡してきた。

 「お嬢ちゃんがどこに行きたいのかわからないけど、この駅から行ける全ての駅が載ってるよ。ちょっと探してみてくれ、もしかすると近くまでは行けるかもしれない」

 「ありがとうございます」

 アザミは受け取った路線図を開いて目を通す。

 「えっと……」

 「ああ、ここは『アイドクレズサントル』だよ」

 見方が分からないアザミの様子を察した駅員が現在地を教える。アイドクレズサントル、……あった、各方位に線が走っている所を見ると、ターミナル駅になっているようだ。ターミナル駅は他にも三駅あって、それぞれコランダムサントル、ハイアシスサントル、ユークレスサントルと書かれている。コランダムサントルは南方、ハイアシスサントルは西方、ユークレスサントルは北方に位置しており、アイドクレズサントルはその三駅から等距離になるように中央に置かれていた。四つの駅名に共通するサントルは恐らく中央の意味だろう。だがアイドクレズ、コランダム、ハイアシス、ユークレスはいづれも聞いたことの無い地名だ。不思議に思ったアザミは駅員に疑問を投げかける。

 「あの、これ以外に電車は走ってないんですか?」

 「そうだねぇ、この電車に乗れば大体の場所は行けちゃうからねぇ」

 これが全て? 

 「この他には街は無いんですか?」

 「主要な街はそんだけだよ、あとは外側に何もない草原が延々と広がってるだけだ」

 「……そうですか」

 アザミは俯いて返事を返す。自然と路線図に目を落とす姿勢になる。

 「大体どの辺りか分ったかい?」

 「はい、もう大丈夫です。ありがとうございます」

 嘘だ。何も分かってなんかいない。何も大丈夫なんかじゃないのに。

 「駅員さん、最後に聞いてもいいですか?」

 聞くのは怖い。それでも何かを確かめるように、僅かな光明を探るように、アザミは目の前の駅員に問い直す。

 「うん? 何だい?」

 「アメリカ、中国、ロシア、イギリス、フランス、メキシコ、ブラジル、エジプト、ナイジェリア、この中に聞き覚えのある単語はありますか?」

 「ははは、全部知らないや、すまないね」

 やっぱり。

 おかしいとは思っていた。これほど開発が進んでいる街で空港を知らないはずがない。日本も、アメリカも、中国も、世界の主要国も、そのうち一つも知らないなんてあり得ない。

 たとえ内側から知ることができなくとも、通信技術が発達し世界中のあらゆる情報を得ることができるはずの現代社会で、外側から一切知られていないなどあり得る筈がないのだ。

 ならば、考えられる答えは一つだろう。

 ここはアザミの知る世界とは隔絶された次元、往来することも干渉することも叶わぬ位相、遥かなる異世界に他ならない。

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