秋心ちゃんの噂

さし

青い醤油の噂

青い醤油の噂(提起編)


「お疲れ様です。先輩、『青い醤油』を知っていますか?」


 いきなり開け放たれたドア。扉が開ききるより前にそんな声が聞こえた。


「ち、ちょっとノックしてよ! 秋心あきうらちゃんのえっち!」


 入り口に立つ後輩ちゃんは汚いものでも見るかのように下着姿の俺を睨んでいる。過失を押し付けられているのがわかった。

 全く最近の若い子はなってないね。

 俺が君の年の頃――まぁ、たった一年前のことだけど――は当時の部長の「どうぞ」が聞こえる前に部室に入ろうもんなら鉄拳制裁が当たり前だったと言うのに。


「すみません、失礼しました火澄ひずみ先輩。

 以後気をつけるとともに、今後あたしの前で裸体を晒したら殺す」


「不可抗力だっつーの! 好き好んで裸を拝ませたいわけじゃないわ!」


 理不尽な殺害予告を受け止めながらいそいそとズボンの裾に足を通す。

 そんなに見たくないなら一旦出て行ってくんないかなぁ。そもそも赤面とか悲鳴のひとつでも上げてくれればまだ可愛げがあるってもんなのに、ここまで淡白なリアクションを見せられた日には、パンツ一丁のあられもない姿を見られた甲斐がないよ。


「何故、半裸なんですか?」


「見ての通り着替えてんだよ」


 本日の六限目が体育であり、うっかりすっ転んで保健室で手当てを受けていたために、放課後のロングホームルームまでに着替えが間に合わなかったことを説明した。

 両膝と右肘と、あと左の頬に貼った絆創膏についての経緯も合わせて説明できて一石二鳥だね。

 慌てているためか、ボタンをちぐはぐに掛け違えてしまい、またひとつひとつ外していく作業に移る。

 秋心ちゃんの舌打ちが怖いので、お着替えの途中ではあるが話題を戻すことにしよう。


「ところでなんだっけ?」


「あたし、先輩の事を殺したいんです」


「それ、日頃から考えてる事だったの!? うっかり一過性の感情なのかと勘違いしちゃったよ!」


 ツッコミと着替えの両立は難しいなぁ。話題の軌道修正も叶わなかったし。

 擦り傷に衣が擦れる甘い痛みを我慢してやっとのこさ着替えが完了した。


「お待たせ。で、なんの話だったっけ?」


「だから、先輩に死んで欲しいんですって。聞いてましたか? 殺しますよ?」


「もういいよ! 秋心ちゃんの殺意と決意は十分伝わってるからそんな何回も言わなくていいよ! どうせ何時かは死ぬから気長に待っててくれよ!」


 せっかく何度も話題を仕切りなおそうとしているのに。

 なに? 当初の話題より俺への殺害衝動の方が大きいの?

 ショック、火澄先輩超ショック。

 このままでは話が進まないと悟ったのか、秋心ちゃんはやっと本題に進み始めた。


「『青い醤油』の話ですよ。クラスで男子が話していたんです。聞いたことありますか?」


 初耳も初耳である。

 醤油は青くないのである。基本、醤油は黒いのである。

 俺は基本に忠実な男なので、黒い醤油しか飲んだことはない。いや、飲んだことないよ。それ死んじゃうやつだよ。


「秋心ちゃん、また変な噂拾ってきてからに。

 やだよ俺。もう厄介事に首突っ込むのはごめんだよ」


「身近に潜む噂や謎を追求し解明。そして人々に安寧な生活を取り戻すのが、我々真倉北まくらきた高等学校オカルト研究部の使命でしょう?」


 いや知らん、そんな使命知らん。不思議の国のアリスのあらすじと結末くらい知らん。


「最近噂になっているらしいですよ。

 スーパーなんかでお刺身やお惣菜を買った時にお醤油が付いてくるじゃないですか。その中に、青い醤油が入っていることがあるんですって。

 それを口にすると体の不調や怪我が治るらしいんです」


 うわぁ、聞いてないのに説明をはじめましたよこの後輩。

 いつもこれだから困るんだよなぁ、どうせこのまま調査しようとか言い出すんだよ。秋心ちゃんってそういうとこあるよね。火澄先輩、そういうの良くないと思う。


「良いじゃん、別に悪いことないじゃん。ほっとこうよ」


「でも、気になるじゃないですか。

 そんな不思議なことが本当に起きているのなら、是非とも秘密を解き明かすべきです。万能の薬の開発に繋がるかもしれませんし、その怪我もたちどころに良くなると思いますよ?」


 もっともらしい事を言ってはいるけど、君さっきまで俺を殺そうとしてたからね?


「ただの噂だし、どうせそんなのデマだって」


「ではその真偽を確かめる必要がありますね」


 一歩も譲る気はないらしい。


「お願いします、先輩の力が必要なんです。

 これは我々オカルト研究部の、強いては部長である火澄先輩の力が無くては解決できない事件なんですから」


 事件って言うほどのもんかいな。

 頼りにされるのは嫌いじゃないけど、毎度の事マジのマジでめんどくさいし本気で勘弁願いたいんだよなぁ。


「さぁ、調査に行くか死ぬか、どちらか選んでください」


「うん。選択肢に物騒な単語を織り交ぜるのはやめな?」


「価値の無いものを処分してなにが悪いんです」


 へ、へいへーい! そんな当たり前みたいな顔するな! 悪意が感じられない分タチが悪いし怖いぞ!


「なぁ秋心、俺のどこがそんなに気に食わんのだ。もう服だって着てるし、ひとりでお着替え出来たんだよ?」


「全部です。特にそのやる気無さ気な態度があたしに懲役を覚悟させます」


 こやつの眼……真っ直ぐな信念を持っておるな。お主、強くなるぞ。

 でも目標が俺の死なんだから笑えないなぁ。


「ほ、法に触れる事は良く無いと思います!」


「流石、経験者の言葉は重みが違いますね。免許の更新の時に見せられる交通事故加害者が語る心の呵責を聞いた時に似た感情を覚えました。

 なんとか合法的に殺害する方法を探してみます。ありがとうございます」


 一応弁解しとくと、僕はやってません。無罪です。前科ゼロ犯です。

 冤罪ってあるんだね。

 てか、やっぱり俺の事殺すつもりなんだね。

 あと君、免許持ってないだろ。


「あんまり人を殺すとか言っちゃダメだよ?」


「安心してください。火澄先輩以外には口が裂けてもそんなこと言いません」


 なんも嬉しく無い。


「あたしがこの世で死んでいいと思っているのは火澄先輩くらいなので」


 まぁ、なんて博愛主義! 全人類(俺以外)に対する愛を感じるわ! 俺、可哀想すぎるね。


「なんだかんだで結局協力してくれる火澄先輩の事が大好きですよ」


 まだオッケー出してないのに。

 でも殺されるのは嫌なので最終的には付き合うことになるんだよなぁ。あと、そんな魔法の醤油があれば、万が一秋心ちゃんに刺された時にも安心できるからね。

 うわぁ、ネガティブな協力動機!

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