シキガミアスタリスク
鹿賀逢世
短編 怪(アヤシ)は人の傍らに
───私だって、あんなの信じたくない。
目の前で、だって、そんな。
あんな化物がこの世に存在するなんて。
しかも...私の実の姉を喰い殺しただなんて。
───────────────────
警官「それで、お姉さんは目の前で...」
紫穂「...はい。私の目の前で引き裂かれたんです」
警官「で、それが化物の仕業だと?w」
紫穂「...はい」
警官は薄ら笑いで、小馬鹿にしたように言う。
わかっている。信じられる訳が無い。
目の当たりにした私でさえ信じられていないのに。
警官「あのねぇ、おばけなんて非科学的なもの信じてるの?君もう高校生でしょ?」
紫穂「......」
警官「いくらお姉さんが殺されたのがショックでもね、事情聴取に嘘吐かれちゃ困るんだよ...」
警官がそこまで言った所で、部屋の扉を勢い良く開ける音がした。
入ってきたのは30代程度の男。髪をオールバックにした小綺麗な格好をしている。
警官「こ、小駒巡s...」
警官が言いかけたのを小駒と呼ばれた男が遮り、食い気味に紫穂に質問してきた。
小駒「君、そのお姉さんを引き裂いた化物って、もしかしてこんなじゃなかったか」
小駒が見せてきた絵には、紫穂も見たあの真っ黒い...胎児のような形をしたおぞましい怪物が描かれていた。
紫穂「そっ...それです!!それ!!なんで...!?」
小駒「......君も、見てしまったんだな」
紫穂「えっ?」
警官「ちょっ、小駒巡査!取り調べ中ですよ...!?」
小駒「取り調べは終わりだ!彼女はこちらで担当する」
警官「えっ、そんな急な...」
小駒「高山紫穂さんだったよね?少し来てくれないか」
来てくれないか、という疑問形の言葉とは裏腹に手を掴まれ連れていかれる。
紫穂「あっ、の...ど、どこ行くんですか」
小駒「君が見たのはバケガミというものだ」
紫穂「バケガミ?」
小駒「人の感情から出来る化物らしい...詳しくは俺も知らない、だが」
紫穂「だが?」
小駒「そいつらを駆除出来るのはあいつだけだ...それだけはわかる、だからその人の所へ行く」
紫穂「えっ、あの人喰いの化物を駆除するんですか!!?」
小駒「そうだ、俺も最初は信じられなかったよ!だがな、あの化物に喰われて死んだ人を救うにはあいつに頼るしか無いんだよ!!」
紫穂「......あいつ、って...?」
小駒「......『式鬼神遣い』だ」
紫穂「式鬼神...?」
初めて聞く単語だ。式神と言うくらいだし陰陽師か何かなんだろうか。
と、小駒がその考えを見透かしたように言う。
小駒「陰陽師から派生した専門職らしい。式鬼神と符術を使う」
紫穂「...かなりスピリチュアルというか...怪しいですね...?」
小駒「あの化物に遭ってもまだそんな事が言えるか?」
紫穂「......そうですね、それもそうでした」
小駒「ここだ」
小駒に連れられて来たのは、事務所のような所だった。
簡素な部屋に机とソファが応接間のように用意されている。
小駒「ここで待っていてくれ、さっき連絡したからそろそろ来るハズだ...」
「おっそいよ阿呆」
声の方を見やると、いつの間にかソファに人が座っている。
さっきは誰もいなかったハズなのに。
しかも座っているのは私とそう歳も変わらなそうな若い女の子だ。
肘掛けに寄り掛かり、反対の肘掛けに足を載せて足を組んでいる。
小駒「すまない、彼女が依頼人だ」
紫穂「え?依頼人?」
「なんだ、そいつから説明は聞いてないのか。相変わらず口下手な奴」
女の子は偉そうな態度でにやりと笑う。
小駒「電話してすぐに来たんでな。俺は仕事に戻るぞ、後は宜しく」
「ハイハイ、じゃーね」
面倒臭そうにひらひらと手を振る女の子。
小駒が出て行くと、女の子がこちらを見た。
切れ長の瞳に軽くウェーブのかかった黒髪、ショートカットの短い髪を後ろで括っている。
パーカーにズボンというズボラそうな格好だ。
「で、高山紫穂サンだっけ」
紫穂「あっ、はい、そうです」
「ん、私は満島波切。よろしく」
紫穂「よっ、よろしくお願いします...?」
波切「お姉さんが被害に遭われたんだよね、場所は何処?」
紫穂「…石黒町三丁目の…住宅街だったと思います。あっ、ボロっちいカーブミラーと街灯がありました」
波切「ふぅん、住宅街か」
更に質問を重ねてくる。
波切「時間帯は?それから、その化物の大きさも」
紫穂「えっと...時間...は、午後...8時...?くらいだったと思います...大きさは...電柱の半分より大きいくらい...?」
波切「あい、ありがと。質問はこれで終わりだよ」
紫穂「えっ?もういいんですか?」
波切「これ以上聞いたって君も困るだろ」
紫穂「そ、それはそうですけど」
波切「時間と日付からして多分決まった発現条件があるから...今夜再現してみようか?」
紫穂「えぇ!?今夜ですか!?」
波切「予定があるならずらしてもいいよ?」
紫穂「い、いつでもいいんですか?」
波切「偶数の日付と午後8時ならね」
紫穂「……明後日が大丈夫だと思います…急だったから驚いただけで...」
波切「そうかい。じゃあ明後日、8時前にこの事務所に来て。今日は君の家まで送るから」
紫穂「えっ、大丈夫ですよ、お互い女性ですし満島さんも危ないでしょう」
波切「大丈夫大丈夫、護衛がちゃんといるからね」
紫穂「...?」
波切「さ、行こうか」
波切が事務所の扉を開けると、細い裏路地に出た。狭くて仄暗い、野良猫なんかが通ってるような路地だ。
紫穂「こんなとこから...」
波切「こっち側が警察の方行く大通りに繋がってる道ね、んであっちが森側」
紫穂「あ、じゃあこっちだと思います」
波切「はいはい」
その路地を抜けると、見覚えのあるいつもの道へ出た。
紫穂「こんなとこにこんな路地あったんだ...」
波切「人間の認知ってのはツメが甘いもんさ」
紫穂の家へ向かう道を2人で歩く。
紫穂「......あの、満島さんは...式鬼神遣い、って」
波切「そうだよ」
事も無げに言う波切。
実際、波切には大した事では無いのだろう。
紫穂「...どんなお仕事なんですか?満島さんも私と歳、あまり変わりませんよね?」
波切「そうだね、学校通いながらだし。文字通り式鬼神使って、バケガミっていう化物倒す仕事だよ」
紫穂「......命懸け...ですよね...?」
波切「自分の身を惜しみながら他の者の命を奪える訳が無いだろ。死ぬ時は死ぬさ」
紫穂「......そう...ですよね...」
波切「そういう仕事だ、好きでやってんだから気にするなよそんな事」
あまりにもあっけらかんと、真顔で言われた紫穂は、少しその式鬼神遣いと名乗った少女に恐怖を覚えた。
紫穂「し...死ぬのが怖くないんですか...?」
波切「怖いよ」
紫穂「...怖いのにやってるんですか?」
波切「...じゃあ」
突然波切が立ち止まり、くるりとこちらを向く。
紫穂「...?」
波切「君のお姉さんは化物に引き裂かれるの、怖くなかったって思うの?」
思わず固まった。
泣き叫び血で塗れた姉が脳裏に焼き付いて離れないのに。なんて無神経な、と瞬時に頭に血が登った。
波切は話を続ける。
波切「そういう人達を、化物の存在すら知らない人達が救えるの?」
無表情のままこちらを見据えた波切は、冷たく紫穂を見ていた。
波切「......人間ってさぁ」
紫穂「?」
波切「誰かがやってくれるだろうって、他の奴がいるって思ってるうちは誰もやんないんだよ」
紫穂「......」
波切「追い詰められて誰もいないからって、自分がやるしか無いからやるのさ」
波切の黒髪が闇に溶けるように見える。
この人が、怖い。そう感じた。
波切「それだけだよ。ほら、ついたよ」
気付くと家の前についていた。
紫穂は慌てて礼を言い、軽く会釈して家に入った。そして、その後気付いた。
紫穂(あれ...私家の場所教えてないよね...?警察の人から教えて貰ったのかな...)
時計は9時を指していた。道程は少し長く感じたのに、事務所を出てから20分も経っていなかった。
────────────────────
翌翌日の7時半...事務所に来た紫穂は、異様な光景に何も言えなくなっていた。
テーブルの上にはよくわからない字のようなものが書かれた紙が何枚も置いてあり、昨日知り合った式鬼神遣いの少女は手のストレッチのようなものをしている。
紫穂「あの...」
波切「ああ、来た来た。行こうか」
波切は紙を掴むと歩き出す。
紫穂「こっちです、ここの角に...」
波切「うん、時間もそろそろだね...んじゃ、始めようか」
そう言うと波切はさっきの紙を取り出した。
紫穂「それは...?」
波切「符だよ。術符。陰陽師みたいな技が使えるの」
紫穂「...?」
波切「まあ見ててよ。面白いだろうから」
そう言うと波切が何か指で形作り、符を指に挟んで立てる。
すると、その符が光った。
紫穂「...!?ど...どうなってるんですか、これ...?」
波切「発!」
波切が叫ぶと、光が強くなる。
思わず目を細めてしまう。
光が収まり波切の方を見やると、波切は髪の長い20歳くらいの女性になっていた。
紫穂「えっ...えっ!!??」
顔も身長も、髪も、全部変わっている。波切は何処へ行ったのかときょとんとしていると、その女性が波切の声で喋る。
波切「どうだい、面白いだろ」
紫穂「み、満島さんなんですか」
波切「そうだよ。君のお姉さんもこんな格好、してなかったかい」
紫穂「......!してました...確かに」
波切「さぁ、来るよ。隠れててね」
紫穂「はっ...はい」
紫穂は少し離れた電柱の影に隠れて様子を見る。
波切はその化物が出た電柱の前を、ゆっくりと通った。
と、波切の足や肩に黒いものが絡む。
紫穂「ひっ...!?」
あの時と同じだ。あのまま、掴まれて引き裂かれる。
紫穂は瞬間的にそう思った。
そしてその通り、その黒いものは掴むようにまとわりつき、肩や足を引っ張った。
紫穂「みっ...満島さ...!」
波切「『人から生まれし人ならざる者共よ』」
波切が本を朗読するように、高らかに言い始める。
波切「『汝等哀しき怪(あやし)に、清めと祓えの儀を致す』」
黒いものが渦巻いている。あの化物が来る。
波切「『誘宵』!!」
波切が一際大きく叫ぶと、波切の右手が一気に黒く染まった。
紫穂「...!?」
よく見ると、波切の右手は黒くなったのではなく文字で埋めつくされていた。
その右手で印を結ぶと、ぶわぁっと風が巻き起こった。
離れて見ている紫穂ですら吹き飛ばされそうな勢いだ。
その風の中心に、獣が見えた。
3m程もある大きな、月のような色をした獣。
煌めく銀とクリーム色を混ぜたような色の毛皮と、長い尾と耳。
兎と鼬を掛け合わせたようなその美しい獣は、宙を舞い黒いものを喰った。
がぶり。
獣に黒い塊が飲み込まれるのが見える。
...とても美しいが、どこか恐ろしかった。
────────────────────
波切「...サン、高山サン。終わったよ」
紫穂「はっ...?」
気付くと家の前に立っていた。
紫穂「あれ、私、あれ」
波切「......お姉さん、もう苦しまなくていいんだよ。終わったの」
波切が優しく、そう言う。
紫穂「......お姉ちゃん...」
そうか。終わったんだ。
あの化物は、あの獣は、あの光は
本物だったんだ。
幻なんかじゃない。喰い殺された姉も、あの化物も、全て。
私の見たものだ。感じたものだ。
あの化物はもういない。“あそこには”。
でも確かに存在していた。……何かが。
私は忘れてはいけない。そう思った。
波切「闇はね、人をかどわかすのさ。見つめてはいけないよ、引きずり込まれるからね」
紫穂「......もう、式鬼神遣いさんには...満島さんには会えないんですか?あの事務所に行けば会えますか?」
波切「......さぁ、どうかな。君次第じゃない?とりあえず依頼は達成したし。報酬は払っといてよね、あの君を連れてきた人に聞いてサ」
紫穂「えっ、あっ、はい」
波切「んじゃあ、......良い夜を。じゃあね」
紫穂「...はい」
紫穂が家のドアを閉める直前、波切が闇に溶けるように消えたのが見えた。
────────────────────
化物も、非科学的なものも、確かに存在する。
あの後、事務所の場所に行こうとした。
だが事務所のあった細路地は見つからず、会えずじまい。
警察で小駒さんには会ったが、「あいつは気まぐれだからなぁ」と困ったように笑っていた。
貴方も信じられない事に直面する事がいつか、あるかもしれない。
でも、考えてみて欲しい。
貴方の見ている世界だけが、この世界じゃない。
闇に目を向ければそこには確かに、何かが蠢いている…。
困った時は、扉を叩いてみて。
きっとにやりと笑う、不思議な少女が助けてくれる。
あの獣と一緒にね。
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