病院…風香の気持ち

数時間前まで真っ暗な闇夜だったはずの世界が、今は美しい白銀の世界へと変貌していた。


…いつから降り始めたのだろう?私が寝る前は雪なんて積もってなかったのに


タクシーの中から窓の外を眺めていた小倉風香は立花総合病院に彩花と急いで向かっていた。

暖かい車内の中、白く輝いた雪を見つめながら風香は悩んでいた。


…あの時に私が先生に電話をすればこんな事にはならなかったのかもしれない…


あの時、マンションの部屋でしばらく先生の帰りを彩花と一緒に待っていた彼女は、22時を過ぎても先生が帰ってこなかった先生を心配して電話をかけようとした。でも、彩花がそれを引き止めた。


『先生も大人の男なんだから心配しなくても大丈夫よ』


…先生だって1人になりたい事もあるか


彩花の一言に納得をしてしまい電話をしなかった。

それでも起きて待っているつもりだったのだが理事長が殺された事件の疲れもあって風香はその30分後には眠りについていた。

そして、眠りについてから2時間経った午前0時30分過ぎ、スマホの呼び出し音が鳴りたたき起こされた。


タクシーが病院の正面玄関前で止まり風香はお金を払い降りた。もちろん深夜なので玄関のドアなど開いてない、彩花の道案内で夜間救急の入り口へと向かっていた。


「寒いわ、彩花。この格好はやっぱり」


雪がしんしんと降り続く中、傘をさして歩く風香が彩花に毒吐く。


『私は寒くないけどね。まぁ、その格好じゃしょうがないんじゃない』


風香の格好はジャージ姿にダッフルコートを羽織っただけの姿だった。


「だって村重先生が、麗奈が麗奈が…刺されたって泣きながら電話して来たんだよ…そんな事、起きてすぐに電話で言われたら私だって気が動転するわよ」


実際に風香はそのあとすぐ部屋の電話から110番にかけようとして、1人冷静だった彩花に『ここで電話してどうするの?』とつっこまれていた。

彩花のおかげで冷静さを取り戻した風香は泣き叫く先生から何があったのかを事情を聞きだしタクシーを呼んだのだ。

ただ、先生の尋常じゃない泣き方に自分の格好まで気にする余裕がまったくなかったのは確かだった。


『入り口はここよ』


彩花の指差した場所には正面玄関ほどでかくはない入り口があり、夜間救急入り口と書いてある。風香は外の冷たい寒さから早く逃がれたい為、急いでその入り口から病院に入る。

中に入るとすぐに夜間受付の窓口があり、その前にある待合スペースには赤ちゃんを抱いた若い夫婦や、自分の母親であろう人に付き添っている壮年の男性など他にも数人の人が座って順番を待っていた。


「どうかされましたか」


ジャージにコートだけ羽織ったの女の子が窓口の前で立ち止まっていた事を心配したのか、50代ぐらいの男性事務員が優しく風香に声をかけてきた。


「あのー、すいません。先程ここへ救急車で運ばれた女性の友達なんですが」


「先程ですか、ちょっと待ってください確認するので」


そう言うと事務員はどこかに確認しているのか窓口のある部屋から電話をかけていた。確認が終わったのか男性事務員はすぐに電話を切り風香を呼んだ。


「今、第1手術室らしいので私がその前まで案内します」


事務員に連れられて病院内の薄暗い廊下を黙って歩いていた風香は怖くてビクビクしていた。この病院には何度も来たことはあるはずだが、昼間とは違い夜間の病院には妙な寂しさと静けさがある。

それじゃあ彩花は?と問われるかもしれないが彼女は別なのだ。そんな彩花を風香が見ると彼女は嬉しそうに壁に手を振っていた。


……ねぇ彩花?…誰に手を振ってんのよ。


そんな風香の怯えを感じたのかどうかは知らないが事務員が彼女に尋ねてきた。


「そういえば、一緒に付き添ってきた男性の方も知り合いですか?」


「え、あっはい知り合いで学校の…」


…しまった余計な事を言ってしまったかも


怯えていたところに突然話を聞かれたからそこまで頭が回らなかった。

あたふたしている風香を見て事務員のおじさんは笑顔で静かに笑った


「心配しなくていいよ、学校の先生なんだよね。あそこにいた人間はみんな知ってるよ」


風香がどうして?という顔で事務員を見る。


「窓口のすぐ後ろが救急や急患の人の簡単な広い処置室になっているんだよベットもあるしね。そこへ、救急車に乗って搬送された君の友達と付添いの先生が入ってたんだ」


事務員のおじさんが一呼吸する。風香はじっと耳を傾けて聞いていた。


「窓口業務をしていた僕に看護師が助けを求めてきたのはそのすぐあとだったかな。部屋から出ると大声で泣きわめく男性の声が聞こえてきて、「僕は彼女の学校の先生なんです」「彼女、麗奈を助けてください」「何で麗奈が」って叫んでてね完全に君の先生錯乱してたかな。それを医師や看護師が取り抑えきれなくておじさんが呼ばれたんだ」


「どうして呼ばれたんです。おじさんが?」


「僕は退職して今は事務仕事してるけどね、こう見えて昔は警察官だったんだよ。」


「え、そうだったんですか!」


「それで警備員も兼ねていた僕が君の先生を取り押さえて落ち着かせたんだ」


「なんだかすいません。ご迷惑をおかけして」


「いや、別に君が謝る事は必要はないよ。なんかアレだな…君が先生の保護者見たいだな」


風香は恥ずかしくなり下を向いておじさんの話を聞いていた。


「先生も必死だったんだろう。服は真っ赤に染まって手や顔にも血がついていたから」


「怪我をしてたんですか先生も?」


「最初は僕もそう思って先生に聞いてみたんだけどね。そうしたら先生からは違う言葉が返ってきた」


「なんて言ったんですか?」


「彼女を自分の服で止血して、後ろからずっと抱きしめていたらしい」


事務員のおじさんは自分が言った言葉に恥ずかしくなったのか苦笑した


「まぁそのなんだ。先生の尋常じゃない泣き叫びにみんなうすうす感じてはいたんだが…学校の先生と生徒というそんな単純な関係だけじゃないだろうと。ただ、僕達もそれで先生を咎めたり誰かに言ったりなんて事はしないし、逆に先生はそれでも君の友達をずっと守ろうとした。」


「………」


…きっともう特別な関係なんだろうな先生と麗奈、今の話を聞いちゃった感じ。でも、なんだか刺された麗奈には悪いんだけど、麗奈がとっても羨ましく思える…


「君も先生の生徒なんだよね」


「はい」


「だったら少しだけ先生の側についてあげてやってくれないか?さっきよりはだいぶ落ちついてきたが、…心配なんで今はまだ看護師を1人つけてあるんだ」


「わかりました」


「警察連中には僕の方から話を入れておくからまだしばらくは来ないと思う。…すまないね結果的に君に任せるような形になってしまって」


「いいえこちらこそ、ここまで私達の先生の事を心配していただいて感謝しています。ありがとうございます本当に」


「君は若いのに、よく出来た子だな。僕の息子を紹介したいぐらいだ。でもまぁ、あいつにはもったいなさすぎるかな君は。…僕の方がまだましかもしれないな」


「私なんかまだまだですよ」


おじさんの冗談を冷静に返した風香だったが笑って真顔で話すおじさんを見ると


…この人どこまでが本気なんだろうか?

と本気で心配になっていた。


手術室前の廊下についたおじさんは看護師と早々に立ち去った。

あとに残された私と彩花は別々の場所から村重先生の様子を見ていた。私は先生の真横に座って彩花は先生の目の前で仁王立ちしている。


…彩花ぁ…あんたなんで仁王立ちしてるのよ。


先生は私達が来てからもいっこうに喋らない。私はさっき看護師の方から「寒いだろうから」と貸して貰った毛布にくるまっていた。

時計の針は既に午前3時過ぎ、手術室のランプはずっと点灯したまま麗奈がここに運ばれてから軽く2時間半は経っていた。お互いに会話は無く静かに時間だけが過ぎていく。

毛布に包まり、私はもう一度先生の様子を伺った。

村重先生の服は元の色が分からないくらい真っ赤に染まっている。手や顔には、タオルで拭きとられてはいたが血の痕跡も見てとれた。

私がこの姿を最初に見た時は驚いた。事務員のおじさんから話を聞いてはいたもののそれは私の想像以上だったから…。

でもそれと同時にその時、私に別の感情がでてしまったのは不謹慎なのかも知れない。

麗奈の生きている証しを全身に染み込ませた先生、それが2人の運命、…赤い糸のようにも感じられる。私が乙女的な考えを持った子ならそうだったかもしれない。

ただ、私の考えは違っていた。見た目の容姿とは違いそこまで乙女的な思考回路は持ち合わせていない私は、もっと別の言い方を思いつく


「血と血で結ばれた永遠の愛」


そんな事を思ってしまった私は2人に嫉妬さえ感じてしまった。

私はもう一度先生に優しく声をかけた。


「村重先生、大丈夫ですか?」


「………」


…やっぱり先生よほど精神的にショックだったんだろうな


「麗奈ならきっと大丈夫ですよ。助かりますってあの子案外しぶといから」


「………」


…生死をさまよっている親友にひどい事言ってるな私…


先生からはまだ一言も返事が返ってこない。ずっと先生の前で仁王立ちしていた彩花は私の方に目で合図を送り無言のまま手術室の中へと消えていった。


…私に任されてもなぁ…。


はぁー、深々とため息を漏らす。


「…先生、先生は麗奈の事どう思っているんですか?麗奈が好きなんですか?」


…私は一体なんでこんな事を聞いてるんだろう?


「先生と麗奈の間にどんな事があったのか私は知りませんが、麗奈が今1番逢いたがっているのはきっと先生なんですよ。分かりますか?その麗奈がもう一度先生に会う為、一生懸命になって生死と向き合って戦っているんですよ先生!」


ずっと黙ったままの先生を見て、私は感情を抑えきれなくなってきた。


「目の前で愛している彼女が刺され、血だらけになって倒れていくそんな光景を見せられたら、確かに誰だって気が動転します。それは私にだってわかります。私だって、私だって大好きだった親友が死んでいるのを最初に発見した本人なんだから!だから、…だからその気持ちは痛いほどよくわかります。」


目からは涙が溢れてきていた


「……でも、でもですよ先生。麗奈は彩花と違ってまだ死んではいないんだから…生きる望みだってまだあるんだから!それなのに、なのに…先生がそんな絶望的な感じでどうするんですか!しっかりしてくださいよ、村重先生!」


涙が頬を伝い、毛布に小さな染みを作っていく。

悲しくて、悔しくて、苛ついて、切なくて色々な感情がごちゃ混ぜになった私はうつむき泣いていた。

泣いていた私に我にかえったのだろうか隣にいた先生から弱々しい声が聞こえた


「……ごめんな小倉。」


涙が止まらない私はまだ下を向いていた。


「ごめんじゃないですよ…先生。…私にこれだけ心配させて」


「本当にすまない。……教え子に叱られるようじゃ…俺も教師、失格だな」


「そうですね。教師失格ですよ先生は…。教え子をこんなに泣かすなんて」


私は涙がまだ止まらない。見上げてみると…先生もまた、目から涙が溢れていた。

そのまま無言で先生に近寄った私は麗奈の血で染まった先生の胸を借りて大泣きをしていた。

そして村重先生もまた泣いている…。

静寂だった病院の廊下にはしばらくの間、

私と先生の泣き声だけが響き渡る。

これだけ泣いたのは彩花が死んだ時以来かもしれない。

どれだけの時間泣いていたのだろうか?

泣き疲れたは私は静けさを取り戻した廊下でいつの間にか寝てしまったらしい。

目が覚め気づくと先生に寄り添い身を任せる形になっていた。


「…小倉、起きたのか」


「…はい。…すいません寝てしまって」


「別に気にしなくてもいいよ」


優しく私に話しかける先生


「大丈夫ですか先生は…寝てなくて」


「俺はずっと麗奈の帰りを信じて待っていたいから、寝なくても大丈夫だよ」


「…そうですか」


「それより小倉、…少しだけ俺の話を聞いてくれるか」


「…はい」


「小倉は軽蔑するかもしれないけどな俺の事」


「はい。そのときはそのときです」


「ありがとう。そう言ってくれるとたすかるよ」


そう言って先生は、私に過去の彩花との思い出と現在の麗奈との関係を分かりやすく説明してくれたのだった。

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