感情的な麗奈…舞い降りた白銀の妖精


昌幸は桜川学園の車専用出入り口に着き教師専用のIDカードを読ませ門を開け少し走らせた駐車場に車を止めた。学園の職員駐車場は校舎から少し離れている為、歩かなければならない。車内に置いてあるコートを羽織り車を降りる。

時刻は21時、生徒はもちろんだが教師も今日に限っては残っていないようだ。普段ならこの時間まだ駐車場に車が残っている方が多いのだが、その事は昌幸もあまり気にしてはいなかった。


…理事長の件でみんな疲れてたのだろう。


水嶋理事長の死体が発見された土曜日の朝、学園は臨時休校になったが、当然教師は全員残らされた。教師一人一人に警察からの事情聴取もあったうえに、学園の今後についての話し合いを深夜0時過ぎまで話し合っていたのだ、そして日曜日も休みのはずだったが保護者集会などで教師全員が出勤していた。当然、全員疲れてただろう。その為か、昌幸も普段は忘れるはずがない答案用紙を取りに来ているのだが…。

月明かりと等間隔に並んでいる街灯を頼りに昌幸は校舎へと向かう。


…今年は暖冬のおかげであまり寒くないな、助かるよほんと寒いの苦手だから俺。


そんな事を思って歩いていたら急に冷たい風が昌幸の体に吹き付ける。


「寒、やっぱり寒いな。」


風の冷たさに思わず声が出てしまった。風が吹き付けるので足早に校舎に向かおうとする昌幸の耳に女性の声が聞こえた。


…風に流されたのだろうか、さっきまでは聞こえなかったのに…。誰かいるのか?


声が聞こえた方に足を向け歩いていると、初めは誰かの話し声だと思っていたが近づくとそれは歌声だった。

昌幸はこの歌に聞き覚えがあった。彩花がよく口ずさんでいるあの歌だ。


…彩花か?違うな、声が違う。

…でもこの声には聞き覚えがある。一体誰だ?


誰かを思い出せないまま、歌声の発生源である噴水の前に着いた。


「…大友」


急に後ろから呼びかけれた私はビクッとして振り向いた。


「…村重先生」


私は安堵の表情を浮かべ悲しげに先生の名前を呼んでいた。


「大友、大丈夫か?こんな所にいたら風邪ひくぞ」


俺は教師として注意する前に麗奈の体を気遣った。目の前にいる彼女は俺の知っている麗奈ではなく弱々しく怯えている女の子にしか見えなかった。


「あ、ありがとうございます先生。…でも大丈夫です」


「生徒がこんな時間に!」と怒られるかと思った私は予想外の言葉に返答が詰まった。大丈夫だと反射的に応えはしたけど先生は大丈夫だと思ってないだろうなきっと…。

私がじっーと先生の次の行動を観察していると、先生は近くの自販機からホットカルピスを買って渡してくれた。


「はい、これでまずその冷えた手を温めたらどうだ」


渡されたホットカルピスを手に持っていた私は手が温められると同時に心が熱くなる感じがした。先生ともう少しお話しがしたい。本当なら理事長が死んでいたあの日に私はこの人に抱かれているはずだった。自分の気持ちを確かめるために。


「優しいですね。先生」


「もう、俺のことは呼び捨てにしないのか?」


村重先生が優しい口調で聞いてくる。


「あの時は彼氏と彼女の設定でしたから」


私は目の前で立ったままの先生に声をかける。ベンチには決して座ろうとしない先生。


…やっぱりあの日の事を意識してるのかな


私とキスをしてしまった事、そしてそれ以上の関係を持っていたかもしれない事を。


「先生、私のお話しを少し聞いてもらえませんか。立ったままでは悪いので私の隣に座って聞いて下さい」


今迄の流れから見るときっと先生は私の誘いを断われない彼は優しいから。先生は腕時計をチラッと見て渋々座った。本当は私を早く家に帰したかったのだろう。でも今は帰りたくなかったし、先生にも帰ってほしくなかった。


「それで、どんな話かな?」


「先生?私の噂はご存知ですよね」


村重先生のおかげで少しは気持ちが楽になったが悩み事は解決していない。その相談を先生に聞いてほしかった。


「あー、それか。ある程度はね」


先生は言葉を濁した。


「あれは、全て事実ですね」


私ははっきりと断言した。なんか、実際に話すと妙に気恥ずかしい。


「でも、全て事実と言うと誤解されそうなので言っときますが、援交や愛人目的ではなかったので勘違いしないで下さい」


先生は少し黙っていた。


「分かった。でもどうして?」


…援交でない事は信じてくれたかわりに…じゃあどうしてそういう関係になったと先生は聞きたいのかな…たぶん。


「……夏休みに入る前に私の友達が亡くなりました。その子とは凄く仲良くしていて急にいなくなった事にひどく私は落ち込んでいました。丁度タイミングが悪く親との関係でも悩んでいて、その時に私の事を心配してくれた重雄……水嶋理事長が優しく話しを聞いてくれて…その私が惚れてえーと重、じゃなくて水嶋理事長と……関係を」


…やっぱり凄く恥ずかしい女の子同士でこう言う話しをする事はそんなに気にならないのに男の人、しかも年上で担任の先生に話しづらい…それに私が今1番気になっている人にこんな話。


私は口をもごもごして話せなくなってしまった。寒いはずなのに喉が渇いて先生に貰ったホットカルピスに口をつけた。


「話しにくいなら話さなくていいよ。僕も今迄に彼女がいなかったという訳でもないから理解は出来るよ。それに理事長の名前も言い直さなくていいから。でも、それだったら何を悩んでいるんだ大友は?」


「んー…彼の事を本当に私は好きだったのかな?愛してたのかな?と、その逆で彼も私の事を本当に愛してくれてたのだろうか?と思い始めまして」


素直な気持ちを村重先生にぶつけた。先生は困った顔する。…そうでしょうね、当事者がわからないのに全然関係のない先生が分かる訳ない。ごめんなさい変な事聞いてしまって。


「……好きだったのかわからないか?それは難しいな。…でも、理事長は結婚の約束を大友にしていたんだよね。だったら愛してたんじゃないか理事長の方は少なくとも大友の事」


「…かもしれませんね。…だけど、私はあの人が殺されているのを見た時、悲しい、泣きたい気持ちにはなれなかったの。かわりに、「また、一人になっちゃった。これからどうしよう」と思ってしまったの」


先生は黙ったままだ。


「今日ね、刑事さんや上級生に彼との関係を問われ、お金が目的ではない事だけは否定でき、はっきりと言い返しはしたけど。それ以外は自信がなかった……」


「村重先生、昼休みはありがとうございます私を止めてくれて。お礼がまだでしたよね」


私は先生にお辞儀をする。昼はあの後すぐ帰ってしまったから。


「大友、別に礼なんていらない気にするな。あれは教師として、いや、人として当たり前の行動をとっただけだ」


話し終えると先生は時計を見る。私も自分の時計を確認する。時計の針は21時半をまわっていた。


「なあ大友、もうそろそろ帰らないと家の人が心配するぞ」


温くなってしまったカルピスを私は口につける。


「忘れてませんか先生、私の両親は一週間ほど北海道に行ってるので帰ってきません。月に一度必ず仕事の都合で一週間は留守にしますし、三人家族なので家には誰もいません」


「そうだったな。でもな、明日も学校あるし。あまり遅くなるのも……」


…村重先生、何を気にしてるのかなぁ……まぁだいたいは分かってるけど。


付き合っていた重雄が死んでも彼の事を愛していたのかわからない私。そして今、目の前には私を悩ませている人がいる。


「だから今ですよ先生」


「…何が???」


「憔悴しきった私を好きにする、両親もいない、家にも誰もいない。今なら何をされても私、誰にも何も言いません。この前の約束を実行するチャンスですよ先生」


「……おい」


「ふふ。冗談ですよ先生。さすがに私も今はそんな気持ちじゃないです」


…本当にそんな気持ちじゃないんだろうか?私。


「教師をからかうんじゃない」


「でも、話はまだ途中なので最後までは私の話を聞いて下さい」


麗奈は息を吐いた。夜が更けるにつれて気温が低くなっていく。白い息はまわりの光りに溶け込んで消えていく。


「先生、私の母がロシア人なのは知ってますよね。」


「知ってるぞ。前に大友が自分で言ってただろ?」


「そうですね。それでその母は父と会う前、日本で売春婦をやっていました。」


「…?。なぁどうしてそんな他人には知って欲しくない事を俺になんか話す?」


「これから私が話す内容に必要だからです。この事は誰にも言ってません村重先生以外、彼にも話してませんでした」


「わかったよ。話しの続きを聞かせて」


「母は自分が生きていく為にやっていたそうです。日本とは違いまだまだ貧富の差が激しいロシアで学校にもあまりいけなかった母は若い頃から体を売っていたそうです。日本に渡った後すぐに父と出会い、父の一目惚れで結婚したそうです。当時から小会社を経営していた父は、母を自由にする為、その組織に結構なお金を払ってくれたと言ってました。」


先生は何かを納得したかのように私を見る。


「分かったぞ大友が言いたい事は、母親が自分の生活の為に父親と結婚したから実は好きで結婚した訳ではないと思って、それを今の自分の状況と重ねてたのだろう?」


「うーん、全然違いますね先生。母は父に感謝もしていますが、それ以上にラブラブですよ両親。特に母親が。こうして月に一度両親が北海道に二人揃って行くのも母が父の通訳をしてるんです。父はわざわざ通訳なんていらないよとは言ったらしいですが。母が日本後を猛勉強して通訳の資格をとったらしいです。それで不思議に思った父が熱心に勉強する理由を聞いてきたそうです。その時に母は「あなたの仕事を手伝いたいし、ずっと一緒にいたいから。」と言ったそうです。」


「そうか、その話を聞くと貧しさから逃れる為に仕方なく結婚したと言う感じでもないな。」


私が悩んでいる理由がそれではないと分かり落ち込んでる先生。

…なんかその姿子供ぽくってかわいい。


「それにしてもすごいな大友の母親、日本語ってかなり難しい筈なんだけどな」


「そうですね。今なんてほとんどの漢字の読み書きも、古典なんかの勉強もしてますから日本人より詳しいんじゃないですか」


「そのおかげで小1から今まで国語の成績はパーフェクトですけどね私」


「そうだよな、クラスで大友が古典の成績一番だからな」


その為、私がいるクラスは今まで何故か国語の平均が他のクラスよりよかった。

みんなハーフの私なんかに負けたくなかったのだろう。


…でも私、日本生まれだから別に日本語出来ておかしくないと思うけど…。


「大友、俺の授業って分かりづらいか?」


そういえば、先生。前に雪奈から授業が全然理解出来ないと言われてから落ち込んでたわね。みんなには冷静さを保っていたけど私は先生がかなり動揺している事に気づいてましたよ…


…少しからかってやろうかな


「大丈夫ですよ先生、私は授業聞いてなくてもトップ取れますから」


「おい、それは俺の教え方はやっぱり下手って事か?」


「そんなふうに聞こえましたか先生?」


「聞こえたが」


「じゃあ、そうなんじゃないんですか。」


うなだれる先生、あんまり苛めるのも可哀想かな


「冗談ですよ先生。先生の授業は楽しいですよ」


「本当に?」


「嘘は言いませんよ、それに私の性格知ってますよね。」


「性格?ああ、そうかそうだな。」


「授業の教え方が下手だったら私は容赦無く授業中に文句言いますからね」


私には色々な呼び名がつけられていた。そのなかの一つに冷酷な魔女と言う呼び名があった。普段から表情をおもてに出す事ない私が、相手の確信をついて陥れる。それで自信を失った教師もいた。その為、学園の生徒はもちろん教師からも恐れられていた。


…ただ、私はそんなつもりは全然なく単純に思った事を言っているだけなんだけどなぁ。



「……話が逸れちゃいましたね。先生」


「それで母が私の事を厳しく躾したものだから、私は感情と言うものが分からない子になっちゃっいました。母が私をどうしたいのか、どうなってほしいのかが今だに分かってません」


そんな事を思っている自分が恥ずかしいのか麗奈は照れ笑いをした。

彼女は昌幸に体を少しずつ寄せてきている。

いい加減、俺も気付いてはいた。

麗奈が俺に帰って欲しくない。帰りたくない。一人でいたくないと思い、時間稼ぎをして話しを長引かせている事は分かっていた。

ただ、今の俺には麗奈をどうする事も出来ない…。


噴水広場の時計は、すでに22時。3時間に一回しか踊らない人形達の姿なない。


「村重先生、…愛してるってどういう事ですか?好きって?…悲しいって?寂しい事とは違うんですか?」


私は無我夢中で先生に尋ねる。さっきまで冷えきっていた体が熱い。風邪でもひいたんだろうか私……。


数分前まで吹いていた冷たい風はやみ、噴水の水面は穏やかに街頭の明かりを照らしている。

一時間ほど前に明かりを照らしていた月は夜空一面に広がり始めた分厚い雲に隠されていた

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