Int.08:ON THE WIND./君と僕、狼たちのありふれた午後③

「腹いっぱいだ……」

「お粗末様でしたっ。カズマが喜んでくれたみたいで、何よりだよ」

 エマの作ってきてくれていた弁当は見た目に反してかなりの分量があって、二人がかりでも食べ終わるのに結構な時間を要してしまっていた。そうしてやっとこさ弁当箱の中身を全部平らげれば、一真の腹はぴったり八分目ぐらいと丁度良い具合な満腹感に満たされていて。そんな満腹状態で後ろに両手を突き、うーんと伸びなんてしてみれば、何だか眠たくもなってきてしまう。

「もしかして、量ちょっと多すぎたかな?」

「敢えて否定はしないよ。昼飯時にはちょいと重かったような気もする」

「張り切り過ぎちゃったね、あはは……」

「ま、どうせ午後はシミュレータだから問題ないよ。実機訓練だってのなら、流石にヤバそうだが……」

「あー、カズマのって特にアレな仕様になっちゃったもんね。

 ……うん、分かった。次から色々と気を付けてやってみるよ。ごめんね? 何だか無理に付き合わせちゃって」

 何故か詫びてくるエマに、「寧ろ、俺が君に礼を言わなきゃいけない立場だ」と一真は微かな笑みと共に返しつつ、またもう一度後ろに向かって大きく伸びをした。背中の骨がパキパキと鳴って、凝りが抜けていくような感じがする。そうしながら一真は、ふと階下へ僅かに見える窓の外へと視線を動かしてみた。

 窓から差し込む日差しは、相変わらずのキツさだが何処か柔らかくもあり。あれだけやかましかった蝉の声も今はまるで聞こえず、しつこく残っていた暑さの残滓だって、真っ昼間でも段々とその気配を薄れさせていた。枯れ葉が舞い始め、夜になれば気温は肌寒くなるほど。気付かぬ内に訪れていた秋の香りと、そして日に日に近づいてくる冬の気配を微かに見える窓越しに感じ取れば、一真は何故だか小さな平穏を感じていた。

 本当に、平和だ。今日までの日々があまりにも平穏で、平和そのもので。それこそ、午後の訓練や≪ライトニング・ブレイズ≫の連中にシミュレータ訓練を付き合って貰っていなければ、それこそ自分が本当に普通の学生なんじゃないかと錯覚してしまうほどに。それほどまでに、ここ暫くの一真や彼の周りを囲む環境というものは、平和そのものだった。

 それにはきっと、あの日以来一度として出撃の機会がなかったことが大きいのだろう。マスター・エイジ率いる楽園エデン派と思しき不明機の襲撃に遭い、橘まどかが戦死し。そして≪ライトニング・ブレイズ≫が救援に駆けつけたあの夜からこっち、一真たちA-311小隊には一度として出撃命令が下りていない。

 主な原因としては、輸送手段の用意が未だ出来ていないということが大きいのだろう。出撃の度にA-311小隊の輸送を担ってくれていた、大型輸送ヘリ・CH-3ES"はやかせ"のコンボイ1小隊は、あの晩の戦いで半数以上が撃墜され壊滅している。かといって戦況が芳しくない現状、一応は訓練生小隊であるA-311にまで輸送ヘリ部隊を割り振っている余裕が、今の陸軍・中部方面軍にはもうないのだ。

 コンボイ1の連中には本当に気の毒なことだが、しかし彼らの犠牲によってA-311に次なる出撃の機会が長らく与えられていないのは、小隊にとってある意味で幸運なことでもあったと、今の一真ならそう感じられている。

 不幸中の幸い、とでも云うのだろうか。橘まどかの戦死に強く動揺していたのは、何も一真だけのことではない。寧ろ自分はマシなぐらいだとすら思う。国崎や美桜、美弥は当然として、特に白井にとってはかなりのことだったに違いない。彼の事情を多少なりとも知っている一真には、白井の内心は察するに余りあるというものだ。

 ――――誰かの死、それも親しい間柄の死を受け入れるのには、どうしても時間が必要だ。

 一真はそれを痛いほどに知っている。故に、出撃の機会が無かったことが不幸中の幸いだと思えているのだ。それはきっと、隣り合うエマとて同じことだろう。彼女に至っては、どれだけの死を乗り越えてきたのか数え切れないほどなのだから。

「……そういえばさ、カズマ」

 と、一真がそんなことに思考を巡らせていれば。すぐ隣でちょこんと階段に座り込んだままのエマが、ポツリと小さく声を掛けてきた。

「最近、アキラやステラと話せてる?」

「それは……」

 肯定は出来なかった。エマの問いかけに、嘘はつけない。それにあの二人どころか、近頃ではA-311小隊の誰もとも話せていないような気さえする。マトモに言葉を交わしているのは訓練を付けてくれている雅人ら≪ライトニング・ブレイズ≫の面々と、後はそれこそエマぐらいなものだ。一応は未だ寮の同室で暮らしている瀬那にだって、(彼女に関してはまた別の何かがあるにせよ)マトモに面と向かって話せていない。

「この間、ステラから聞いたよ。アキラのことは、「もう大丈夫だ」って言ってた」

「……そうか」

 どうやら、白井の方は上手く解決したようだ。

 そのことを、何処か優しげな語気で紡ぐエマの口から聞けば。一真はいつの間にか強張っていた表情をフッと緩ませ、心の底から染み出す安堵と一緒にそう言い、頷いた。自分の肩から、スッと力が抜けていくのを感じながら。

「だから、また話してあげてよ。最近話せてないから、ステラもいい加減寂しがってるみたいだよ?」

「アイツがか? ……想像しにくいな、それ」

「……それさ、絶対に本人の前で言っちゃあ駄目だよ?」

「おお、怖い怖い。袋叩きに遭うのは御免だぜ」

 呆れるような苦笑いを浮かべるエマと、それに大袈裟な肩を竦めるジェスチャーで冗談っぽく返してみせる一真。二人の会話はここから他愛のない、それこそ日常のありふれた方向へと軌道が逸れて行き。午後の授業が始まる直前なことを知らせる予鈴のチャイムが鳴り響くまで、過ぎる時間の早さにも気付かぬまま。エマと一真は二人この人気ひとけのない踊り場で、ただ淡い笑顔とともに言葉と心とを交わし合っていた。

(カズマ、君が何を思っているのか。そして何にまだ悩んでいるのか、僕には何となく分かるよ)

 だから――――。

(僕も、少しだけ動いてみるね。いい加減、僕にも君にしてあげられることをやってみるから)

 そんな少女の想いと淡い決断に、一真は気付かないでいた。ただ、向けてくる彼女の双眸の、そんな深い蒼をしたアイオライトの瞳に魅せられたままで。

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