Int.07:ON THE WIND./君と僕、狼たちのありふれた午後②
こんな具合で廊下を二人並んで歩き、そして階段を昇り。何だかんだで一真が連れて来られたのは、何故か階段を上まで登り切った先。屋上に続く扉のある薄暗い踊り場だった。
二人のやって来た踊り場は掃除こそ行き届いているのか、埃っぽいというワケではない。しかし光源といえば小さな窓から差し込む外界の日差しと、後は下層からの淡いもののみで。使われていない机や椅子が大量に積み上げられているせいで倉庫のような趣もあり、薄暗い踊り場はやはり、何処か近寄りがたいような雰囲気が漂っている。ヒトが滅多に近寄らないのも、さもありなんといった感じだ。
「場所としては微妙だけれどね。丁度良い感じに
まさか、と一真は一瞬だけ思ってしまったが、どうやらそれは勝手な思い違いだったらしい。エマは踊り場の
「ま、エマがンな真似するワケもねえか……」
「? カズマ、何か言った?」
きょとんとするエマに「なんでもない」と一真は返しつつ、そんな彼女の隣へと素直に自分も腰を落とした。
勿論、一真の頭に過ぎっていたのは霧香のことだ。たまの昼休みに連れて来られる度に人並み外れたピッキング技術を見せつけられ、本来なら立ち入り禁止なはずの屋上へ連れて行かれることばかりを経験していれば、此処へ連れて来られた一真が「まさかエマも」と、妙な勘繰りをしてしまうのも仕方ないというものだ。だがそれが完全な思い過ごしだったことに気付くと、一真は自分に対して呆れるような気分になる。
そういえば、最近は霧香もめっきり一真を呼び立てなくなった。誘われもせず、そこそこの頻度で誘われていた屋上にもめっきり顔を出さなくなれば、あれだけ億劫に思っていたあんパンの味も少しだけ恋しいような、懐かしいような気持ちになってくる。
(……やっぱり、瀬那のことが関係してんのかな)
十中八九、間違いないだろう。一真はそう思うと同時に、内心で確信めいたモノを抱いていた。
霧香――
とにかく、つまり霧香は瀬那と深い関係にあるということだ。ならば瀬那が思い悩んでいる一件に何らかの心当たりがあったりだとか、それが故に……気を遣っているのかどうかは分からないが、少なくとも瀬那のことを鑑みた結果で、ここ暫くは一真との接触を避けているのかもしれない。いや、間違いないとすら一真は思う。
(何か知ってるなら、正直教えて欲しいぐらいだ)
そうは思うものの、しかし彼女が決してそうはしないことも一真は分かっていた。あんな変人オブ変人、"変"って漢字が脚を付けて歩いているかってぐらいに奇妙奇天烈の権化というべき霧香でも、宗賀衆の忍としての矜持は持ち合わせている。そんな彼女が、他でもない己が
(……っと、考えすぎだ)
故に、このことをこれ以上考えるのは不毛でしかない。一真は小さく頭を横に振って今までの思考を吹き飛ばし、隣に座るエマの方に視線を向け直した。
「で、なんでまたこんな所に?」
「それはねー……」
と、エマは楽しげに微笑みながら勿体ぶるみたく言って、いつの間にか膝の上に置いていた包みを器用な手つきで解き。
「――――これだよ、カズマっ!」
そうすれば、包みの中から出てきたのは小さく纏まった箱のようなもので。エマはそれを両手に持てば、大事そうに、しかしニコニコと微笑みながら一真へと見せつけてきた。
エマの細い指先がその箱の蓋を開ければ、中に詰め込まれていたのは食欲をそそる色とりどりの品々で。それを目の当たりにし、ふんわりと漂ってくるかぐわしい匂いに鼻腔をくすぐられれば、一真はエマが持ってきた包みの中身が予想通りの代物であったことを確信した。
「えへへ、作ってみたんだっ。オベントウ……っていうんだよね? 見よう見まねでやってみたけれど、プレゼント・ボックスみたいで何だか楽しいよね、こういうのって♪」
そう、エマが持ってきたのは書いて文字のまま、お弁当。つまりは彼女お手製の昼食ということのようだ。ご丁寧に箸まで二セット用意してある辺り、二人で分けて食べたいらしい。
「これを俺に、わざわざこんなところまで?」
目を白黒させながら一真が訊くと、エマは「……うん」と、頬に微かな朱色を差しながら少しだけ恥ずかしそうに頷いて、
「正直、初めてで出来にはそこまで自信がなかったから。皆に見られるのはちょっと恥ずかしいけれど、でも折角だから、カズマにも食べて欲しくって。それで、此処なら滅多にヒトが来ないかなって」
えへへ、なんて照れくさそうに笑うエマだったが、しかし自信が無いだなんてとんでもない。数段に分かれた小っちゃな弁当箱の中身は、ここから見える上の一層だけでもかなりの出来映えだ。エマは随分と謙遜しているみたいだが、しかし彼女の腕前がかなりのモノであることは一目で分かる。
サッと等間隔で切り揃えられた青い野菜類に、焼き物系は概ねが飴色辺りをキープ。献立のチョイスは彼女の出身がフランス、欧州ということもあって洋風のモノが多めではあるが、そのどれもが一級品の出来だ。それこそ、このままどこぞの料理屋に出しても通用するんじゃないかってぐらい。
また、少しばかり挑戦していた和食系の方は、他ほどの出来ではないものの平均以上のラインをキープしている。弁当の類を作るのが初めてという彼女の言葉曰く、どうにも詰め込みすぎというか、片方に押されて偏り気味だとか。そういう細かな点はあるものの、やはり出来映えは凄まじいの一言に過ぎる。恥ずかしがるどころか、寧ろ誇って良いぐらいだ。
「……謙遜するようなことじゃない。見るからに良い出来じゃないのさ」
そんな率直な気持ちを口に出して伝えてやれば、「そ、そうかな?」とエマはやはり照れくさそうな横顔で。しかしその横顔には、心なしか嬉しそうな気配が見え隠れしているようにも思える。
「欧州のエースは料理の腕前もエース級ってか。天は二物を与えたもうた、ってワケだ」
「もうっ、そんなに褒めないでよっ。流石に僕でも照れるっていうか、なんていうか……」
「謙遜するようなことじゃない、見た限りはさ」
「……むうっ、カズマのいじわる」
とまあこんな具合に感想を正直に言っていると、頬に差す朱色を少しだけ濃くしたエマは、何故かそんな風にぷうっと頬を膨らませるような仕草を見せてきた。完全に照れているような彼女の反応が、何故だかおかしくなって。一真もフッと微かに頬を緩めれば、軽く肩を竦めてみせる。
「まあいいや。それよりカズマ、一緒に食べよっ?」
「そいじゃあお言葉に甘えて……っと。箸くれ、箸」
「あ、ごめんね。僕ってばすっかり忘れてたや……」
苦笑いするエマから箸を手渡され、一真は早速と言わんばかりに弁当箱の中身に手を付けた。
箸で器用に摘まみ取ったのは、ド定番のタコさんウィンナーだった。なんで最初にコイツかと言われれば、ただ単に眼に付いた奴を摘まんだだけで。とはいえスパッと綺麗に脚が分かれている辺り、これを仕込んだエマの技量が窺い知れる。
「ど、どうかな?」
そうして一真がひょいっとそれを口に含めば、何故かエマは緊張した面持ちで訊いてくる。ウィンナー如きがどうこう味が変わるようなものでも無いような気がするが、しかしじいっとこっちを見るエマの表情は真剣そのもの。真っ直ぐに視線を注いでくるアイオライトの瞳は、ほんの僅かだけ緊張に揺れていた。
「ん? 美味いぜ、普通に」
「そ、そっか! なら良かった、良かったよ、うん!
……じゃあカズマ、次はこれどうかなっ!?」
と、何処か舞い上がり気味なエマは自分の箸でサッと切り取った卵焼きの欠片を摘まみ取り、それを一真の方へサッと差し出してきた。
くるりと綺麗に、しかし何処か歪なようにも見える巻き方をされた白と黄色の塊が、エマの手で一真の方へと差し出されている。これがどういう意図なのか、自分にどうしろというのか。一真は一瞬だけ思考を硬直させてしまう。
「ささっ、遠慮は要らないよ?」
どうやら、このまま食べろということらしい。
(……なんてこった)
エマの顔を見ていて何となく意図を理解した一真は、ほんの少しだけ小っ恥ずかしくなりながらも。しかしどうせ自分たち以外に誰も居ないし構わないかと意を決し、彼女の差し出す箸の先にひょいとかぶりつく。
「どうかな? 結構頑張ってみたつもりだけれど……」
そして一真がもぐもぐと卵焼きの欠片を咀嚼している間、またエマは緊張した面持ちで問いかけてくる。それに一真は飲み込んだ後「うん」と相槌を打つみたく頷き、
「……上出来だ。初めてでこれなら合格点なんてもんじゃない」
そう言ってやれば、エマは「やったぁ……!」なんて風に、それこそ飛び上がりそうなぐらいに喜んだ反応を示す。そんな彼女の仕草は傍から見ているだけでも微笑ましいというか、こうしているとどう見ても年頃の少女にしか見えない。こんな可愛らしい仕草を見せるエマが、凄まじい腕前のエース・パイロットだなんて。一真は少しだけ、今だけはそれを信じたくない気分だった。
「だし巻きって感じだろ? 下手に砂糖入れて甘ったるくしないのは良いと思うぜ。ただ、少しだけだし汁か何かの分量が多すぎたんじゃないか? 気になったのはそのぐらいで、ホントに良い出来だったよ、エマ」
「えへへ、それじゃあ次からは課題にしてみるねっ。
……ほら、どんどん食べよっ? 僕たち二人でお腹いっぱいになれるぐらいにはあるから、遠慮せずにどんどん、どんどんっ♪」
「俺は実験台かよ……?」
「否定は出来ないかなー?」
「……分かったよ、俺の負けだ。実験台は実験台らしく、率直な意見を言わせて貰うからな。エマ、覚悟しておいてくれよ?」
「下手なお世辞より、寧ろそっちの方が嬉しいや。君のそういうところが大好きだな、僕はさっ♪」
「おいおい……」
隣り合う彼女から向けられる笑顔と、直球極まりない好意に一真は少しだけたじろぎつつ。しかし決して悪い気はしていなかった。寧ろ、心がポッと暖かくさえなる。常に冷え切っているような冷たい胸の内が、エマと接している時だけは自然体で居られるような気がしていた。心を覆い固めていた重く硬い鎧を外されてしまうように、彼女の前でだけはありのままの自然体で居られるような、そんな気分に。
いつしか、一真にとってエマはそういう存在になっていた。心を許せる、拠り所のような存在に。その切っ掛けも、そして自分が何故こんなにも彼女の傍で安心感を覚えるのかも。一真は少しだけ、ほんの少しだけだが自覚し理解しているつもりだった。
(……瀬那)
そして同時に頭に過ぎることは、すれ違い始めた彼女のことだ。エマと入れ違うように遠ざかっていった、今は遠い場所に離れてしまった彼女。嘗ては確かに一真にとっての拠り所だったはずの、そんな彼女のことだった。
(俺は、いつまで待てばいい? いつまで君を待ち続ければいい? ……分からない、教えてくれよ瀬那。俺にはもう、今の君が全く分からない……)
日常の些事みたいなこと以外で、ちゃんと面と向かって彼女と言葉を交わしたのは、一体どれほど前のことだっただろうか。昔は何を考えているか、顔を見ればある程度は察せられていたのに。今ではもう、瀬那の心が分からなくなっていた。
(……瀬那、君は今どこにいる? 君の心は今、どこに向かおうとしているんだ……?)
分からない。その答えは誰も持ち合わせてなどいない。自分にも、隣で微笑みをくれるエマでさえも。
すれ違う想いと想いが、その距離を離していく。何処か遠い場所に来てしまったような、そんな錯覚さえ一真は覚えていた。思えば白井やステラ、他のA-311小隊の皆とも、随分長い間言葉を交わしていないような気がする。
「……カズマ、どうかした?」
それでも、彼女だけは。こんな自分に今も寄り添ってくれている彼女だけは、放してはいけない。
「なんでもない、ちょっと腹が膨れてきただけだ」
「ふふっ、でもまだいけるよね?」
「当たり前田の何とやら。折角エマが手間掛けて作ってきてくれたんだ。此処で食わにゃ男がすたるってもんさ」
――――結局、自分はどうしようもなく弱いのだから。どれだけ強がったところで、仕方ないことなのだから。
「……カズマ」
「ん?」
「無理だけは、しちゃ駄目だよ?」
何処か上目遣いっぽく、アイオライトのように深い蒼の瞳が顔を覗き込んでくる。まるで、一真の不安や揺れる心を見透かしたように、言葉を介さずして感じ取ったかのように。覗き込んでくるエマの瞳は案じる色に揺れていて、それが何だか、今は妙に胸の深いところへと刺さってしまう。
「分かってるよ、無理はしない」
返すその言葉が、どちらの意味で向けるものなのか。それはきっと、二人にしか分からない、二人の間にしか通じないことなのだ。
(……瀬那。君が手を伸ばすのなら、俺は今でも)
――――それでも、きっと。彼が彼女を案じるこの想いだけは、色褪せぬままに。
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