Int.74:黒の衝撃/漆黒の生誕祭《バースデイ》⑤

 ――――壬生谷雅人の誕生祝賀会バースデイ・パーティ

 美弥と愛美が主導し、音頭を取って始まったそんな素っ頓狂な企画は、しかし当初の予想に反して、恐ろしいまでに順調な進捗を見せていた。

 発起人の二人と、そして(何故か)そんな二人よりも乗り気になっていた西條らとで、Dデイとなる九月の十三日までの間に、参加者の面々がそれぞれ担う準備作業の為のプランを練り上げる。元々美弥たちが大雑把にどうするか、どう進めるかを予め大まかに考えていたこともあって、プランの構築には半日も要さなかった。

 ……概要としては、こうだ。

 まず、ツーマンセル(二人一組)を基本とし、準備作業や当日の進行グループは幾らかに分ける。西條と愛美を指揮統制役の頭に置き、後はそれぞれで役割分担をして臨んでいく形だ。西條が全力の職権乱用をしたことで参加メンバー全員にはハンディタイプの軍用無線機が支給されているから、士官学校の外に出る用事があっても相互連絡に支障はきたささない。

 参加するのは一真たちA-311訓練小隊の面々と、主役である雅人を除いた≪ライトニング・ブレイズ≫の三人。そして教官二人と、何故か後から慧と雪菜まで巻き込まれてしまったようで、結局はかなりの大所帯でコトに当たることになった。

 そして、雅人には隠したままで計画は進行し、数日が過ぎて――――。





「でも、何でまた俺たちが買い出しなんだ?」

 車の後部座席で揺られながら、私服の黒いジャケットの折った袖で窓際に肘を突く一真が、ボソリと小さくぼやく。

「良いじゃないか、こういうのもさっ♪」

 そうすれば一真の隣で、エマが柔らかな笑顔とともにそんな言葉を返してきた。彼女もまた一真と同じく私服の出で立ちで、黒いオフショルダーのキャミソールに半袖の薄いデニム地な上着を羽織り、下はスカートに黒いニーソックスとブーツを組み合わせているといった具合だ。エマの露わになった真っ白な首元には、相変わらず小さな金のロザリオが揺れている。

「僕は楽しいけれどな、こうやって外に出るのも」

「そういうもんか?」

「そういうものなのっ」

 ニコニコと柔らかな笑顔を向けられながらでエマに言われれば、きっとそうなんだろうと一真も何故か納得してしまう。納得してしまえば、一真はフッと微かに笑いながら「そうか」と肩を竦めるしか出来ない。

「はっはっは、楽しめて頂けているのなら何よりです」

 と、目の前の運転席から飛んでくる声は錦戸のものだ。その温和すぎる微笑みに似合わなさすぎる、左目尻に縦一文字に刀傷の走った錦戸の顔が、一真たちの位置からは上手いぐらいにバックミラーに反射して映っている。まして今はキツい日差しに対抗してサングラスなんか掛けているから、パッと見た錦戸の見た目は完全にカタギとは思えないほどに厳つい。

「それにしても、教官の車がこれだなんて、驚きっスよ」

「仕事仕事で、折角の給金も使い所がありませんでしたからね。昔に買ったこれにつぎ込んで騙し騙しで乗っている内に、気付けば随分長いこと時間が過ぎてしまいました」

 はっはっは、と愉快そうに笑いながら一真の言葉に答える錦戸がステアリングを握り、そして一真とエマが後部座席に乗り込むその車は、中々見ないぐらいに随分と古い代物だった。

 三菱・ギャランGTO-MR。幻魔襲来直前の1970年代初頭、三菱自動車から売り出された二ドア四シーターのハードトップ・クーペだ。真っ白いボディの側面に真っ赤なピン・ストライプが走るGTOの描くボディラインは、天井から尻までもが緩やかな曲線を描く王道的なクーペデザインで。当時の流行りでもあったアメ車マッスルカー・スタイル、それこそ同時期のフォード・マスタングを彷彿とさせるようなボディラインの魅力は未だ色褪せず、息を呑むように美しい。

 しかも、錦戸の車は中でも伝説に謳われる初期型最上位モデルのGTO-MRだ。直列四気筒の1.6リッターのサターン・エンジンを搭載したモデルで、当時としては珍しいツインカム仕様の心臓部から生み出されるパワーは強烈そのもの。また、それに伴う最高時速は(あくまでメーカー公称だが)時速200kmとまで謳われていた。

 フェンダーミラーにキャブレター噴射装置と、世に出され四十年以上が経った今では流石に古めかしさが否めない錦戸のギャランGTOだったが、しかしそのテールから奏でられる古めかしくも何処か甘美なソレックス・サウンドも、そして夏の終わりを告げる日差しを反射する真っ白なボディも、何一つ色褪せてなどいない。寧ろ、一真はギャランGTOの後ろに乗っていて、何処か安心感すらをも感じてしまうほどだった。

「それにしても、お二人は仲睦まじいことで。お二人を見ていると、何だか私まで楽しくなって来てしまいますよ」

 ステアリングを握ったままで笑う錦戸が何気なしに言った言葉に、エマが「えへへ……」と照れくさそうに笑う。実際それを否定できないだけに、何処か眼を合わせづらくなった一真は軽く目を逸らし、僅かな車窓から流れる外界の景色へと気を逸らす。往々にして二ドア四シーター車の後部座席というものはオマケ程度の存在意義しか無いのだが、ギャランGTOの後部座席は割かし居住性は良い方だった。

「…………」

 古びた冷房が申し訳程度に冷やす車内で、サターン・エンジンの古式めいていながらも甘美なサウンドを背景にカーステレオから流れるのはラジオ放送……ではなく、錦戸が用意したカセットテープから流れる音楽だった。

『Steirway to Heaven(天国への階段)』。1960年代から70年代、イギリスの伝説的なロックバンド、レッド・ツェッペリンの楽曲だ。ジミー・ペイジの奏でるギターの音色に乗り、ロバート・プラントのハスキーで何処か寂しげな歌声が、カーステレオのスピーカーを通し静かに、しかし確かな存在感を示しながら響く。

(それにしても、やはり少佐は避けられましたか。弥勒寺くんと綾崎さんを組んでしまうことを)

 彼にとってはお気に入りである楽曲の甘美なサウンドが響く中、ステアリングを握る錦戸は左足でクラッチ・ペダルを切りつつ、言葉にはしないまま内心でふと、そんなことを思っていた。

(確かに懸命です、少佐。今のお二人を不用意に第三者が近づけるような真似は、避けるべきでしょう)

 左手をシフトノブへ走らせ、ギアを一段上へ。錦戸がクラッチ・ペダルを戻せばクラッチは再び繋がり、サターン・エンジンのフライホイールとトランスミッションのインプット・シャフトとを繋げ、駆動力を再び後輪へと伝え始める。更なる加速が、真っ白なギャランGTOに唸り声を上げさせた。

(それに、アジャーニさんと居る方が、今の弥勒寺くんにとっては却ってベストです。少佐、貴女の判断は何一つ間違ってなどいない。

 ……しかし、問題は綾崎さんの方でしょう。綾崎さんが何を考えていらっしゃるのか、何を思って彼と距離を開くような行動に出たのか。少佐、少なくとも私には分かりません)

 分かるわけなど、無かった。女心というのは複雑怪奇、ましてあの年頃の少女の内心ともなれば、六十年にもう一歩で届きそうな錦戸の豊富な人生経験を以てしても尚、推し量ることなど出来はしない。例え、橘まどかの戦死に端を走ったことだとしても。それが分かっていても、しかし瀬那の真意を錦戸が推し量ることなど、出来るはずもないのだ。

「……まあ、今これを考えたところで、仕方ありませんね」

 ボソリと、自分に言い聞かせるように錦戸が思わず独り言を呟いてしまうと、エマが「どうしました?」と首を傾げながら後方より問いかける。それに錦戸は「ははは、何でもありませんよ」と相変わらずの温和な笑みで返し、

「さて、もうそろそろ目的地に着きます。お二人とも、買い出しのリストをお忘れ無きよう」

 にこやかな顔とともに、間近に近づいてきた目的地へと向けてマシーンを走らせた。目元に掛けたサングラスの黒いレンズの奥に、独り憂いを秘めた双眸を湛えながら……。

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