Int.64:消えていく夏影、君と僕のラスト・サマー

「なんや、お二人さん今日も一緒かいな」

 嵐山演習場でのタイプF改の稼働テストから更に数日が過ぎ、ある日の朝。長かった八月も残り数日で終わりを告げようというこの日、食堂棟を訪れていた一真とエマの二人に声を掛けてきたのは、慧だった。

「よっ」

 にひひ、という笑顔とともに気さくな挨拶を振ってくれる慧の横には、当たり前のように雪菜の姿もあった。笑う慧の横で「おはようございますっ」と彼女も二人に向かい恭しくお辞儀をする。

「おう、久し振りだな二人とも」

「おはようっ。ホントに何だか久し振りだね」

 食事の乗ったトレイを持つ二人も振り返り、一真たちも彼女ら二人に挨拶を返してやる。こうして直に顔を合わせるのは久方振りといった二人だったが、慧も雪菜も変わりない。特に慧の向けてくるいつも通りな人懐っこい無邪気な笑顔は、何故か安心感すら覚えてしまうほどだ。

「なんや、今日もあっちの刀差した嬢ちゃんはおらんのか」

 立ったままで二人と二人で向き合っていれば、一真の横に一人足らないことに気付いた慧が怪訝そうに言う。

「……瀬那のこと?」

 それにエマが訊き返せば、慧は「せや、せや」と頷き肯定する。その横で雪菜も「そういえば、最近全然見ないね」と慧に同意を示している辺り、この二人の共通する疑問点なのだろう。

(まあ、気になっても無理ないよね)

 浮かべる薄い困り顔の奥で、エマはそんな二人の疑念に少しだけ同意する気持ちだった。

 慧たちがそう思うのも無理ないことだ。前まであんなに一真に引っ付いていた瀬那が、アレ以来何処か距離を置くようになってしまっている。前にも食堂の四ッ谷のおばちゃんにだって言われたことだが、瀬那が居ないことに疑問を抱かれても仕方ないのだ。

「僕らにも、確たる理由わけは分からないけれど」

 だからこそ、エマは敢えて誤魔化すことなく彼女らの疑問に答えることにした。誤魔化したところで、仕方のないことなのだからと。

「でも、瀬那には瀬那なりに思うことがあってのことだと思うんだ。……それが何なのかは、僕にもカズマにも分からない」

 その後でエマは「けれど」と更に言葉を続けて、

「瀬那が自分から話す気になってくれるまで、僕らは敢えて深くは聞かないことにしたんだ。……だよね、カズマ?」

「ああ」横目に問われた一真が小さく頷く。「どんなことであれ、出来る限りは瀬那の決断を尊重したい。出来ることなら、何か俺たちで力になってやりたいけどさ」

「……だから、二人も少しだけ、瀬那に気を掛けてあげてくれないかな?」

「アタシらが?」

 戸惑った様子の慧に「うん」とエマが頷く。同意する仕草こそ見せなかったが、一真も同じ気持ちだった。

「僕らには却って話しにくいってことも、あると思うんだ。……余計なお世話かもしれないけれど」

「ははーん、そういうことやな。まあええわ、一応アタシらも気にするようにはしとく。ええやろ、雪菜?」

「うんっ。……何となく、理由も分かる気はするけれどね」

 雪菜が続けてボソッと呟いた言葉に一真とエマは首を傾げたが、しかし雪菜はそれ以上のことを言及しなかった。ただ、フレームレスの眼鏡の下でニコニコと柔らかい笑顔を浮かべているだけで、続けて何かを言おうとはしない。

(あんなことがあった後だもんね。動揺したり、心が不安定になっても仕方ないよ)

 だが、そう思う雪菜の意図は、隣に立つ慧も何となしに察していた。互いに言葉を交わさぬままに共通した思いを抱くのは、二人があたかも姉妹のような関係だからか。それとも、相棒として長く共に死地に立ち続けたが故か……。

(初めて仲間がいなくなってもうたんや。あの古風な嬢ちゃんが何を思っても、不思議やあらへん)

 良くも悪くも、慣れてしまった自分たちと。区切りの付け方を覚えてしまった自分たちと彼女とは、違うのだから――――。

「大体のことは分かったで。……それより、立ち話もなんや。そろそろ座ろか」

 それを分かっているからこそ、慧は敢えて笑顔とともに話の流れを真逆の方向へと切り替えた。





「――――そういえば、慧たちの方はもう大丈夫なのか?」

 そして、窓際のテーブル席に四人はそれぞれ一真とエマ、そして慧と雪菜といった風に横並びになって向かい合いながら、それぞれの朝食に手を付けつつ他愛のない言葉を交わし合っていた。

「あー、まあ何とかなったわ」

 一真の何気ない問いかけに、慧がズズッと味噌汁を啜った後でそう反応する。

「モスボール保管から復帰させた中古のコブラちゃんが二機と、それに補充で新しく二人が来る手筈は整っとる。機体もパイロットも、来月の半ばにゃ合流する予定や。それから何だかんだで……せやなあ、一ヶ月半ぐらいあれば小隊全機で復帰出来るで」

 にひひ、と人懐っこく笑いながらで言う慧たちの対戦車ヘリ小隊・ハンター2はこの間の一戦でAH-1S"コブラ"対戦車ヘリ二機を喪失。一機の乗員は奇跡的に軽傷だったものの、残る一機パイロット二名が戦死という被害を被っていたのだが、どうやら漸く補充の手筈が付いたらしい。

 この知らせは、正直に言ってかなり嬉しい知らせだった。TAMSより汎用性と継続戦闘力に劣っているといえ、対戦車ヘリの上空支援はかなりありがたい。ひょっとすれば慧たちはこのまま長期に渡って離脱してしまうかもと思っていただけに、一真はこれを素直に嬉しく感じていた。

「ところで、お二人は今日何処かに出掛けるんですか?」

 慧の言葉に一真が相槌を打っていると、彼から見て斜め前方に座っていた雪菜がそんな風に二人に向かって訊いてくる。どうやら、二人がそれぞれ私服の格好なのが気になったらしかった。

「まあね」と、首を傾げる雪菜にエマが微笑みながらで頷く。「この後、ちょっと二人で外に出るから」

「おっ? ひょっとしてお二人さん、これからおデートですかいなぁ?」

 とすれば、慧はここぞとばかりにニヤニヤとしながら喰い気味に首を突っ込んでくる。慧の勢いに少しだけ気圧けおされた一真は「あー……」と言葉を詰まらせるが、

「うんっ♪ そういうことなんだっ」

 隣でエマがあまりに堂々と、しかもあっさりと認めてしまうものだから、一真は元より慧ですらもが戸惑い、きょとんとしてしまう。

「今更過ぎるし、隠すようなことでもないからね」

 一真に小さくウィンクなんか投げながら、悪戯っぽい笑顔と共にエマが続けて言う。まあ、確かに隠すようなことでもないのだが……。

「そこまで堂々とされると、アタシも何言うてええかよう分からんわ……」

 参ったような顔で肩を竦め、慧はさもお手上げといった具合な仕草を見せる。

「良いですねっ、そういうの。良いなぁー……少しだけ羨ましいです」

 そんな参った様子の慧の横で、ニコニコと楽しげな笑みを浮かべてそう言う雪菜の様子は、ある意味で慧とは対照的で。どちらかといえば無邪気な反応というか、まるで自分のことのように楽しそうな感じだった。

「で、今日はお二人、何処に行かれるんですかぁ?」

 続けて雪菜に訊かれ、一真とエマは揃って「うーん」と考え込むみたいに唸る。

「……正直に言っちまえば、全く決めてない」

「いつも通りの行き当たりばったり、風の吹くまま気の向くままって感じだったからね……」

 苦い顔の一真と、その横であはは、と苦笑いを浮かべるエマ。二人のそんな答えに慧は「はぁーっ」と呆れきった溜息をつくと、

「なんや、エラい適当やなあ……」

 こんな具合に、語気まで呆れ返った具合で呟いた。ジトーッとした細目で慧から視線を注がれれば、二人は苦笑いの色を強めるしか出来ない。

「でも、そういうのも良いかもしれませんね」

 だが、雪菜の反応は何故だか好意的だった。慧が「せやろか?」と呆れ顔のままで首を傾げれば、雪菜は「うんっ」と頷き、

「ガチガチに予定決めて何かどうこうするより、それぐらいに自由で気楽な方が……慧ちゃんはどうか分かんないけれど、少なくとも私は好きだよ?」

「そんなもんやろか」

「相手にもよると思うけれどね。一緒に居るだけで楽しい相手なら、そういうものだと思うんだ。……きっと、エマちゃんもそうじゃないかな?」

 チラリと向いた雪菜の視線に気付くと、エマは「うんっ♪」と即答するぐらいの勢いで頷いた。

「……正直ね、行く場所なんて何処でも良いんだ。僕はただ、カズマと一緒に居られれば、それだけで良いのかも知れない」

 それだけで良い。ただ、傍に居てくれるだけで。そこに居てくれるだけで、それだけで構わない――――。

 彼女の言葉の裏に、深すぎる想いが隠れていることも。その裏に背負ってきた重すぎる哀しみが積み重なっていることも、エマ以外が知ることはない。隣でチラッと横目の視線を向けてくれる一真は何となく気付いている風だったが、分からなくても良いとエマ自身は思う。

(今の僕に出来ることは、カズマ。君の傍に居てあげることだから)

 そんな彼が向けてくれる横目の視線に、エマもまた横目を向けて視線を交わし合う。一真の黒い瞳と、そしてエマのアイオライトによく似た蒼い瞳とが向き合えば、しかし互いに視線を逸らすようなことはしない。

(カズマは、僕が護るよ。何があっても、僕だけは傍から離れたりしない)

 だからね、瀬那――――。

(君がどんな結論に行き着いても、どんな決断をしても。僕は出来る限り、それを尊重するよ。君が何を思っているのかは、まだ分からないけれど……)

 それでも、僕は僕に出来ることをする。僕自身の、嘘偽りのない想いのままに……。

(今は、僕に任せて貰って構わない。……今の瀬那は、瀬那自身と向き合うべき時期なのかもしれないから)

 でも、今は。今日という日は純粋に楽しもうと、そうもエマは思っていた。終わってしまう夏の、長かった夏の最後を。そんな日を、楽しい思い出で終わらせたかった。

「カズマ、今日は何処へ行こうか?」

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