Int.17:Forget me/遺された者たち⑤
「隣、借りるわよ」
呆気に取られた顔をした白井に構うことなく、ステラは有無を言わさぬといった具合でベンチに近寄り、彼の隣へと強引に腰を落としてしまう。
「っ……。す、ステラちゃん、なんでこんなトコに」
涙の溢れた目元を慌てて腕で拭い、真っ赤になった眼を見せまいと彼女の方からは視線を逸らしたままで白井が訊けば、するとステラは「決まってんじゃない」と長い脚を組みながら答え、
「隣に居る馬鹿を追いかけて来たのよ」
「……俺を?」
「他に誰が居るのよ」と、ステラ。「今のアンタを、独りにしておきたくなかった」
「……俺のことを思うのなら、今は放っておいてくれ」
「だーめ、お断りよ」
「放っておいてくれ」
「アタシは軍務上の命令以外では、誰の指図も受けない。勿論アンタのもね」
「放っておいてくれよ」
「嫌よ」
「――――放っておいてくれッ!!」
腹の底から絞り出した怒鳴り声が、真夜中の住宅地に木霊する。雄叫びのような、それは感情の悲鳴にも似ていた。
「……ごめん、怒鳴って」
ハッと我に返った白井が詫びる。ステラは敢えて彼の方へ視線を向けないまま「いいわ、気にしない」と告げた。
「でも、放っておいてくれよ。ステラちゃんにまで八つ当たりしたくない……」
「したければしなさいよ、別にアタシは構わないわ」
「俺が嫌なんだ」
「アタシは構わない。いいわ、好きに八つ当たりしてみたら?」
「出来るわけ、無いだろ……」
「何なら、今此処でアタシを殺してみる?」
そう言いながら、ステラは士官学校制服のブレザー・ジャケットの左脇、その下に隠したショルダー・ホルスターから大柄なリヴォルヴァー拳銃を取り出し、平気な顔で「はい」と銃把を白井の方へと突き出す。
「……何言ってんだ、ステラちゃん」
差し出されたリヴォルヴァー拳銃――強力な.44マグナム弾が六発装填されたコルト・アナコンダの、ギラリと街灯を反射するいぶし銀のステンレス地にチラリと視線を落としてみれば、白井は信じられないといった顔でステラに言う。
「アタシは本気よ。アンタになら殺されたって構わない」
「……自分が何をしてるのか、分かってるのか?」
「逆に訊くけど、分からないとでも思ってる?」
自分の顔をキッと真っ直ぐに見据える彼女の双眸からは、冗談を言っているような雰囲気はまるで感じられず。ステラが本気で言っているのだと気付いてしまえば、白井は「……無理だよ」と俯き気味に呟いた。
「何で俺が、ステラちゃんを殺さなきゃいけない……?」
「少なくともアタシ自身は、それぐらいの覚悟を持ってアンタを追い掛けてきた」
「…………」
「……アタシは、あの
「やめてくれよ……」
「もしアンタがアタシに死ねと命じるのなら、迷わずに今此処で頭を撃ち抜くわ。なーに、熊とタイマン張れる.44マグナムよ? 楽にあの世逝きだわ、悪くない」
「やめてくれって!」
また、白井は怒鳴ってしまった。自分の命を軽々しく投げ出すようなステラの発言に、我慢が出来なくて。
「頼むから、やめてくれ……。これ以上、俺の前から誰かにいなくなられるのは、耐えられない……」
無自覚の内に、白井の瞳からはまた涙の雫が零れ落ちていた。俯いたままポタリポタリと流れ落ちる雫は、そのまま足元の土に小さな染みを形作る。
「独りで抱え込むんじゃないわよ、馬鹿……」
小さく溜息をつきながらステラは言って、そしてコルト・アナコンダを左脇のショルダー・ホルスターへ仕舞えば、懐から例の白封筒を取り出し「はい、これ」と隣の彼に突き出した。
「……これは?」
「西條教官からの預かり物。何でも、あの
「俺に?」
「裏の宛名、見てみなさい」
受け取った白封筒を言われるがままにクルリと裏返せば、白井はそこに彼女の字で己の名が記されているのを見て、愕然とした。
「読んだら?」
ステラはそう言うが、しかし白井は「いや……いい」と首を横に振り、中身を見ないままでそれをステラに突き返してしまう。
「今は、まだ読む勇気が無い。まだ、心の整理も付いちゃいないのに」
「……そう」
彼の気持ちを汲み取り、ステラはそれ以上何も言わないまま。突き返された封筒を受け取ると、それを再び自分の懐に収めた。
「…………なあ、ステラちゃん」
そうして暫くの沈黙の後、俯いたままの白井がポツリと口を開く。
「何よ、言ってみなさいな」
「俺は、どうすればいい……?」
「…………」
「もうさ、どうしていいか分かんねえよ……」
絞り出すような声音は、彼自身の紛れもない本心だった。どうしていいのか、自分がどうすべきなのか。頭も心もぐちゃぐちゃにかき乱された今では、もう何も分からない。
「――――苦しいときほど、笑って過ごせ。笑っていれば、いつかそれを本当に笑える日が来る」
「えっ……?」
「まどかの言葉をそっくりそのまま引用するようで、悪いけれどね。
……けどさ、これは少し違うとアタシは思うんだ」
「少し、違う……?」
「うん」頷くステラ。「確かにその通りなのかもしれない。でも――――」
言葉を言いかけながらステラは立ち上がると、俯いたままの白井の目の前へと立ち。そして彼に目線を合わせるようにかがみ込めば、両の掌を頬に当て、白井の顔を無理矢理に自分と見合わせた。
「あんまりに苦しすぎる時は、笑ってたら却って毒よ。辛いときは、泣きたいときは素直に泣けばいいって、アタシはそう思う」
真っ正面から向き合った白井の顔は、泣き腫らした顔はあまりにボロボロで。まるで雨に濡れた捨て犬のように痛々しくステラの瞳には映ってしまう。
「アンタはもう十分すぎる程に我慢した。もうこれ以上、我慢することなんてないの」
そんな彼の顔を直視しているのが、余りにも辛くて。これ以上耐えられなくて、ステラはそう言うと勢いに任せるがまま、両腕で彼の頭を胸元へと抱き寄せてしまった。
「ステラちゃん……?」
困惑する白井を胸に抱いたまま「いいから」と無理矢理に黙らせ。そうしてステラは、続けてこう言った。
「こういう時ぐらい、子供みたいに泣き喚いたって許されるわよ」
その言葉が、最後のタガを外す切っ掛けだった。
「っ……!」
抑えの効かなくなったありとあらゆる感情のごった煮みたいな大津波が、瞳から滝のように零れ始めた雫となって。腹の奥底から湧き出す喚き声となって溢れ出てくる。
「ああっ……!!」
それでも、白井は抑えようとした。此処で決壊してしまっては、彼女との約束を守れなくなるからと。
「いいの、どうせ誰も見てない。アタシだけしか居ないんだから、いい加減意地張るのやめなさいな」
しかし、ぎゅっと抱き寄せる腕の
「あ、ああっ……!! うわああぁぁぁぁぁ――――っ!!!!」
そうすれば、後は流れ落ちるだけ。決壊した大河のようにとめどなく溢れ出てくる複雑な感情の濁流を、抱かれた彼女へと全てぶつけるように。そしてステラは、それを一切合切受け入れるつもりで受け止める。
「頑張りすぎなのよ、アンタって男はさ……」
彼の頭をそっと撫でて気持ちを解してやりながら、呆れたようにステラがひとりごちる。
「でもまあ、それも今日までよ。もう頑張らなくたって良いの。全部吐き出して、楽になっちゃいなさいな……」
感情の濁流を、流れ出てくるがままに溢れさせる白井と、そしてそれを敢えて受け止めるステラ。二人を覆い隠した東屋の外では、いつの間にか雨が降り出していた。
夜明け前の雨は、あまりにも激しかった。振り付ける雨が土やアスファルトに弾ける激しい水音は、彼の慟哭ですらをも掻き消してしまう。街灯に照らされる中、時折飛び込んで来る雨に濡れ。ステラは彼の流す哀しみの雨もまた、それが止むまで受け止め続けていた。
「今日はアタシの部屋に来なさいな。どのみち、ベッドはひとつ空いてるから」
「……っ。幾ら何でも、ステラちゃんに悪い」
「今のアンタを、独りにしておきたくない。――――ただ、それだけのことよ」
一度胸から顔を上げさせ、小さく見合い。そしてステラは彼の頬に軽い一瞬の口付けを交わせば、また彼の哀しみを胸に掻き抱く。
――――ただ、独りにしておきたくない。
胸元が濡れていくのも気にせず、ステラの思うことはただ、そのひとつだけだった。今にも壊れてしまいそうな彼を、独りにはさせられない……。
「アンタは孤独なんかじゃない。アタシがいつまでだって傍に居る……」
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