Int.65:ブルー・オン・ブルー/仮初めの戦士、少年たちは再びの煉獄へ③

「あれ、美弥?」

 エマ・アジャーニが夜の士官学校の敷地内を暇を持て余して散歩していれば、校舎の傍、グラウンドの方を眺めるようにして座り込んでいる美弥と偶然出逢った。

「あ、エマちゃんっ」

 声を掛けたエマに振り向いて、美弥は見上げながらニッコリとした笑顔を向けてくれる。そんな彼女が座る位置は、この間偶然鉢合わせしてしまった、白井とまどかが会話していた所とまるで同じで。だからかエマは少しのデジャヴを感じつつ、そんな美弥に「どうしたの?」と問いかける。

「なんだか、落ち着かなくて」

 すると、美弥は遠い眼をしてグラウンドの方に視線を向けながら、そうやってエマの問いに答える。

「落ち着かない?」

「なんていうか、手持ち無沙汰って言うんでしょうか。……正直に言うと、やることが無くて暇してたんです」

 あはは、なんて苦く笑いながら再び顔を向けてくる美弥に、エマも小さく微笑み返す。

「まあ、美弥が乗るのは指揮車だからね。……ってことは、いつもこうやって」

「そうですね、私は教官と一緒にCCVですし、パイロット・スーツに着替える必要も無いですから。だから大体はこうして、ボーッとしてますっ」

 そう言う美弥の格好は、彼女の言った通りパイロット・スーツでなく、普段見慣れたあの制服のままだった。皆と違う、欧州連合軍のCPW-52/Aパイロット・スーツに身を包んだエマの格好とは、ある意味で対照的でもある。

「エマちゃんは、どうして此処に?」

 すると、今度は美弥が逆に訊き返してくるものだから、エマは「あはは」なんて小さく苦笑いしながら「隣、良いかい?」と言って、そんな美弥の隣に並び立つ。

「……僕も、似たようなものさ。暇を持て余して、どこぞを散歩していないと、落ち着かないって感じかな」

「珍しいですね、エマちゃんがそんなこと言うなんて」

「そうかな?」美弥の言葉に、意外そうな顔をして彼女を見下ろしながらでエマが言う。

「なんか、エマちゃんっていつも落ち着いてる感じっていうか、場慣れしてる感じでしたからっ」

「場慣れ、か…………」

 出来ることなら、慣れたくは無いんだけれどね――――。

 美弥の言葉が切っ掛けで、エマの脳裏を幾つもの過去が瞬くようにフラッシュ・バックしていく。祖国の大地で、この世の地獄と揶揄される欧州戦線で味わった過去の苦い思いと、そして散り往く仲間たちの、事切れる刹那の光景が。

 だからか、エマもまたいつの間にか眼を細め、視線を遠くしていて。その横顔が何処か哀しみと、そして疲れに満ちているようにも一瞬だけ見えてしまったものだから、美弥は少しだけ言葉を詰まらせてしまう。

「…………なんて言うか、今日のエマちゃんは、少し違うように見えるんです」

 だが、ここで話題を途切れさせるのも変だと思い、美弥は続く言葉を強行した。

「落ち着きが無いっていうか、なんて言うか。……上手く言葉に出来ないですけれど、なんだかそう思うんです、今日のエマちゃんを見ていると」

 美弥がそう言うと、エマは「ふぅ」と小さく息をつき。ほんの少しだけ肩を上下させると、その後で美弥の方を見ないまま、小さく呟くように彼女にこんなことを問いかけた。

「…………美弥は今回の緊急出撃、どう思う?」

「どう、って……」

「あくまで、CPオフィサーとしての目線で構わない。君の意見を、少し訊いてみたくなった」

 美弥は、悩んだ。さっきから胸に蠢くこの違和感を、本当に言語化して良いものか。エマの問いに答えて良いものか、悩んでしまっていた。

「…………作戦自体に、無理はありません」

 しかし、意を決して美弥は口を開く。ここで彼女に言わねばならないような、そんな強迫観念にも似た気持ちに襲われたが故に。

「TAMSが十機に、対戦車ヘリが一個小隊。それに偵察ヘリの支援もあります。幾ら夜戦で、入り組んだ市街地だとしても、これは大規模戦闘ではありません。ある意味でこちらが戦力過多、確実に勝ち目のある戦いです」

「まあ、そうだよね」

 エマの相槌を片耳に聞きながら、しかし美弥は「……ですけれど」と続ける言葉の前置きをして、

「嫌な、空気なんです」

「空気?」

「はい」頷く美弥。

「第六感的なことなので、私の立場でエマちゃんにこう言っちゃうのは、何だか変な気がしますけれど。

 ……でも、何だか嫌な感じなんです。今日の空気感というか、雰囲気というか。こんな中で出撃して、本当に大丈夫なのかな、って」

 おかしいですよね、こんなこと言うなんて。やっぱり変です、今日の私は――――。

 あはは、と苦笑いしながらそう言う美弥だったが、しかしエマは「いいや」と首を横に振る。

「君の感覚は、ある意味で正しく、そして重要なことだ。……特に、こと君のような部隊の頭脳ブレイン、謂わば軍師的な立場の人間なら、尚更ね」

「正しい、ですか……?」

 今度は逆に困惑し始めた美弥に「うん」とエマは微笑しつつ頷いてから、そして表情をシリアスに戻しつつ、言葉を続けていった。

「戦場って奴では、第六感は馬鹿に出来ない。現に僕だって、それで何度も命拾いしてるからね」

「そうなんですか?」

「意外、だったかな?」

「……意外といえば、意外でした。エマちゃんって、どっちかっていうと理詰めで戦っていくタイプだとばかり、思っていましたから」

「あはは、まあ美弥の言うことも正しいよ。基本的に、僕は理詰めで考えて立ち回るようにしてるから」

 そんな風に苦笑いしつつも、しかしエマは「……でもね」と前置きをしてから、そしてこう続ける。

「理詰めだけじゃどうにもならないのも、また戦場の側面なんだ。…………それに、こんな空気には、覚えがある」

「エマちゃんも、思うんですか?」

「何となく、だけれどね。でなきゃ、美弥にあんなことを訊いたりしないさ。

 ――――何というか、嫌なんだ、今日の空気は。肌に纏わり付くようで、落ち着かない。こういう日は、いつもロクなことが無かった……」

 そうやって言いながら、エマの脳裏を駆け巡ったのは、やはり嘗て己の双眸で見た光景だった。自分の目の前で、逃げ遅れた戦友の乗っていたEFA-12≪ラファール≫が味方の砲撃に巻き込まれ、大地を揺さぶる地響きと共に爆炎の中へと消えていった時の光景が、まるで数分前のことのように思い出せてしまう……。

「――――だから、美弥」

 故に、エマはそれを意図的に払拭するように、微笑みながら隣の美弥に呼びかけた。

「どんな不測の事態があっても対応出来るように、準備と心構えをしておこう。僕らだけの杞憂で終われば、それに越したことは無いから」

「……そう、ですね」

 そんなエマの胸中を察してか、美弥も敢えて小さな微笑みを浮かべながら、頷き返していた。

(――――本当に、杞憂に終わることを祈ろう)

 着々と出撃準備が急ピッチで整えられていく風景を遠くに眺めながら、厚い雲の掛かる夜空にエマが願うのは――――そんな、切なる願いだった。

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