Int.62:ブルー・オン・ブルー/Paint it, Blue.

「――――何? 少佐たちの部隊が緊急出撃ですか?」

 その頃、京都市街某所にある高級ホテルの最上階スウィート・ルームに滞在していたマスター・エイジはといえば。バスローブに身を包んだ格好のままで受話器を手に取り、彼にしては珍しく少しばかり驚いたような顔をしていた。

「この時間に……迎撃任務? とすると、倉本少将は関わっていないと」

 受話器を取ったまま、向こう側の相手とマスター・エイジは話す。その表情は一応の落ち着きを取り戻してはいたが、やはり驚きの色はまだまだその気配を消してはいない。

「一時間以内に京都士官学校から出撃、現地へですか……。なるほど、概ねは承知しました」

 受話器を取りながら、随分早いな、とマスター・エイジは内心で思っていた。十機という、小隊というより最早中隊規模のTAMS部隊と、その輸送ヘリ。加えて対戦車ヘリ小隊もをたかが一時間ばかしの猶予時間で動かすともなれば、本当に緊急も緊急の出撃だ。

 倉本少将なら、こんな真似はしない。というより、そこまでの緊急を要する出撃に、あの男が絡むだけの余裕があるとは思えない。恐らくは前線からの要請、そして中部方面軍司令部からの直接指令だろうと、マスター・エイジはそう推測していた。

「しかし、何故そのことを私に? いえ、不服というワケではありません。寧ろ、有り難いのですが。

 ――――もしや、私に彼らを試せ、と仰りたいので?」

 そんなマスター・エイジの問いかけに、電話の向こう側の相手は君の好きにしろ、と答えていた。

「……承知しました。やるだけ、やってみましょう。それにあたって駒を六つか八つばかし、お借りしてもよろしいですかな? 何、殆ど捨て駒同然です。ナイト・クラスの人間を用意する必要はありません。

 …………ええ、ええ。よろしくお願いします。加えて、私のも用意するようにと、スクライブたちには指示を」

 そうやって電話越しに相手と話しながら、マスター・エイジは電話台の近くに置いていた自らの眼鏡を手に取った。フレームレスのそれを掛けると、レンズの奥の瞳を小さく笑わせる。歓喜と期待の入り交じったような、そんな風に。

「では、よしなに。私もすぐに向かいますので、準備の方は滞りなくお願いします。

 …………分かっています。仮にも私だって、貴方がたからマスターの位を頂いておりますから、その肩書きに見合っただけの働きはしてご覧に入れましょう。――――では、エルダー。私はこれで」

 全ては、選ばれし我ら大いなる種族、その播種の為に――――。

 マスター・エイジは最後にそう、とびきりの笑顔と共に告げて、そして受話器を置いた。

 そうして電話を切ってから、マスター・エイジは窓際の方へと歩み寄って。その途中で小さな丸テーブルの上からマールボロ・ライトの紙箱と愛用のジッポーとを引ったくれば、窓際に立ちながら咥えたそれに火を付け、口元で紫煙を燻らせ始める。

 白く濁った吐息のカーテンの向こう側に見下ろすのは、京都の夜景。太古の歴史と共に歩んできた嘗ての都の、その夜景だった。

「意外な展開ですが……まあ、良いでしょう。私にとっても、ある意味好都合です」

 空調の微風で蒼い前髪を小さく揺らしながら、マスター・エイジはそうして眼下の街を見下ろしつつ、独り言を呟く。

「少佐の子供たち、ですか。それはそれは、さぞかし優秀なことでしょうね。瀬那も、きっと美しく成長していることだ」

 少佐――――。

 嘗ての伝説、"関門海峡の白い死神"の姿を脳裏に思い浮かべながら、マスター・エイジは自然とその端正な顔に浮かび上がってくる歓喜の笑みを、抑えることが出来ないでいた。突然舞い込んできた僥倖に対する、それへの歓喜の笑みが。

 そうやって煙草を吹かしながら、マスター・エイジはふと思い立ち、部屋に備え付けられていたレコード・プレイヤーの方へと歩いて行った。かなり年季の入った古びた機械だったが、しかし確かにまだ生きている、その息吹を感じられる。

 蓋を入れ、電源を付け。そうしながら、部屋に備え付けられていた幾つかのレコード盤を漁る。煙草を吹かしたまま、バスローブの格好でそうするマスター・エイジの姿は傍から見れば、今から何処かへ行こうとする人間には見えなかった。

「おっ……。良いですね、これが良い」

 微笑しながら、小さく独り言を呟いたマスター・エイジが取り出したのは、ある一枚のレコード盤だった。

 その大きなレコード盤をプレイヤーにセットし、回り出した円盤にアームを近づけ、針を接触させる。そうして部屋の音響システムから、小さなノイズと共に流れ出したのは、随分と古びた曲だった。ローリング・ストーンズの"Paint it, Black"……。

 何度も、何度も繰り返し聴いた曲だった。そして、マスター・エイジにとってお気に入りの一曲でもあった。ローリング・ストーンズは好きだが、中でも一番好みの曲かも知れない。

「ふふっ……」

 そんなお気に入りの曲を流していれば、窓際に戻ったマスター・エイジの頬も自然と緩んでくる。フレームレスの眼鏡の奥に見える瞳は相変わらず不気味な色で笑っていたが、しかし何処か楽しげでもあった。

 窓越しに見上げるのは、黒く夜闇に染まりきった夜闇の空。街明かりが近いからか、星の瞬きなんて殆ど見えやしない。肝心の月だって、丁度雲に隠れて見えなくなってしまっている。

 見上げるそこは、完全な黒に満たされていた。黒一色に染め上がった夜闇の空を見上げながら、煙草を吹かすマスター・エイジは小さく微笑む。見る者全てに異様な不気味さを感じさせる、そんな小さな笑みで。

「楽しみですね、少佐」

 そうやってマスター・エイジがひとりごちた時、背後で小さく部屋のドアがノックされるのが聞こえてきた。するとマスター・エイジは咥えていた煙草を灰皿に押し付け、揉み消し、「すぐに行く」と呼びかければ、バスローブを雑に脱ぎ捨てながら歩いて行く。

 脱ぎ捨てられたバスローブと、灰皿から紫煙の残り香を漂わせる吸い殻が虚しくそこに在る中、部屋にはまだあの曲が流れていた。古ぼけた、しかし確かな刺激を持つロック・ミュージックが…………。

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