Int.46:After that/刻みつけるは刹那、儚き一瞬のインターバル②

 空調の効いた快適な訓練生寮のロビーから一歩外に出れば、一真に襲い掛かってきたのは真夏の容赦無い日差しと、そして照り返し始めた淡い熱気だった。

 まだ朝も早いからか、昼間ほど蒸されるということもない。だがやはりこの熱気は凄まじく、まして山々に囲まれた盆地のような地域だからか、肌に張り付く湿気も相当なものだ。今はまだ早朝だから随分とマシなものの、昼間にもなれば地獄のような蒸し暑さになることは間違いないだろう……。

 なんてことをまず真っ先に思いながらも、しかし一真の内心は何処か、晴れやかでもあった。この蒸し暑さも、刺し殺すような勢いで降り注いでくる陽の光も、蒼穹そらの蒼さに肌を撫でる生温い風も、そしてやかましく鳴き喚く蝉の鳴き声すらもが、今は無性に愛おしく感じてしまう。

 …………戦いを終えた後の朝は、いつもこうだ。

 あれだけの激しい戦いを生き抜いてきた後の朝は、何故だかこの何気ない平穏が、普段は誰一人もが気にも止めないようなありふれた風景すらもが、無性に愛おしく、それでいて凄まじく尊いもののように感じてしまうのだ。

 だから、こんな一真の突拍子もない行動も、決して今日に始まったことではない。朝も早くからこうして散歩に出ることだって、決して今日に限ったことじゃないのだ。

 ――――生と死の狭間に立ってしまったが故の、哀しきさがとでも言うのだろうか。

 最近、ふとそんなことも思うようになってきた。戦場という非日常の、非常にして非情の異常空間に身を置いていたが故の、その反動での行動なのかと。こうして取り留めのない時間を噛み締めることで、己が己であろうとする、無意識の内に自己のアイデンティティを護る為に取っている、ある種の防衛行動ではないかと。

 もしかすれば、考えすぎなのかもしれない。しかし――――こんな妙な考えが頭を過ぎってしまうほどに、戦場というものは異質な空間なのだ。決して正気じゃ居られない、異常な空間なのだ……。

「……舞依は、こんなことを、どれだけ長く」

 そうすれば、頭を過ぎるのは舞依の――――西條のことだ。延々とあの異常空間に身を置き、死神とまで祭り上げられた、文字通り生ける伝説である彼女のことだ。

 しかも、そんな彼女の右腕である錦戸に至っては、大戦初期からのベテランと聞く。即ち、1970年代からざっくり四十年間にも渡って、あの異常空間で戦い続けてきたということだ。ああして自分も直に体感したからこそ言えることだが、とても一真には正気とは思えない。

 ――――やはり、慣れていくのか。

 きっと、そうだろうとも一真は思ってしまう。人は往々にして、物事に慣れていってしまうものだ。食事であったり、人とのコミュニケーションであったり、ルーティン・ワークであったり。殺しですらも、人はいずれ慣れてしまうものだ。

 そして、それは――――戦場という異質な空間に対する耐性も、同じことだろう。

 そうして慣れていくからこそ、感覚が麻痺していくからこそ、人は一人の弱い人間から、兵士へと。一人前の戦士へと変貌していく。純粋な人間のままでは、戦い続けることなど出来ない。

「…………」

 それは、一真とて最初から覚悟していたことだった。それ以前に、元々自分は人として大事な何か・・が欠けている。その自覚は、前々から持ち合わせていた。

 だから、こと自分のコトに関しては、構わなかった。だが――――。

「瀬那には、あんまり慣れて欲しくないよな……」

 ――――彼女には。瀬那には、一真は本音を言ってしまえば、あまり慣れて欲しくはないのだ。

 だが、此処に来たのも、戦いに身を置くことを決めたのも、全ては彼女自身で決めたこと。即ち、瀬那が自らの意志で決めたことだ。故にこれは、一真が横からどうこう口を出していいことじゃない。彼女が彼女自身の意志で決めたことならば、それを阻む資格なんて、彼に有りはしない。

「……だからこそ」

 己は、もっと強くならねばならない。誰よりも、何よりも。戦うことが彼女の意志だというのならば、せめてこの身は彼女の剣となり、楯となる。その為にも、自分はもっと強くならねばならないのだ。誰よりも、そして何よりも……。

「…………ヘッ」

 そんなことを考えている内に、一真の口からは自然と失笑めいた笑みが漏れていた。まるで自らを嘲け笑うかのような、そんな笑みが零れてしまっていた。

「らしくねえよな、ンなこと考えるなんて」

 これも、戦い終えた後のことだからだろうか。

 くっくっくっ、とそんな自嘲めいた笑みを浮かべながら、一真は思い。そうしている内に、彼の脚は自然とグラウンドの方へと向いていた。その向こうにある、TAMS格納庫の方へと。

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