Int.12:老兵と死神、月下に巡る思惑

 同じ頃、士官学校のTAMS格納庫前。あれだけの騒がしかった喧噪が嘘のように静まり返る中、三島は独り夜風に当たろうと、休憩がてら格納庫の外に出ていた。

 しかし、静かなのは外だけだ。騒音対策で扉の閉じられた格納庫の中では、帰還した十機のTAMSの点検整備に当たる為、大勢の整備兵たちが夜を徹する構えで腕を振るい続けている。

 勿論、それは小隊付け整備班のメカニック・チーフである三島とて変わらない。これでも今さっき、ステラの乗機である米軍機・FSA-15E≪ストライク・ヴァンガード≫の点検を終えた直後なのだ。後の消耗部品交換ぐらいは、他の連中に任せておいても何とかなる。そう思って、一息入れに来た所だったのだ。

「ったく、アメちゃんのマシーンぐらいでヒイヒイ言いやがって、あの若造どもは」

 手に嵌めていたメカニック・グローブを脱ぎながら、部下たちのことを思い出しつつ愚痴を零す三島だったが、しかしその顔にはニヤッとした渋い笑みが浮かんでいた。

「お月さんはこんなに綺麗だってのに、俺たちゃ相も変わらず徹夜で油仕事ときたもんだ。ったく、俺も歳だってのに……」

 頭上から見下ろしてくる月明かりを見上げて愚痴りながら、ツナギの胸ポケットから出したホープ銘柄の煙草を三島が口に咥えると。ズボンのポケットに入れていたジッポーを出そうとポケットを弄っていたところで、「ん」と横から別の腕がスッとジッポーの火を口元に突き出してきた。

「っと、済まねえな」

 差し出された火をそのまま相伴に預かり、火の付いたホープ銘柄の煙草をふぅ、と吸い込む。フィルター越しに吸い込むホープの紫煙が、ズシンと重く五臓六腑に響き渡る。

「今日も、徹夜みたいだね」

 そんな、マールボロ・ライトの匂いと共にすぐ傍から聞こえてくる女の声に、三島は彼女の方を向かないままで「まあな」と答えた。

 すると、三島の隣で同じように、しかし銘柄はマールボロ・ライトの煙草を吹かす、相変わらずの白衣を羽織った彼女――――西條はフッと小さく笑みを浮かべると、やはり三島の方を向かないままで「悪いな」と小さく言う。

「馬鹿野郎、これが俺たちの仕事だ。大体、ここ四、五年は退屈しすぎだったんだ。俺たちメカマンってのは、本来これぐらいで丁度良いのさ」

 ニッと黄色くヤニでくすんだ歯を見せながら笑う、そんな三島の横顔をチラリと見ながら。西條は「……そうか」と同じようにフッと笑いながら頷けば、一瞬口から離した煙草の灰をトントン、と不作法に足元へと落とす。

「錦戸の野郎は、どうした?」

「流石に休ませたよ。あんだけ矢面やおもてで気張らせてたんだ。ここまで付き合わせるほど、私も鬼じゃない」

「……ヘッ。そう言う嬢ちゃんだって、指揮役で付いてってたんだろ?」

「まあね」三島の言葉に、西條は煙草を咥え直しながらで短く頷く。

「……それと、いい加減嬢ちゃんはよして欲しいね。そろそろ、もうそんな歳じゃ無くなってきた」

「馬鹿言え、俺にとっちゃあお前さんは、いつまで経っても青臭いガキなんだよ」

「だから、勘弁してくれって」

「ヘッ、嫌だね。俺からしてみれば、昔の、アーリー・ヴァリアントの≪叢雲≫を必死こいて振り回してた時のお前さんも、教官様なんてご大層な肩書きの今のお前さんも、どっちも変わんねえのさ」

 ニヤニヤとしながら言う三島に、西條は諦めたみたいに「……はぁ」と紫煙混じりの溜息をつくと。完全に諦めた様子で「……好きにしてくれ」と肩を竦める。

「へっへっへ」

「全く、おやっさんに掛かってしまえば、幾らこの私でも形無しってことか」

「そういうことだぜ、嬢ちゃん」

 呆れた顔の西條に、尚もそんな調子で三島は言う。そんな三島に西條はもう一度大きな溜息をついていたが、しかし顔色は自然と綻んでいた。

 ――――三島との付き合いは、もう何十年来になるだろうか。≪ブレイド・ダンサーズ≫時代はもとより、ひょんな切っ掛けで最初期型のJS-9A≪叢雲≫……。いわゆる"アーリー・ヴァリアント"の≪叢雲≫に十五で乗り込んでしまった時からの、それぐらいからの付き合いだった覚えはある。

 だから、西條にとって三島は、錦戸と並んで付き合いの長い男でもあった。≪ブレイド・ダンサーズ≫として世界各地を転戦して回っていた頃も、彼は中隊付き整備班のチーフとして付き合ってくれていた。≪ブレイド・ダンサーズ≫が伝説の機動中隊と呼ばれていたのも、三島を初めとする整備班の血の滲むような努力があったからという事実を、西條は片時も忘れたことは無い。

 そういうこともあり、三島は今となってしまえば、≪ブレイド・ダンサーズ≫より前、西條が"関門海峡の白い死神"なんて呼ばれ始める前の彼女を知っている、数少ない人間の一人ということになってしまった。錦戸と並んで、あの頃の西條を知る者の数は、今となっちゃ決して多くない。

 そんなこんなで、三島は今の西條にとっての数少ない心の支え、気兼ねなく話せる類い希な人物の一人だった。彼を除けば、この京都士官学校に於いて西條が素で接せる人間なんて、後はそれこそ錦戸ぐらいしか居ないだろう。

「…………」

 だから、こんな具合に無言が続いても、三島とは大して苦にもならなかった。ただ、並んで煙草を吹かしているだけで十分。それだけで、お互い構わなかった。

「……っと、もう終わりかよ」

「ん」

 ホープの煙草を吸い尽くした三島がそうひとりごちれば、西條は懐から取り出した携帯灰皿を彼の方へと突き出してやる。不作法にも足元へ捨てて火種を揉み消そうとしていた彼は「悪いね」と言いながら、放り捨てかけていた吸い殻をその携帯灰皿へと投げ込んだ。

「にしたって、訓練生小隊ねえ」

 同じように西條も自分の吸い殻を携帯灰皿へ投げ込む横で、新しく咥えたホープに自前のジッポーで火を付けながら、三島がそんなことを口走る。

「……無茶苦茶な、話だろ?」

 そんな三島に、西條が自嘲めいた笑みを浮かべながら言い返す。そうしながら、彼女もまた白衣の胸ポケットから出した新しいマールボロ・ライトを咥え、ジッポーで火を付ける。

「ああ、全くだ」

 ホープとマールボロ・ライト、二つの銘柄の紫煙が混ざり合う中、やはり三島は彼女の方を見ないままでそう、頷いていた。奥歯をギリリと噛み締めるように、それで何かを堪えるようにしながら。

「……倉本の腐れ狸からの横やりが原因だって、噂に聞いたが。ありゃあ本当か?」

 チラリと横目を流しながらの三島の問いかけに、西條は彼の方へ視線を向けないまま、言葉を発さないまま。ただ無言の内に頷いて、それを肯定した。

「ったく、やっぱあの狸ジジイの仕業か。野郎、ホントに碌なことしやがらねえ」

「……どちらかといえば、おやっさんの方が歳はいってるがね」

 ボソッと西條が冗談めかしつつそう言えば、三島は「あ? なんか言ったか?」と低い声音でわざとらしく訊き返してくる。それに西條は「いんや、何でもないよ」と、こちらもわざとらしく返した後で、

「…………私と錦戸の方で、色々と対応策は講じ始めてるつもりだ。何、奴の好き放題にはさせんよ」

「ほう?」何処か自信ありげな顔の西條に、三島が興味津々といった顔で訊き返す。「具体的にゃ、どんなのよ」

「錦戸が何をやっているかは知らんが、私の方では202特機と、それに諜報局の特派分室を動かすように根回しはしておいた」

「202特機……」

 目を丸くしながら、三島が反芻する。

「ってえと、あのオカマちゃんのメカマンも?」

「……さあ? そこまでは、私も知らんよ?」

 わざととぼけるみたいに肩を竦めて西條が言えば、三島はカァーッと眉間を指で押さえ、

「アイツが来るとなったら、マジで面倒くせえんだよなあ。野郎、妙に凝り性っつーか繊細っつーか……」

「……野郎呼ばわりは、少し失礼な気もするがね?」

「うるせーやい」西條の的確な指摘を一蹴しながら、三島が口から離していたホープの煙草を咥え直す。

「しかし、202特機動かすとなれば、コトはデカくなるぜ」

「元々、コトは大事なのさ……。特に、楽園エデン派の連中が動いてる今となっては、こっちも手駒を揃えとかにゃ、色々と後手に回る羽目になる」

 ――――楽園エデン派。

 西條の言うその言葉の意味を、三島は十分すぎるぐらいに理解していた。

 そして、事情も心得ている。あの藍色の≪閃電≫・タイプFと、それを駆るあの凛とした少女に関する、複雑すぎる事情も……。

「…………まあ、だな」

 だから三島は、それ以上の言葉を継ぎ足さず。ただ煙草を吹かしながら、短くそう頷くのみに留めた。

「まあ、202特機の方は良いとして。特派分室動かすってのは、どういう了見だ? 特派分室っていえば、諜報局の――――」

「ああ」三島の言葉を半ばで遮る形で、西條は深く頷く。

「国防省諜報局・機密諜報部一課・特派分室――――。

 諜報のエリート部隊、その対楽園エデン一派の特務諜報部隊だ。おやっさんとて、知らないはずないだろ?」

「あったりまえだ。俺を誰だと思ってやがる?」

 そんな三島の反応を横目で見て、西條はフッと吹き出すみたいに笑いながら「復習だよ、復習」と、また冗談みたいなコトを言う。

「……諜報局の連中は、独立した奴らだ。中でも特派分室ともなれば、対極にある倉本は、おいそれと手は出せんよ」

「つまり、一番信頼できるとこの奴ってワケだ」

「そういうことだ」三島の言葉を肯定しながら、西條は一度口から離したマールボロ・ライトの灰を、やはりトントン、と指先で叩いて足元に落とす。

「――――太古の昔から、戦いの基本は情報戦だ。相手が宇宙そらから降ってきた化け物どもじゃなく、同じ人間なら。それは変わらない」

 そうして煙草を咥え直しながら、そう呟いた西條の目付きは――――異様なほどに、鋭かった。

「だから、特派分室の奴を手駒に?」

「ご明察。幸いにして、諜報局には昔のツテが沢山あるからね。特派分室のエージェント一人を連れてくるぐらい、ワケなかったさ」

 ニッと不敵に笑いながら呟く西條に、三島もまた不敵な顔で笑い返してやる。そうしながらホープの吸い殻を口から離し、また西條の差し出してきた携帯灰皿に放り込んだ。

「まあ、嬢ちゃんの好きにやると良い。俺の仕事は、あくまでメカどものお守りだからな――――」

 んじゃあまあ、俺は仕事に戻るわ――――。

 付け加えるようにそう言いながら、三島はもたれ掛かっていた格納庫の壁から背を離すと。西條に向かって後ろ手に振りながら、格納庫内部へと通ずる通用口の方へと歩いて行く。

「言われなくても、好きにやるさ」

 そんな三島の背中を見送りながら、西條は独り言のように呟いた。

 呟きながら、延々と見送っていた。ツナギに身を包んだ三島の、広すぎる背中が後ろ手に閉められる扉に遮られ、見えなくなるまで。

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