Int.10:烈火の月夜、紅蓮の焔は男の奈落を垣間見る

 ――――その頃、訓練生寮の屋上では。

「……ありゃ、ステラちゃん?」

 ステラ・レーヴェンスが燃え盛る烈火の如き赤いツーサイドアップの髪を夜風に揺らしていると、そんな声が――白井の声が、少し遠くの屋上の出入り口から聞こえてきたものだから、ステラは転落防止の手すりに肘を突いた格好のまま、視線だけをそちらへと向ける。

「何よ、アタシが居ちゃあ悪い?」

 金色の瞳で彼の方を見ながら、普段通り棘の強い語気でステラがそう言えば。「うんにゃ」と白井は後ろ手に扉を閉めながら、静かに首を横に振る。

「まさか、出くわすと思わなかったからさ」

「それはこっちの台詞。アンタ、まだ帰って無かったの?」

「国崎んとこに、少し用事あってな。屋上あるって聞いたもんだから、ついでに寄ってみたってワケ」

「へえ? アイツも寮生活なんだ」

「ありゃ、知らなかった?」

 扉にもたれ掛かりながら、意外そうな顔で白井にそう言われれば。ステラは小さく「ええ」と頷くと、視線を彼から外し、また外の方へと移してしまう。

「ま、カズマ以外の男は眼中に無いか」

「…………」

 何故か、ステラはそれに答えなかった。それを不思議に思い軽く首を傾げつつ、白井は「そうだ」と独りで勝手に頷いて、

「ステラちゃん、まだここに居るつもり?」

「えっ? ……まあ、ね。もう少しは、ここで夜風にでも吹かれてよっかなって」

「オーケィ、ならグッドだ」

 そんな風に妙なことを口走る白井が気掛かりになり、また彼の方へ横目の視線を流すと。すると白井は「ちょこっとだけ、待っててな」なんて一方的に告げれば、また出入り口の扉を開け。そのまま訓練生寮の中へと戻っていってしまう。

「あっ、ちょっ……!?」

 ステラの制止も聞かないままに扉の向こうへと消えていく彼の背中を眼で追いながら、ステラは知らず知らずの内に挙げていた腕を下げ。「何よ、ったく……」なんて小さく毒づけば、また視線を外へと戻した。

「――――ほいほい、お待たせお待たせ」

 それから五分ばかしで彼は戻ってくると、何故かそのままステラの横にまで来て。ぷいっとそっぽを向くようにステラが彼の方へ視線を向けていなかったのを良いことに、手にしていた冷たい何かをピタッ、とステラの頬に押し当ててきた。

「ひゃあっ!?」

 突然頬に襲い掛かってきた冷たさに、素っ頓狂な声を上げてステラが飛び退くと。「ぐへへへ」なんて下卑た笑みを浮かべる白井の手には、何故か缶コーラが握られているのがステラの眼に映った。

「クソ暑い夏には、ギンギンに冷えたコーラが一番。これが真理って奴よ」

「ったく、ならもうちょっとマトモな渡し方しなさいよね……」

 はぁ、なんて溜息をつきながら、白井より差し出されたそれを雑に受け取り、プルタブを押し込んで缶を開封する。

「……っぷはぁ」

 冷えた炭酸飲料を思い切り喉に流し込めば、確かに気分も少しは晴れてくるというものだ。

 そんなステラの反応をニヤニヤと横目で眺めていた白井は、ふとした時に「……そういえば」と思い出したみたいに呟いて、

「ステラちゃんは、弥勒寺ん所に行かなくて良いのか?」

 なんて妙なことを口走るものだから、ステラは訳が分からずに「は?」と微妙な顔色で訊き返す。

「いや、少し前にエマちゃんとすれ違ったのよね。そしたらアイツの部屋に行くって言ってたから、てっきりステラちゃんも行ってんのかなーって」

「……ああ、それね」

 そんな風に白井に言われれば、ステラも納得したみたいに小さく唸った。「それなら、アタシもすれ違ったわ」

「ん? なら、なんで――――」

「…………勝てないなって」

 首を傾げた白井が問いかける言葉も半ばに、それを遮りながらステラはそう、何処か遠い目をして呟いていた。その瞳は既に彼の方へは向けられていなくて、そして手すりに肘を突く両腕にだらしなく顎を置く格好は、何処か疲れているようにも、白井の眼からは見えてしまう。

「……勝てない?」

 缶コーラを傾けながら、恐る恐るといった風に白井がそう問いかけると。するとステラは「ええ」と静かに頷いて、

「あの二人には、やっぱり勝てないって。……何だか、最近そう思うのよ」

「綾崎と、エマちゃんの二人か」

「ご明察」

 フッと冗談めかして笑うステラだったが、しかしその横顔は、やはり何処か重かった。

「そりゃあね? アタシもカズマのことは好きよ? ……多分、今でも」

 何故だか疑問形の、まるで己自身に問いかけるような語気のステラだったが、しかし白井は敢えてそこに触れること無く。その隣でただ、彼女の話を黙って聞いていた。

「でもさ、正直……あの二人ほどの情熱は、最初から無いのよ。あの二人みたいに、愛に狂えやしない。

 そりゃあ、そうよね? だって、アタシの中でカズマって、どっちかっていうと喧嘩仲間って感じだもの。確かに男としちゃあ魅力的だけど、でも…………」

「――――アイツとは、殴り合ってる方が似合うってか?」

 そんな風に白井が試しに言ってみれば、「そうそう、そういうこと」と、ステラは苦笑いしながらアッサリと肯定してみせた。

「別に、アイツが嫌いになっただとか、そういうワケじゃないの。寧ろ、前よりも好きになったぐらい。アイツになら、安心して背中を預けられるわ。

 ――――でもね、やっぱりカズマは、アタシの中じゃあ戦友であって、喧嘩仲間であって。ただ、それだけなのよ。頑張ったけれど、やっぱり恋愛関係っていうか、男と女としては見られない」

 おかしいわよね? 確かに、アイツのことが好きだったはずなのに――――。

 自嘲めいた笑みを浮かべるステラの独白に、白井は言葉を返す術を知らなかった。ただ、彼女の話を黙って聞いていてやることしか、出来なかった。

「…………だから、あの二人には勝てないって。そう、思っちゃったのよ。一度思ってしまったら、それで最後。アタシじゃあ逆立ちしたって、瀬那にも、エマにだって勝てやしない。

 ……アタシは、アイツの後ろで戦って、たまにアイツと真っ正面から殴り合うだけで。それで、十分だって。そう、気付いちゃったのよ」

「…………そうか」

 ――――それが、ステラの選んだ決断なら。

 白井には、それを止める資格は無い。それを、止めるつもりもない。だから、ただ小さく、ステラの言葉に頷き返してやった。

「……白井」

「ん?」

「アンタ、好きなとかって、居ないの? 勿論、この間話してた"まあちゃん"とかいうはノー・カウントで」

「うーん、そうだなあ」

 そんな話を振られてしまえば、乗らない男は白井彰じゃない。

 ともすれば白井はニヤニヤとしながら、「そうだなあ、美桜ちゃんはかなりの有力株として、後はまどかちゃんに、最近はみゃーちゃんもアリな気がしてきたなあ。勿論、ステラちゃんもだぜ?」なんて茶化しながら次々と列挙していくが、

「――――そうじゃない」

 そんな、シリアスな色のステラの言葉に遮られ、次々と女の名を列挙していた白井の口は、そこまでで制されてしまう。

「そうじゃ、ない……。アンタは、結局誰を見てるの……?」

「誰、って……」

 全員、見てるに決まってるだろ――――?

 そう、言いたかった筈なのに。何故か言い淀んでしまう自分の反応が、白井自身にもワケが分からなかった。

「アンタは、誰も……っ。アタシも含めて、誰一人、アンタの眼には……!」

 何かを噛み締めるように、言い掛けたステラだったが。しかしそれ以上を紡ぐことはせず、「……ごめん、忘れて頂戴」と、一方的にその話題を打ち切ってしまう。

「おいおい、なんだよそりゃあ?」

 そんなステラに苦笑いしながら白井が返すと、「いいの、アタシも何言いたかったか忘れたから」なんて具合に、ステラはあからさまに誤魔化す。

「まあ、いいや」

 露骨なそれを敢えて気にしないまま、白井はそうやって頷くと。そのまま、その話題に触れることはしなくなった。

「……とにかく! どのみち、アタシは眠れないの。眠れないから、ここで風に当たってたの。だから白井、アンタにはもうちょっと付き合って貰うから、覚悟しておきなさい?」

 そんな風に話題を切り替え、強引な笑みを作ってみせるステラの言葉に、白井は「おー、怖い怖い……」と返しながら、しかし胸の奥では、まるで別のことを考えてしまっていた。

(俺が、誰を見てる、か……)

 その答えは、きっと自分自身も持ち合わせていない。ただ、ステラの言いたかったことだけは、何となくだが理解出来ている……つもりだった。

(弱ったなあ、そこ突かれると)

 本当に、弱ってしまう。

 弱ってしまうからこそ、白井はにひひっ、と笑ってみせた。困った時ほど、自分は笑うのだ。笑うべきなのだ。それが、幼きあの日に別れた、あのとの約束だから。

 だから、白井は笑い続ける。その背中に十字架を背負い続けながら、それでも笑い続けるのだ。

「…………」

 そんな白井の、白井の背負う奥底が、彼の浮かべる笑顔から垣間見えてしまうようで――――。ステラには、それが逆に辛かった。

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