Int.09:金色と藍の戦乙女《ヴァルキリー》、流星墜つる夜に

「…………」

 そして、瀬那が風呂から出てくると。それと入れ違いになるようにして一真がさっさと入ってしまい、後に残されたのは未だにベランダへ立つエマと、何故かその横に立つ、和装めいた白い寝間着を着た瀬那だった。

 風呂上がりの湯気を漂わせながら、瀬那は無言のままでベランダから夜空を見上げていて。その隣に少し距離を置いて立つエマは、その顔を影に隠すようにしながら。しかし、彼女と同じように夜空を見上げていた。顔を隠すのは、きっと泣き腫らした眼を、見られたくないからだろう……。

「…………」

 そんなエマに、瀬那もまた何をどう声を掛けて良いものか、分からなかった。

 ……実を言えば、先程の二人のやり取りは、瀬那も聞いてしまっていたのだ。窓が閉められていたから細かい声までは聞こえず、大体のことしか分からないが……。しかし、どんな具合のやり取りを一真と交わしていたのかは、何となく察しているつもりだった。

 だからこそ、中々風呂場から出てこられなかった。そのせいで少しだけ湯冷めをしてしまったような気もするが、しかしあんな状況でノコノコと出て行くほど、瀬那の神経は図太くなかったのだ。

(やはり、エマは彼奴あやつのことが……)

 何となく、察していたことだった。というより、アレだけ露骨で分からないワケがない。分からないはずが、ない。

 それを分かっていて、放置していた節も瀬那には無くは無かった。最後は一真が決めることだと、そう思って。

 それは決して間違いでは無かったと、今でも自信を持って言える。言えるが……。

「…………」

 こんな調子のエマを見ていると、少しばかり心が痛む節もある。だから瀬那は、彼女になんて声を掛けて良いのか、分からなかったのだ。

 だが――――これは、遅かれ早かれ起きたことだ。一人の男を取り合っている以上、いずれは起きていたことなのだ。それが、思ったよりも少しだけ早かっただけのこと。ただ、それだけのことなのだ……。

「――――エマ」

 故に、瀬那は意を決し。しかし彼女を気遣い、彼女の方に視線を流さぬまま。視線はただ夜空を仰いだままで、短くそう、エマの名を呼んだ。

「……何かな、瀬那?」

 そう答えるエマの声音は、必死に隠そうとしていたが、しかし滲み出る涙声の色は隠し切れていなかった。視線は向けていないから彼女の表情こそ瀬那からは窺い知れなかったが、きっと横顔は、涙に眼を腫らしているのだろう。

「…………」

 それを敢えて気にしない素振りを見せながら、しかし瀬那は一瞬だけ口ごもり。その後で意を決して口を開けば、やはり彼女の方を向かないままでこう言った。

「……先程の話、少しばかり立ち聞きしてしまった」

「……そっか」

 そうすれば、エマはフッと小さく、儚い笑みを浮かべる。それに瀬那が「済まぬ、盗み聞きするつもりは無かったのだが」と詫びれば、エマは「いいよ、いいよ」と首を軽く横に振り、

「どのみち、君には話さなきゃって思ってたことだしね。……手間が省けて、却って助かっちゃったかも」

 あはは、なんて苦笑いをするエマの、そんな声が何処か痛々しくて。だから瀬那は、一瞬だけ彼女の方に向けようとしていた視線を、再び仰ぐ方向へ逸らしてしまう。

「…………其方なら」

 そんなエマから視線を逸らしながら、しかし声音だけは真っ直ぐに凛とさせながら、瀬那がポツリとそう告げれば。エマが「えっ?」と訊き返してくるのを片耳に挟みながら、瀬那は言葉を続けていく。

「他でもない其方なら、構わぬよ」

「……何のこと?」

「さっきの、話の件だ」

 無論、彼奴あやつの心持ち次第ではあるが――――。

 瀬那がそう言うと、エマはクスッと小さく微笑し。「そっか……」と呟けば、半歩だけ瀬那の方に近寄ってきた。

 振り向けば、部屋から漏れ出る明かりの差し込むエマの横顔が、瀬那の視界へ微かに映る。やはりその瞳は泣き腫らしていたが、しかしその横顔に浮かべる顔は、何処か晴れやかでもあった。

「君は、そういうだったよね」

「うむ」そんなエマに、瀬那は力強く頷いてやる。「多少は、男の器量というものだ」

「……なら、僕は諦めなくても、良いのかな?」

「他でもないエマ、其方のことだ。私は構わぬ。――――尤も、其方自身に、まだその気があればの話だが」

 瀬那が敢えてニッと小さく笑みを浮かべながらそう言ってやれば、エマも「ふふっ……」と吹き出すように小さな笑みを浮かべてみせる。

「……だったら、諦めないよ。でも、覚悟しててよ? 瀬那が油断してたら、今度こそカズマは、僕が掻っ攫って行っちゃうんだから」

「望むところだ。其方ならば、相手にとって不足無しというものだ」

 首を傾げながら、エマは柔らかい笑みを浮かべながらそう言って。瀬那はフッと不敵に笑いながらそう言えば、二人の間にそれ以上の言葉は必要無かった。

「っとっとっと、のぼせるのぼせる……」

 ともすれば、浴室が開く音がして。そんな風な一真の独り言が網戸越しに漏れ聞こえてくると、瀬那とエマは二人揃って小さく肩を震わせ合う。

「…………そうだ、エマ」

「ん?」唐突に話しかけてきた瀬那に、未だ肩を震わせ微かに笑いながらエマが反応すれば、

「――――其方にも、話しておこう。私と、綾崎の真実を」

 そんなエマの蒼い双眸を真っ直ぐに見据えながら、何かを決断したような顔で瀬那はそう、彼女に向かって告げる。

「綾崎の……?」

 不思議そうに首を傾げるエマに向かって、うむ、と瀬那が頷く。その瀬那の顔付きが途端にシリアスな色を落とし始めていたものだから、ごくりと生唾を飲み込み喉を鳴らすエマもまた、瀬那が話そうとしていることが尋常で無いことを、暗黙の内に察していた。

 ――――そんな二人の傍で、漆黒のキャンパスの中で、一条の流星が流れ落ちていく。ここが二人にとっての転回点であることを、暗に示すかのように……。

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