Int.03:夜闇の蒼、策謀巡る不夜の街

「――――ほう、やはり切り抜けましたか」

 都内某所にある、とある高級ホテル。その最上階にあるスウィート・ルームの窓際から眠らぬ首都の夜景を見下ろしつつ、襟足の長い深蒼の髪を空調の微風に靡かせる、バスローブに身を包んだ男――――マスター・エイジは独り、耳に当てた受話器に向かってほくそ笑んでいた。

『全機帰還、あの女狐も無傷で戻ってきていると来た。全く、気に食わんよ』

 受話器のスピーカーから聞こえるその声は、倉本くらもと陸軍少将その人の声に相違なかった。あのトレードマークめいた白髪交じりのコールマン髭を蓄えた顔が、きっと今頃は怒りと苛立ちに歪みきっていることだろう。それを想像すると、マスター・エイジは思わず頬を緩ませてしまう。

「まあ、いことではありませんか。結果として、彼女たちの活躍が戦線の維持に繋がっているのも事実。いっそ、このまま有用な駒として扱ってしまっては、如何でしょうかな?」

『……マスター、貴方はそれを本気で仰っているので?』

「半分は、冗談のつもりですね」

 まあ、残り半分は本気ですけれど――――。

 ふふっ、なんて笑いつつ、マスター・エイジは掛けていたフレームレス眼鏡を指先でクイッと小さく押し上げる仕草をしてみせる。夜景を映し出すホテルの窓に反射する己の顔が、いやに満面の笑みなのが、却って何かおかしく思えてしまった。

『我々が為すべきコトは、あくまでも綾崎の娘の排除にあります。……それは貴方とて違わないことでしょうに、マスター・エイジ』

「おや? 私は、排除が目的だなんて一言も言った覚えはありませんが?」

『似たようなものだ。…………貴方の思惑がどうであれ、私はあの娘を何としてでも排除するつもりだ』

「というよりも、貴方の目的はどちらかといえば、少佐にひと泡吹かせる方ではありませんかな? そうでしょう、倉本少将?」

『……どう受け取って貰っても、構わん』

 まあ、事実ですしね。否定する必要もありませんか――――。

 倉本の苦々しい声を聞きながら、マスター・エイジは顔に浮かべる笑みの色を更に強くした。

 奴は確かにマスター・エイジと同じ楽園エデン思想に傾倒し、そして極地移住・地球圏脱出計画"プロジェクト・エデン"を推進しながら、諸国の影で暗躍する楽園エデン一派に協力する、国内の有力な人間の一人だ。そのことには間違いないし、倉本少将の権力は確かにマスター・エイジとて頼りにするところがある。

 だが――――結局、倉本がしたいことといえば、根本的には楽園エデン派への協力でも、"プロジェクト・エデン"の遂行でもない。倉本の目的は、あくまでも少佐――――"関門海峡の白い死神"、西條元少佐への嫌がらせと、隙あらば彼女を蹴落とすことでしかないのだ。

 そういう意味で、倉本という男はマスター・エイジの眼から見れば、随分と矮小で器の小さな男のように見えていた。そんな男がなんでまた陸軍少将なんて立場にまで登り詰められているのか、時折不思議にもなってくる。

 だがまあ、政治的な手腕だけを見れば、確かに割と優秀な男でもある。ああいう手合いは陸軍の将校なんかより、きっと小汚い政治屋でもやっている方が余程お似合いなのだ。国の未来よりも、己の権力と保身の方が大事な男なのだ、倉本という男は。

(しかし、利用価値は高い)

 そんな倉本の愚痴を右から左へと聞き流しながら、マスター・エイジはニヤリと小さくほくそ笑んだ。

 ――――そうだ、利用価値は高い。倉本が幾ら矮小な男であろうが、抱える権力自体は決して小さくない。楽園エデン思想を世の主流に収め、そして"プロジェクト・エデン"を完遂させる為には、利用できるものはとことん利用するに越したことはない。ただでさえこの国の場合は、綾崎財閥を筆頭とした、徹底抗戦の右派が多数派を占めているのだから……。

「……西側諸国、この内何処かひとつでも我らの手中に墜ちれば、国際世論は加速度的に楽園エデン思想に傾いていく」

 マスター・エイジはそう、踏んでいた。

 ただでさえ長きに渡る戦争で、世界各国の厭戦えんせんムードは凄まじいことになっている。それは特に、泥沼のベトナム戦争を有耶無耶のままに終わらせた末、そのままでこの絶滅戦争に突入した合衆国が顕著だった。かといって戦わざるを得ない以上、合衆国内の世論もどうしようも無いといった具合なのだ。

 そういう意味で、最も楽園エデン思想が浸透しているのは合衆国だと言っても過言ではない。現に、マスター・エイジのような"マスター"・クラスの人間や、そのもっと上位である意志決定レベル、"エルダー"と言われている連中も、その多数が米国系の人間なのだ。

 そもそも、"プロジェクト・エデン"自体は大戦初期に国連内で正式に提唱されていたプランだった。とはいえ、当時の技術レベルでは地球圏脱出はおろか、極地の全面移住ですら難しかった。それ故に"プロジェクト・エデン"は机上の空論としてすぐに棄却され、闇の中に葬られる……はずだった。

 しかし、それを本気で諦めない人間が居た。だからこそ、大戦勃発から四十年あまりが過ぎた今日こんにちでも、机上の空論と揶揄されていた"プロジェクト・エデン"は、水面下ながらもその息を止めては居ないのだ。

 幸いにして、この四十年にも及ぶ絶滅戦争で人類の技術レベルは飛躍的に進歩している。地球圏脱出は未だ難しいながらも、極地移住ぐらいは何とかなってしまうぐらいにはなっているのだ。後は、移住した後でゆっくりと技術研究を続け、やがてはこの母なる地球ほしを捨て、大宇宙の広大なフロンティアへと旅立てば良いだけの話だ……。

「こんな戦い、いつまでも続けたところで、無駄なのに。何故、それを分かって貰えないのでしょうか…………?」

 独り言を呟きながら、マスター・エイジは受話器を首に挟み、電話機の据えられた丸テーブルに置かれていた煙草の箱を手繰り寄せる。

 マールボロ・ライト銘柄のそれを一本取り出して口に咥えれば、箱をテーブルに置き直し。傍に放られていたジッポーを今度は引っ張り出せば、それを使って煙草に火を付けた。

『……何か仰りましたかな、マスター?』

 彼の独り言を怪訝に思った倉本が訊き返してくるが、マスター・エイジは「いえ、なんでもありませんよ」と、紫煙を吹かしながら話半分で言い返す。

『まあ、い。

 ――――とにかく、私は私で勝手に動かせて貰う。悪いがマスター、貴方のプランとやらより先に、私があの綾崎の娘を始末してしまいそうだ』

「ええ、構いませんよ」

 受話器を持たない方の手で煙草を口から離し、ふぅ、と小さく紫煙混じりの白く濁った吐息を吐き出せば、マスター・エイジは再びにこやかな笑みを形作りながらそう、倉本に頷いてみせる。

「貴方にやって頂けるのならば、それが一番です。こちらとしても、手間が省けますので」

『後で吠え面かいたところで、全ては遅いのだぞ?』

「かきませんよ、吠え面だなんて」

 ニッコリと、我ながら不気味にも思えるぐらいの満面の笑みを浮かべ、マスター・エイジが即答した。

『……貴方への話は、以上だ。また何かあれば、こちらから連絡しよう』

「ええ、お願いします。吉報をお待ちしていますよ? ――――ねぇ、少将?」

『……っ。……では、切るぞ』

 ガチャン、と受話器を置く音が向こう側で聞こえれば、それから聞こえるのはツー、ツー、という無機質な切断信号のみ。

 マスター・エイジもまた受話器を置き、そして一歩窓際の方に近寄れば、そこから眼下の街を見下ろした。半分まで燃え尽きたマールボロ・ライトの煙草を、ゆっくりと燻らせながら。

「…………貴方程度の男でどうこうできるほど、瀬那も、それに少佐も。甘いお人ではありませんよ?」

 その独り言は、しかし向けた相手へ届くことは永遠になく。空調の効いた、仄かに紫煙の香りの漂うスウィート・ルームの中に霧散し、そして無為のままに消えていった。

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