Int.50:ファースト・ブラッド/MAIN-TITLE

 ――――そして、事態が急変したのは数日後の早朝のことだった。

 朝も早くから一真は瀬那を伴って士官学校の校舎を訪れ、慣れ親しんだA組の教室の戸をガラリと開けると。すると、そこには見慣れた連中が、夏休みだというのに制服を身に纏った格好で何かを待っていた。

「おっ、弥勒寺じゃん。それに綾崎も」

 戸惑いながらも教室に足を踏み入れてくる二人をいの一番にそう出迎えたのは、やはりというべきか白井だった。

 こんな妙な状況だというのに、白井の浮かべる顔はいつもの呑気極まりないもののまま。だからか、「おう」と軽い調子で挨拶を交わす一真も、肩の力が少しだけ抜けていく思いだった。

「にしても、緊急招集って何だろうな?」

「さあな」一緒になって横並びに歩き始めた白井の呑気に間延びした声に、一真が微妙な色で返す。

「少なくとも、重大なことであることには間違いないであろう」

「そうかなあ」

 普段と変わらぬ凛とした声音で瀬那に言われて、白井はぼけーっとした顔のままで軽く首を傾げる。

「……やっぱり、カズマたちも呼ばれてたんだね」

 そんな白井と教室を歩き、いつもの席に瀬那と普段通りに縦並びで着席すると、既にその席の近くで待っていたエマがそう、深刻そうな面持ちで言う。

「アタシにエマに、霧香と、それに白井に美弥もだもんね。この面子を見れば、自ずとアンタたちが呼ばれてるのも分かるってもんよ」

 エマの言葉に続けてそう言うのは、一真の真横の空席の上へ不作法に腰掛けながら尊大に脚を組むステラだ。

 ちなみに、そんなステラたちの傍には美弥の姿もある。エマの背中からチラリと顔を出しながら「おはようございますっ」なんて軽くお辞儀をしてくるもんだから、一真も小さく頬を緩ませながら軽く手を振って挨拶代わりとしてやった。

 そして霧香はといえば、教室の隅っこで壁により掛かり、腕組みをしながら瞼を閉じているのみで、こっちに合流してこようとはしない。何か思うところがあるのか、単に眠いのか……。それが読めない辺り、流石は霧香らしいというか何というか。

「……見慣れぬ者も、るようだな」

「うん」教室の中を怪訝そうな目付きで見渡す瀬那の言葉に、エマが頷いて肯定する。

「僕もヒトのことは言えないんだけれど、どうやら他のクラスからも招集が掛かってるみたい」

 そんなエマの言葉を片耳に挟みながら、一真も瀬那と同じように教室の中を見渡してみた。

 ――――確かに、見慣れない連中の姿がチラホラと見受けられる。一真の周りに詰めかけるいつもの連中以外は、明らかにここの、A組のクラスメイトではない奴らばかりだった。

 だが、その中でも多少の見覚えがある奴の姿はあった。襟足の多少長めな感じの黒髪で、その前髪をグワッとオールバック気味に掻き上げている格好なソイツは、この教室に居る中では一真と白井を除いた唯一の男だ。

 確か、名前は国崎……そうだ、国崎崇嗣くにさき たかつぐとか言ったか。一真の記憶が正しければ、元のクラスはE組の筈だ。

 フレームレスの眼鏡を掛けていて、表情も冷静沈着そのもの。クールで知的な風貌だが、しかしウデは立つ。何せ、クラス対抗TAMS武闘大会の準決勝で一真が討ち倒した相手なのだから、彼の実力は直に戦った一真自身が一番良く知っている。

「あっちのは、僕と戦っただね」

 そう言うエマが視線で示す先を見れば、壁際に寄りかかるその女子は、確かに一真にもほんの少しばかりの見覚えがある相手だった。

たちばなまどか、B組のクラス代表だった筈だ。一真と瀬那は、確かあのとの試合、見に来てくれてたよね?」

「んだな」

「うむ」

 一真と瀬那が続けて頷くと、エマは「そっか」と言って小さく微笑む。

 ――――たちばなまどか。たった今エマが言った通り、彼女もまた、クラス対抗TAMS武闘大会にB組クラス代表として参戦していた腕利きだ。

 紫に近いような濃い色合いの藍色ショート・ヘアで、髪と同じような色合いの瞳を持つ眼は少しばかり垂れ気味。背は美弥より少し高く、150cm台後半から160cmに届かないぐらいといったところか。

 浮かべる表情はぽわわーんとしていて、なんだか見た目だけを見ているととてもパイロットとは思えない。

 が、その実力は確かに折り紙付きだ。腐ってもクラス代表、実戦経験豊富な欧州連合・フランス軍エース・パイロットのエマ・アジャーニを相手にしたのが不運だったというだけで、伊達にクラス代表を張っていたワケではない。それは、あの試合を観戦していた一真と瀬那が証明するところだ。

「じゃあ、後の一人は誰か知ってる?」

 そんな二人以外の、顔を知らぬ最後の一人。そんな彼女の方にチラリと横目を流しながらステラは小声でそう問いかけるが、みな首を傾げるばかりで、その問いに答えようとする者は誰一人として居ない。

「…………」

 もしかしてと思って一真は遠巻きな霧香の方に横目の視線を投げてみるが、しかし視線は交錯しあうものの、彼女は黙って小さく首を横に振るのみ。流石は忍者だけあってニンジャ・地獄耳でこっちの会話をちゃっかり聞いていたような素振りだが、しかし彼女も最後の一人は知り得ていないようだった。

「――――あら、もしかして、私の噂かしら?」

 そうしていると、意外にもその顔も知らぬ彼女の方から一真たちの方に近づいてきて、そう話しかけてきた。

 うふふ、なんて妖艶にも思える大人びた笑みを浮かべる彼女を間近で見ると、存外容姿の方はかなり良質な部類だった。

 そんな彼女の背丈は瀬那と同じぐらいで、180cm越えのステラよりは低いが、それでも女にしては高い方だ。腰まで伸びる蒼穹のように蒼いストレートの髪と、目尻が少し垂れ気味な赤い双眸。顔付きは見るからに温和で、語気も優しそうだ。しかも体格がそんなで、バストはかなり豊満。それでいて瀬那に近いようなモデル体型なものだから、一真や白井が真っ先に抱いた印象は、お姉さん系といった感じだった。

「っと、自己紹介が遅れちゃったわね……。

 ――――私は哀川美桜あいかわ みおん。クラスはD組よ。他の子たちと違って、クラス代表ってわけじゃないんだけれどね。あ、ちなみに多分だけど、歳は皆より二つか三つぐらい上だと思うわ」

「ど、どういうことなのさ?」

 彼女の――――哀川美桜あいかわ みおんが言った発言の最後が気掛かりになったらしく、戸惑いながら白井がそんな風に口を開く。

「あ、名乗るの遅れちゃった。……俺は白井彰、よろしくっス」

「あらあら、敬語なんて使わなくて良いのよ?」

 うふふ、なんて聖母のような笑みを向けながらそう言われると、白井は「あ、はいぃ」なんて完全に鼻の下を伸ばす。

「…………墜ちたな、アイツ」

「うむ、完全にホの字だ」

 そんな白井の様子を呆れ顔で眺めながら、一真と瀬那はそんな風に小声で耳打ちをし合う。

 どうやら白井、美桜が天然で撃ち放った初撃で完全に撃沈してしまったらしい。まあ、アレだけの破壊力を正常な男が喰らえば、無理もないが。

「うーんとね、何年か前に大きな病気やっちゃってね。今はもう治ってるんだけれど、それが原因で徴兵、遅れちゃったのよぉ」

「あー、そういう……」

 ニコニコとしながら美桜の言う言葉に、白井が納得したようにうんうんと頷く。

 ――――なるほど、そういう事情ならば、あの妙に達観しているというか、大人びたような雰囲気も。そしてこの謎の姉気質にも納得がいく。

 ということは、美桜の歳は十九か、或いは二十歳はたちを越えている可能性だってある。まあ、細かいことは気にしないが、だとすればこのやたらめったらな姉気質の所以にも納得が出来るというものだ。

「そういうわけだから、よろしくねぇ。アキラくんも、他の皆も」

 そうやって美桜が言えば、それから一同は美桜に対して、とりあえず一通り名乗ってやることにした。白井はもう真っ先に名乗ったので、除外だ。

「――――みな、揃っているようだな」

 そんなことをしている内に、教室の扉がガラリと開き。その向こうから錦戸を伴って姿を現した西條が開口一番にそう言いながら、いつも通りに羽織る白衣の裾を靡かせながら颯爽と教壇の上に登る。

 そうして教官二人が入ってくると、教室の中は自然と微かにだがざわめき始める。それを意にも返さぬような態度で腕を組む西條は教卓の前に仁王立ちをすると、とりあえずと言わんばかりに取り出したマールボロ・ライトの煙草を一本吹かしてから、

「色々と訊きたいことも大アリだろうが、とりあえずは席に着け。他のクラスの奴は、適当な空いてるところで構わん」





「――――さて、夏休み中で悪いが、今日諸君らをこうして呼び出したのは他でもない」

 皆が席に着くのを見届けると、西條はマールボロ・ライトの煙草を口に咥えたまま、神妙な面持ちでそう話を切り出した。

「…………」

 しかし、何かを言い掛けたところで、西條は思い留まるように一瞬口ごもる。

「……少佐」

 そんな西條へ、錦戸が普段と同じ好々爺めいた笑みを浮かべながら、しかしその中に心配の色を一抹だけ織り交ぜながら小さく声を掛ければ。西條は「……分かっている」とひどく低い声で言い返すと、再び一真たちの方に向き直り、そして重く閉ざされていた口をゆっくりと開いた。

「――――端的に言えば、非常事態だ」

 非常事態。

 そんな不穏極まりない単語が、こともあろうに西條の口から飛び出せば。教室内がざわめき始めるのも必然であり、漂う空気は自然と重々しく、それでいて神妙なものへと変わっていく。

「先月の段階より、G06幻基巣から出現する幻魔の攻勢が勢いを増しているのは、諸君らもニュースなどで知り得ていることだろう」

 漂うそんな不穏な色を分かった上で、敢えて西條は教室内のざわめきを無視し、強行するようにそう話を続け始めた。

「現在、中部方面軍は総力を挙げてこれに対処。米軍と国連軍の支援の下、必死の抵抗を続けている。

 …………だが、あれだけ長大な防衛線だ。当然、何処かしらで綻びは出てくるのは必定というものだ」

「――――"はぐれ幻魔"」

 知らず知らずの内に、一真が戦慄した顔でそう独り言めいたことを呟けば。しかしその声音は存外大きかったようで、一真の呟きを耳に挟んだらしい西條は「その通りだ」と肯定の意を示すと、重々しい面持ちのままで話を進める。

「防衛線をすり抜けた小中規模の連中にまで、主力部隊はかまけていられない。しかし、特に勢いの強い今年では、既存の予備部隊だけではとても対処が不可能なのだ。

 ――――そこで、国防省・統合参謀本部より我々に命令が下った。訓練生小隊を編成し、これの対処に当たれとの命令が、な…………」

「…………!」

 訓練生小隊――――。

 それが意味することは、即ち此処に集められた者たちは全員、早すぎる実戦へと駆り立てられることを意味していた。

 だからこそ、教室内の空気は一気に緊張が張り詰める。誰も彼もが、早すぎる実戦に恐れおののいていた。他ならぬ、一真ですらも……。

「……君たちには、本当に済まないと思っている。しかし上層部からの命令である以上、私にも逆らうことは出来んのだ…………」

 許してくれとは言わない。だが、分かってくれ――――。

 痛切な面持ちで、煙草の灰が落ちるのも忘れて、あの西條の口からそう言われてしまえば、文句など言える筈もなく。教室に詰めかけた面々を支配するのは、ただ重々しい無言のみだった。

「……これより、諸君らは緊急編成された当士官学校の訓練生小隊・京都A-311訓練小隊の所属となる。

 ――――そして、四時間後には此処を発ち、戦地へと向かって貰うことになった」

「――――ちょっと、待ってくださいっ!」

 そこに来て、堪えきれなくなって立ち上がりながら激昂したようにそう叫んだのは、ステラだった。

「訓練生小隊の編成は、分かります。ですが、四時間後に実戦……!? 幾らなんでも、急すぎやしませんかっ!?」

「…………本来なら、今日ここで君たちに告示して、後日に実戦投入の予定だったのだ」

「なら、何故っ!?」

 すると、西條は小さな溜息と共に大きく肩を竦め、

「……上層部からの、命令だ。逆らうことは、出来んよ……」

「そんな、大人の理屈っ!」

「理不尽なのは重々承知だ。しかし、逆らえぬのだよ……。ステラ、それが我々大人というものだ。階級持ちで正規軍人の君になら、それが分かるはずだ」

「っ……!」

 ステラは今にも椅子を蹴っ飛ばしそうな勢いで頭に血を上らせていたが、しかしそこまで馬鹿ではない。既にコトは、物に当たり散らして済むような段階を越えていることぐらい、米空軍の軍人である彼女にとっては、痛いほど分かっていることだった。

「……本当に、急すぎることだ。どれだけ詫びても詫びきれない。私たちだって、今朝になって初めて知ったことなんだ……」

 軽く視線を伏せた西條のそんな呟きは、ひどく痛切で。どうすることも出来ないことへの歯痒さが、西條の紡ぐ言葉の端から小さく滲み出ていた。

「…………ええ、私は構いません」

 すると、少しばかり落ち着きを取り戻したらしいステラが、しかし何処かに未だ怒気を孕んだ口調でそう、西條に言う。

「私は、合衆国の星条旗に忠誠を誓った、我ら誇り高きエアフォースの軍人です。だから、何処か戦場であろうと、私は戦います、戦えます。それだけの覚悟は、とうに出来ていますから。

 ――――しかし、他はまだ訓練生の身の筈です! それを、呼びつけていきなり実戦に駆り出すですって……!? ハッ、ちゃんちゃらおかしい!」

「……おかしいのは、分かってるさ。私だってな、十分すぎるぐらいに分かっているつもりだ」

「なら!」

「――――だが、そうもいかないのが、軍人というものだ。上の命令に逆らうことは出来ん。上層部の命令は、絶対なんだ。

 ……ステラ、それを分からぬ君じゃあないだろ?」

「っ……!」

 毅然たる態度で、しかし何処かに歯痒さを織り交ぜた声音で西條にそう言われてしまえば、ステラはこれ以上の反論をすることが出来ず。何も言えぬまま、失意のままにただ、乱暴に座り直すことしか出来なかった。

「―――――ステラ・レーヴェンスさん、それにエマ・アジャーニさん。貴女たち二人は交換留学生、即ちこの士官学校にとっての賓客に当たります。とりあえずは適性だけを見て貴女たちも選抜しましたが、もしお二人が望むのであれば、お二人はこれを拒否する権利があります」

 そんな重苦しい空気の中、今まで黙っていた錦戸がそう、普段と変わらぬ冷静な声色でステラ、そしてエマの二人に向かってそう、ある意味で非情とも取れることを告げた。

「ハッ、冗談!」

 それに、もう体裁を取り繕うのもやめた荒々しい語気で言い返すのはステラだ。

「他の連中見捨てて、アタシだけ命惜しさにおのおのと逃げ帰るですって? ――――そんなこと、出来るワケないでしょうが」

「僕も、右に同じです」

 荒々しい口調のステラとは裏腹に、普段通りの冷静極まりない落ち着いた声色で、しかし拒否権を一言目で突っぱねるのは、やはりというべきかエマだった。

「今更、実戦でどうこう言うほど、僕はヒヨっ子でもありませんから。

 ――――それに、此処が僕の祖国であろうとなかろうと、僕には関係ない。僕は僕の立つ場所で、戦うまでです」

 最後に敢えてニッと小さく微笑みながら、エマがそう告げれば。西條は咥えていた煙草を口から離しながら、一言だけを小さく呟いた。

「…………すまない」

 そうすると西條は教卓に両手を突きながら、一度深く項垂れて。暫くの間そうしていると、何かを決意したように一度、ゴクリと生唾を呑み込んだ西條は顔を上げ、すっかり短くなってしまった煙草を咥え直すと、改めて一同に向き直る。そして、

「――――皆の命、私に預けてくれ」

 そう、薄暗い瞳の色で低く、噛み締めるように告げた。

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