Int.47:Innocent Starter;
勢いを落ち着かせ、曇り空からしとしとと降り注ぐしめやかな雨が、透き通るステンドグラスたちを叩いていた。
そんな遠い雨音を背景に、開かれた両開きの扉の向こう側――――。そこに立つ彼女の姿を見て、一真は立ち尽くしたまま、言葉を失っていた。
――――そこには、女神が立っていた。
この時のことを後から思い返せば、きっと自分はこう例えるだろうと一真は思う。それ程までに美しく、それでいて後光すら差しそうな神々しさを垣間見させながら、そこに彼女は、瀬那は立っていたのだ。
「…………」
傍に立つ東浦に手振りで指示され、ニコニコとした彼女に見送られながら、瀬那はこっちに向かって一歩ずつ、ゆっくりとした足取りで歩いてくる。両手をそっと重ねながら、その凜々しくも美しい尊顔を、薄い絹のヴェールで覆い隠して。
「…………」
それを見ていると、一真は半分無意識のままベンチの傍から離れ、そんな彼女の向かう先に立っていた。純白のドレスに身を包み、歩いてくる瀬那から、一瞬たりとも目が離せなかった。
「…………一真」
そうして、一真のすぐ目の前まで歩いてくると。顔を覆い隠すヴェールの向こう側からそっと見上げ、瀬那は一真の名を呼ぶ。
「あ、ああ」
戸惑いながらも、一真は何とか彼女の言葉に反応することが出来た。言葉が覚束なくなるほどに、今の彼女は美しく、それでいて気高かった。
「似合っておるだろうか、私は」
「……何をどう例えたらいいか、分からんぐらいに」
少しだけ自信なさげにそう訊いてくる瀬那に、一真が狼狽しながらそう言ってやれば。瀬那は「……そうか」と頷き、小さく微笑む。
「少し、安心した」
そう呟く瀬那の瞳は、いつものように凜々しくて気高くて、しかし、底知れぬほどの優しさの色をも垣間見させている……。そんな風に、今の一真からは、ヴェール越しに彼女の双眸を見据える一真の眼には、映っていた。
「……一真」
「な、なんだ?」
「私は、分かった上で
――――意外だった。
意外すぎて、一真はまた言葉を失っていた。
まさか、瀬那が全て分かった上で東浦の提案に乗っかったなんて、考えもしなかった。きっと瀬那のことだから、よく分からない内に物は試しでと乗ってみたのだと、そう思ってしまっていた自分がいた。
だから、一真はひどく己を恥じていた。瀬那のことを、何処か妙に勘違いしていた己自身を、ひどく恥じていた。
すると、そんな一真の内心を察したのか、瀬那はフッと小さく笑うと「……意外であったか?」と、何処か悪戯っぽい笑みで呼びかけてくる。
「まあ、な」
一真は大人しく、頷いてそれを肯定する。すると瀬那はクスッと小さく笑って、
「……其方となら、構わないと思った」
「…………」
ポツリ、と瀬那が少しずつ紡ぎ出す言葉を、一真は黙って聞いていた。
「一真なら、私の全てを受け入れてくれると、私はそう思った」
「…………」
「きっと、この先も私は波に呑まれながら生きていくのだろう。そういう家に生まれ、そういう
「…………」
「
一真、私は其方に救われたのだ」
「俺、が……?」
ああ、と瀬那は小さく、そして深く胸に刻みつけるようにゆっくりと、大切に頷く。
「其方ならば、最後まで私の傍に居てくれるのだと。…………そう思うと、自然と胸が軽くなった」
「…………」
「一真の傍に
「…………」
「――――これを、取ってはくれぬだろうか。其方の手で」
「……分かった」
――――覚悟、決めるっきゃねえよな。
既に、一真自身の覚悟は決まっている。ただ、それは今日じゃないと、そう思っていた、思い込んでいただけのことだ。
そっと、一真が手を伸ばす。薄い絹のヴェールを上げ、頭の後ろへ掻き上げてやる。薄布が消えると、瀬那の凜々しい顔がハッキリと眼に飛び込んできた。
気付けば、いつの間にか東浦は姿を消していた。扉の向こう側に消えたのか、空気を読んだのか……。
「一真」
一瞬そちらに気を取られていると、瀬那に名を呼ばれて一真は再び彼女の方に視線を向け直す。
「――――其方は、私だけを見ておれば
そう呟きながら、瀬那はその両腕を、一真の首へと回してきた。固く、離すまいという意志を示すかのように。
「…………一真」
「……なんだ?」
「其方は、私を護ってくれると言った。私の、私だけの騎士で在ってくれると申した。
――――その言葉、今でも嘘偽りないと誓えるか?」
すると、一真は「……ふっ」と小さく、それでいて不敵な笑みを浮かべ、
「当然、だろ?」
そう、堂々と瀬那に告げる。
「左様か――――」
――――なら、安心した。
「綾崎財閥も、国も軍も、何もかもがもう、今となってはどうでもよい。一真、私には其方さえ
――――覚悟は、出来ておるか? 私が往くのは茨の道、それに付き従う覚悟は」
「何を今更。そんな、覚悟なんて」
覚悟なんて、出来てるさ。とうの昔にな――――。
一真がそう告げれば、瀬那は「……左様か」と小さく頷く。そして、
「なら、私を護り通してみせよ。一真が、私の騎士であるというのなら――――」
――――スッと近づけた互いの顔と顔を、己の唇と彼のとを、瀬那は何の躊躇いもなく、重ねてみせた。
二人、静かに眼を閉じる。余計な情報は、もう必要なかった。首に絡みつく腕と、引き寄せた腰と。そして、触れ合う唇の感覚さえあれば――――他は、もう要らない。
(一真、私は其方を――――)
慕い続けよう。この世の誰よりも、何よりも――――。
永遠とも思える、一瞬の静寂。永久の彼方にまで引き延ばされた時間の中、いつまでとも知れず、二人はその中を
――――いつの間にか、雨は上がっていた。ステンドグラスから差し込む日差しが、その一瞬の終わりを告げるまで。一真も瀬那も、永久に引き延ばされた一瞬の中をただ、漂っていた……。
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