Int.17:白と紅蓮、それは暑い夏の訪れを告げる声①

「ほら、こっちよこっち」

 ――――そして、数日後の朝。

 士官学校近くの東海道本線・桂川駅のバス・ロータリーに一真が私服で現れると、辺りを探すまでもなく、先に待ち構えていたステラがそうやって手招きをしてきた。

「悪い悪い、待たせちまったな」

「遅刻五分ね。これは何かしら、お詫びにご馳走して貰わなきゃ」

「へいへい」

 わざとらしく言うステラに肩を竦めてみせつつ、一真はそんな彼女の元に歩み寄る。

 腰に片手を当てた格好で立ち尽くすステラの格好は、当然だが一真と同じように私服姿。黒い薄手のノースリーブ・ブラウスの上から米空軍のCWU-45/Pフライト・ジャケットを羽織り、下は丈が馬鹿みたいに短いジーンズ生地のホットパンツ、そしてコンバット・ブーツを両足に履くといった具合の出で立ちだ。しかも一真と殆ど同じかそれ以上に高いぐらいにステラは長身なものだから、そんな物凄い格好でもかなりキマっている。

 彼女の原隊である米空軍・第280教導/開発機動大隊のエンブレムをあしらった部隊パッチが付けられているフライト・ジャケットは、袖こそ捲っているものの、このクソ暑い真夏の時期には少しばかり暑そうでもある。とはいえその下が殆ど下着同然と言っても良いぐらいに薄手で布面積の少ない格好だから、ある意味これぐらいで丁度良く調和が取れているのかも知れない。

「にしたって、なんでわざわざここで待ち合わせなんだ?」

 そんな呑気なことを思いつつ、傍に立つステラに向かって一真がふとした折にそんなことを訊くと、ステラは「ん?」と視線をこっちに向けながら訊き返してくる。

「いや、どのみち同じ寮に住んでんだから、そこで待ち合わせた方が良いような気もしてな」

 すると、ステラはふっと小さく頬を緩ませ、

「ばーか」

 そう言って、一真の額を軽く指でぴんっと弾く。

「っ痛て」

「こういうのはね、気分ってのが大事なのよ。分かって?」

 ふふん、と鼻を鳴らすステラにそう言われてしまえば、一真も額をさすりながら「あ、そういうことね……」と、参った顔ながら納得の意思を示さざるを得ない。

「まあ、とにもかくにも、今日一日アンタはアタシの貸し切り。今度こそ、二人っきりのデートってわけ。この間みたいに邪魔が入らない内に、ほらさっさと行くわよっ」

 するとステラは一方的にそう告げ、一真の左腕に腕を回したかと思えば。それをぐいっと自分の方に引き寄せ、引っ掴む彼の二の腕を自分の胸元にまで寄せてしまう。

「……ステラ」

「なに?」

「当たってるんだが」

 勿論、一真の左の二の腕には物凄い柔らかい、水風船か何かに近いような感触が伝わってくるもので。薄手のブラウスのせいで普段の三割増しぐらいに物凄いダイレクトな感覚を味わいつつ、しかしいい加減こんな状況にも慣れてしまった一真は、きょとんとするステラに向かって至極冷静な声色でそう言う。

 すると、ステラはまた「ふふっ」と小さく笑い、

「馬鹿ね、当ててんのよ」

 なんて風にしたり顔で、至極当然のようにサラッと言葉を返してきた。

「あのなあ……」

 辟易したみたいに一真は溜息交じりでそう言うが、しかし本能的に鼻の下が伸びるのには抗えず。そうして理性が段々と鈍化していくのを感じながら、一真はそのままステラの腕に強引に引っ張られ、駅構内まで引きずるように連れ込まれてしまう。

 そうやって引きずり込まれた後で、やっとこさ解放されると一真は溜息交じりに切符を購入し。そのまま自動改札を二人して通れば、京都駅方面のホームにステラと並び立ち、電車の到着を待つ。

「――――あっれ、ステラちゃん?」

 そうして電車を待っていれば、何故かステラは何者かに声を掛けられた。

 何処かで聞いたことのあるような、若い男の声。誰かと思ってステラが眉間に皺を寄せながらそっちに振り返ると――――。

「……げっ」

 露骨に嫌そうな声を上げるステラの、その視線の先。ボケーッとした顔でそこに立っていたのは、他でもない白井だった。

「って、弥勒寺も居んのかよ」

「……なんでよりにもよって、アンタがここに居んのよ…………」

 次に一真の姿も見つけ、軽く手を振ってくる白井に、物凄く嫌そうな顔をしてステラはそう言う。すると白井は「ん?」と反応して、

「まー、暇潰しにたまには街に出ようかなって。それで女の子一人ぐらい引っ掛けられたら最高じゃん? 的な具合よ」

「無理だな」

「無理ね」

 鼻を高く鳴らしながらの白井の宣言に、一真とステラが揃って即答すれば。白井は一瞬で涙目になって「ひでえ!」なんて叫ぶ。

「…………あれ、白井さんに、ステラちゃんも?」

 ――――そうやっていれば、また別の誰かに声を掛けられる。

 何処かに幼さの気配を感じさせる、やたらと甲高い少女の声。そんな特徴的すぎる声の持ち主なんて、一真もステラも、白井でさえもただの一人しか知らない。

「おっ、美弥ちゃんも。偶然だねえ」

 振り向いた白井の視界に映るのは、やはり美弥だった。

「あっ、おはようございますっ」

 ぺこり、とお辞儀をして挨拶をする美弥。

「ほんとに偶然ですねー。一真さんたちも、これから何処かに行かれるんですかぁ?」

「アタシたちはね」

 そう言いながら、ステラは一真の片腕をまた引っ掴み、まるで見せつけるみたく露骨に自分の方に引き寄せる。

「そこの馬鹿は偶然出くわしちゃっただけよ。全く、アンラッキーも良いトコだわ」

「おおう、ステラちゃん相変わらず辛辣だぜ……」

「何よ、文句ある?」

「寧ろご褒美です」

「ならよし」

 一真に引っ付いたままで白井と阿呆ないつものやり取りを交わすステラを眺めながら、美弥は「あははー」なんてニコニコと微笑む。

「そういう美弥は、今からどっか行くのか?」

 ステラに引っ付かれながら、参ったような表情を浮かべつつ、一真が美弥に訊く。すると美弥は「あっ、はいっ!」と元気よく、何処か子供っぽい仕草で反応して、

「ちょっと、服でも買いに行こうかなって思いましてっ。最近忙しくて、夏物あんまり無いんですよぉ」

「あー、分かるわそれ」

 美弥に共感しながらステラが相槌を打つと、横で白井が「いや、思いっきり涼しそうじゃん……」と小さくツッコむ。

「それはそれ、これはこれ! あんまり野暮なこと言うと、アンタ線路に叩き落とすわよ?」

「やめてください幾ら俺でも流石にしんでしまいます」

 振り向いたステラに言われた白井が大変な真顔でそう言い返せば、フッと小さく微笑みながら「冗談よ、冗談」とステラが言う。

「うーん……」

 それから、何故かステラは思案を巡らせるみたいに唸り始める。そんなステラの様子を一真が怪訝に思っている内に、彼女は「よしっ!」と一人で納得して、

「もういいわ。折角だし、良ければ美弥も一緒にどう?」

「ほんとですかぁ!?」

 ステラが突然言い出した提案に、しかし二つ返事で乗ってくる美弥。それにうんうんと満足げに頷きながら、ステラは白井の方を向いて「しょうがないから、アンタも特別に付いて来て良いわよ」と、呆れたみたいな手振りを大袈裟にしてみせながら続けて言う。

「えっ、マジ?」

 きょとんとした顔で白井が訊き返せば、「マジよ、マジ」とステラは何度も頷く。

「マジで? やったぜ、嬉しいなあ」

「…………そういうことだけど。カズマ、どうかな? アンタが駄目って言うなら、それまでで良いんだけれど」

 素で喜ぶ白井をよそに、ステラは二人に聞こえない程度に小さな声でそう、耳元で一真に囁きかけてくる。それに一真は「ううむ」と悩むように唸り、

「どのみち、今日一日はステラに預けるつもりだったから、俺は一向に構わないんだが……。逆に、ステラは良いのか?」

「言い出しっぺにそれ言う?」

 フッと軽い笑みを浮かべながらステラは言い返せば、「それにね」と前置きをしてから言葉を続ける。

「どのみち、美弥とはいっぺん遊びに行きたかったし。馬鹿一人も付いて来ちゃうけど、置いていくのは可哀想じゃない?

 ……まあ、折角のデートがアレになっちゃうのは、アタシとしてもちょっとアレだけどさ」

 一通り聞き終えると、一真は「……そうか」と小さく頬を緩ませ、

「なら、ステラの思う通りにしてくれ」

 軽く彼女の方に横目の視線を流しながら一真がそう頷けば、ステラは「ほんとっ!?」と、ぱぁっと顔を明るくする。

「何なら、今日のやり直しはまた今度にしたって良い。どうせ短いようで長い夏休みなんだ、焦る必要は無い――だろ?」

「じゃっ、決まりねっ!」

 至極嬉しそうな顔でそう言って、一真から離れ二人の方に向かっていくステラの足取りは――――何処か、気持ち軽快そうにも見えていた。

「へへっ……」

 そんなステラの背中を眺めながら、一真は小さく頬を綻ばせてしまう。ホームの日陰に居ても尚、身体を溶かしてきそうなぐらいの激しすぎる輻射熱の熱気に蒸されながら、しかし一真の内心に吹いていたのは、春一番のような心地の良い風だった。

 ――――遠くから、合唱するひぐらしの鳴き声が聞こえてくる。そうして熱すぎる真夏の訪れを肌で感じている内に、突風と共に東海道本線の列車が一真たちの待つホームに滑り込んできた。

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