Int.53:アイランド・クライシス/夏夜雨嵐、孤独な夜に影法師ふたつ③

「…………」

 激しすぎる雨の降りしきる、嵐の夜。携帯ランタンの明かりだけがそこを照らす狭く、薄暗い洞穴の中で、しかし瀬那は未だに眠れず。すぅすぅと寝息を立て続ける一真のすぐ傍に座り込み、ぼうっと俯きながら外の雨音に耳を傾けていた。

 昼間から延々と降りつける激しすぎる雨は、こんな夜更けになっても未だその勢いは衰えるところを知らない。寧ろ、先程よりも強くなっているような気すらする程、洞穴の外に降る雨は激しかった。

 すると、遠くで稲光いなびかりが一瞬、瞬いた。視界の端にその激しすぎる一瞬の閃光を捉えた瀬那が横目を流すと、そんな稲光から数秒遅れて聞こえるのは低く、そして唸るような雷鳴。雄々しく、それでいて本能的な恐怖を感じさせるような雷鳴を、しかし瀬那は身震いひとつ起こさず、ただぼうっとそれに耳を傾けていた。

「……こんなにも、美しいものなのだな。我らの世界とは、我らの生きる、この母なる地球ほしというものは…………」

 ポツリと、何の気無しに洞穴の天井を仰ぎながら、虚空に向けて瀬那はそんな独り言を呟く。傍で寝息を立てる一真を起こさない程度に小さく、囁くみたいな声音で。

彼奴あやつらは何を思えば、何を間違えれば。こんなにも美しい世界を、美しい我らが地球ほしを、自ら捨てようとなぞのたまえる・・・・・のだ……?」

 虚空に向けて問いかけ、囁きかける瀬那だったが、しかしその言葉に答える者は誰一人としてらず。ただ小さく息をつくと、瀬那は疲れたように軽く肩を竦める。

「……私には、分からぬよ。貴様らが思うことも、為すことも、そしてその理由わけすらも。この星を捨てようなどと考える者共の思うことなど、私に分かるものか…………」

 吐き捨てるように、瀬那はひどく疲れた声色で。その中に何処か憂いの気配も垣間見させつつ、聞く者など一人として居ない虚空に向けて、瀬那はただ無為に、そうひとりごちる。

 ――――楽園エデン派。

 今の瀬那の脳裏に浮かぶのは、幾度となく己の命を狙ってきた、あの連中のことだった。

 極地移住と、将来的な地球圏脱出を目論む奴らの、楽園エデン派の計画。"プロジェクト・エデン"――――。

 昨日までは、理解できないなりにも瀬那はそれに対し、ある一定の理解を示しているつもりだった。敵の居ない、幻魔の入ってこられない場所へ逃げ込みたい気持ちは分かる。幻魔の居ない、何処か遠い星へ逃げてしまいたい気持ちは、分からなくもないと。

 しかし、こうして自然の猛威を目の当たりにすると。その雄々しさの中に垣間見える、どうしようもない美しさを、それこそ筆舌に尽くしがたいような、数多の生命が輪廻するその息吹を目の当たりにしてしまうと。瀬那はもう――――そんな楽園エデン派ののたまう・・・・戯れ言など、まるで理解できなくなってしまっていた。

(私は今まで、こんなものなど直に目の当たりにしたこと、なかった)

 家を飛び出す前、箱入りに近いように育てられていた瀬那に、こんな風に自然とじかに触れ合う機会など、そんなものなどあるはずが無かった。周りの人間がそれを良しとしなかったし、なによりそんなこと、昔の自分は気にも留めていなかった。

 だが――――こうして、一真と共に、訓練という形ではあるが自然の中に自らの足で踏み入り。そして不測の事態があった上での不可抗力ではあるものの、自然の中で一日を過ごしてみて――――そして瀬那は、初めて己の住まうこの大地の、母なる地球ほしの雄大さに畏敬の念を抱き、そしてその美しさに、どうしようもなく惹かれ始めていた。

 だからこそ、瀬那は分からなくなっていた。"プロジェクト・エデン"の意義も、それを目論む楽園エデン派の思うことも。何もかもが、分からなくなってしまっていた。

「……滅亡が間近に迫れば、仕方の無いことなのやもしれぬ」

 そう呟きながら、瀬那は後ろの地面に付く手の片方を、眠る一真の無防備な手にいつの間にか重ねてしまっていた。

 それは不安から来るものなのか、はたまた別の感情からなのか。そんなことは分からないが、少なくとも――――この無骨で、自分よりも少しばかり熱のある大きな手に触れていると、自然と安心することができた。思考を落ち着かせ、冷静な頭のまま、無為な独り言を続けることが出来そうだった。

「しかし、それでも私には――――この地球ほしを捨て去ることなど。斯様かように美しきこの世界を、みすみす彼奴あやつらなぞに明け渡し、あまつさえ此処から逃げ出すことなど……。

 ――――そんな真似、そんな真似なぞ到底、私には許容出来ぬよ」

 胸の奥から、まるで絞り出すような。聞こえ方によっては、悲痛にさえ聞こえてしまうような。瀬那が虚空に向けて呟いたのは、そんな独り言だった。

「……ふっ」

 すると、次に瀬那は何故か自嘲めいた笑みを浮かべ。一度俯いて軽く水を煽れば、彼女はまた洞穴の天井を仰ぎ見る。

「何を言っているのだろうな、私は」

 こんな妄言めいたことを口走るなど、実に私らしくもない――――。

 そう思えば、浮かべる自嘲じみた笑みも、より一層濃くなってしまう。

 どうしてこんなことを突然言い出したのか、自分でも分からない。だが、どうしても口に出しておきたかったのだ。口に出しておくことで、今思ったこの気持ちを明確に、そして確かな形で胸に焼き付けられるような……そんな、気がしていたから。

「其方の傍にると、私はどうにもらしくないことばかりをしてしまう」

 フッと、今度は自嘲めいた笑みでなく、単に小さく頬を緩ませながら瀬那は呟く。傍で横になる一真は、未だに寝息を立て続けていた。

「よく寝ておる、な」

 そんな彼の方に振り返りながら、瀬那は柔らかく、しかし何処か儚くも見えるように微笑みつつ、そんな風に眠る一真の頬を軽く、そっと指先で撫でる。

「――――なら、構わぬか。聞いていなくても構わぬ。少しだけ、私の話に付き合ってくれ」

 眠り続ける一真の顔を、横目でチラリと眺めながら。瀬那はそう囁きかけると、眠る彼に向けてポツリ、と少しずつ話し始めた。一真に聞こえていようがいまいが、構わない。ただ――――どうしても、口に出したかった。そうでもしなければ、眠れそうになかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る