Int.49:アイランド・クライシス/孤独二人、遠く雷鳴の唸る嵐の夜に⑥

「おっ? ……あれ、美弥ちゃんじゃん。どしたの、こんなとこで?」

 一方、白井はというと。先程まで居た、本部のある一際大きなプレハブ小屋の中で、隅に寄りかかり座り込んで項垂れていた美弥の姿を偶然見つけていて。気付けば自分でも知らず知らずの内に、白井はそんな彼女に声を掛けていた。

「あっ、白井さん」

 呼びかけられて存在に気付いたのか、座り込んだまま白井の方を見上げた美弥が、小さな作り笑いを浮かべて軽く会釈をしてきた。

「珍しいねえ、元気ないじゃないの。美弥ちゃんらしくないぜ?」

「あはは、そうでしょうか……」

「そうだよ」うんうんと白井は頷き、すると何かを思い立ったように「おっ、そうだそうだ」と自分の掌で軽く握った拳をトンっと突き当てると、

「ちょっと待っててくれよ、美弥ちゃん」

 と言って、急に急ぎ足になるとその場を離れて行った。

「あっ、はい……?」

 そんな白井の背中を困った顔で見送りながら、美弥が待つこと数分。「お待たせお待たせ」と言って戻ってきた白井が両手にぶら下げていたのは、二本の缶コーラだった。

「ほい、美弥ちゃん」

 その内の一方を、美弥にスッと手渡す。美弥がそれを「あっ、ありがとうございます……」と恐縮しながら受け取ると、白井もまた自分の分の缶を握り締めながら、彼女の隣によっこいしょと腰を落とした。

「ま、教官にせがんで貰ってきたんだけどな」

 半笑いでそう言いながら、白井は缶のプルタブを開ける。プシュッと小気味の良い音がして蓋が開けば、白井はそれを喉に流し込む。

「――かぁーっ、効くぅっ! いやー、やっぱ疲れた後のこれが最高なんだよ」

「そ、そうなんですか……?」

 困惑しながら自分もプルタブを開ける美弥が困ったように訊けば、「百聞は一見に如かず。やってみ?」という風に白井に言われ、とりあえず自分も試してみることにした。

「――――あ、おいしい」

「だろ?」

 思わず呟いた美弥に、白井がニヤッと笑みを浮かべながらそう言う。

「…………弥勒寺と綾崎のこと、心配か?」

「そう、ですね」急に顔付きをシリアスにした白井にそう言われ、美弥は恐る恐るといった風に頷いた。「遭難みたいなもんですし、心配ですよ……」

「だよなあ、分かるぜ美弥ちゃん。俺っちも心配ーってな」

「……全然、心配してるようには見えないですよぉ」

「悪い悪い、これ俺の性分ね」

 あはは、と一瞬笑った白井は、しかしすぐに顔付きを元の真剣なそれに戻し、

「…………でも、アイツらが心配なのは本当さ。俺ってばこんな風だからアレだけど、正直気が気じゃねえ」

 真剣な眼差しでそう呟き、眉間に皺を寄せていた白井は手にしていた缶を煽ると、コーラを軽く喉に流し込む。キツい炭酸が口と喉とを刺激すると、寄っていた眉間も幾らかほぐれてきて。「ふぅ」と彼が息をつく頃には、美弥が横目で見る白井の横顔は、既にいつものお気楽な表情に戻っていた。

「まあでも、今俺たちに出来ることって、なんも無いからさ。精々、こうして駄弁だべりながら、無事を祈ってやるぐらいだろ?」

「そう、ですよね」

 頷き美弥に、彼女を安心させるみたく「にひひ」とわざとらしく、しかし底抜けに明るい笑みを浮かべた白井は、そのまま次の言葉を紡いでいった。

「だから、俺たちは信じてやるのさ。アイツらの無事を、どうにか上手く切り抜けてくれることをよ」

「……なんだか、少し安心してきました。白井さん、ありがとうございますっ」

「良いよ、気にしないでさ」

 へへっと笑いながら白井が言うと、美弥は「そうやって、いつも白井さんが笑ってくれているから。だから……安心、出来るのかも知れませんね」と、ポツリとそんなことを呟いた。

「――――そう、だな」

 すると、白井は珍しく遠い目をして短く相槌を打ち。また軽く缶を煽ってふぅ、と息をつけば、「昔、な……」と軽い前置きをしてから呟き始めた。

「昔、俺にこう言った女の子が居たんだ。『苦しいときほど、笑って過ごせ。笑っていれば、いつかそれを本当に笑える日が来る』って……」

「いつの、お話ですか……?」

 恐る恐るといった風に美弥が訊けば、白井はフッと小さく笑い、

「遠い、遠い遠い、昔のお話さ……」

 そう言いながら、空になった缶を傍らに置き。懐から取り出したマッチ棒を、何の気無しに咥える仕草をして見せた。

 そんな白井の、マッチ棒を咥えた彼のそんな横顔が――――あまりにも、遠い目をしていて。それでいて、何処か憂いの色も見え隠れするそんな彼の横顔が、とても普段の彼と同じ人間には見えなくて。美弥は何を言って良いのか分からす、彼の横顔をボーッと眺めたまま。言葉を紡ぎ出せないまま、彼の横顔を眺めていた。

「俺はさ、昔すげー泣き虫で。ちょっとしたことですぐギャンギャン泣いちまうような、そんな情けねえ奴だったんだ」

「小さい頃の、お話ですか?」

「ああ」白井は軽く頷きながら、舌先でコロコロと転がすマッチ棒を器用に動かしてみせる。

「その頃、隣に住んでた幼馴染みの女の子が居てさ。まあちゃんって言うんだけど、その。割と気の強い子で、弱虫の俺をいつも守ってくれてた……」

「…………」

 そんな白井の紡ぎ出す言葉を、遠い遠い彼方に消え去った、そんな昔話を。美弥はただ、黙ったまま聞いていた。

「最初はさ、怖かったんだ。でも、そうして守られてる内に、いつの間にかまあちゃんのこと、俺ってば好きになっちまっててさ……。

 まあ、いわゆる初恋ってやつ? ったく、我ながら恥ずかしいこと言ってる気がしちまうけど……まあいいや。ここまで話しちまったんだ。悪いけど美弥ちゃん、最後まで俺の昔話、付き合ってくれねーか?」

「あっ、はい。大丈夫です。私で良ければ、幾らでも付き合いますからっ」

 美弥がそう頷くと、白井は「そうか」と頷き返し、一瞬だけニッと浮かべた笑みを元のシリアスな横顔に戻すと、その話を続けていった。

「そんな初恋のまあちゃんに、いつも口酸っぱく言われてたこと。それが――――」

「――――『苦しいときほど、笑って過ごせ。笑っていれば、いつかそれを本当に笑える日が来る』……でしたっけ?」

「ぴんぽーん、大正解。おりこうな美弥ちゃんには座布団三枚あげちゃうよん」

 いつも通りに冗談めかしたことを言うと、それから白井はまた話し出す。

「でさ、その内にまあちゃんが引っ越すことになったのよ。勿論、俺ってば弱虫ちゃんだからギャン泣きのマジ無き。『いやだ、まあちゃん行かないでー』……なんてな。まあちゃんの手ぇ握ったまーんま、全然離そうとしなかったっけな。

 んでまあ、当たり前のように親には怒られますわな。拳骨喰らってまた泣いて、でも走ってく車追い掛けて。勿論、ガキの足なんかじゃすぐに遠くなってって。スッ転んじまえば、膝擦り剥いてまた泣いてた」

「…………」

「まあちゃんの両親、二人とも国防軍のパイロットだったんだ。そんで、引っ越し先は九州。――――ま、後は言わずもがなって奴だな」

「はい……」

 ――――九州といえば、今や敵地となった四国を囲む瀬戸内海絶対防衛線に面した国防の要所だ。いわば激戦区の一つで、ついこの間も大分を全域奪還したとかいうニュースが流れていたのは、美弥の記憶にも新しい。

「そんで、まあちゃんだけ疎開じゃないけれど、小さなまあちゃんだけでもこっちに残そうかって話もあったらしい。けど、まあちゃんがそれを望まなかった。家族と一緒に居たいって、そう望んだんだ」

「だから、家族全員でお引っ越しを……?」

「そゆこと」ニッともう一度美弥に向かって笑みを浮かべると、白井はまだまだ話を続けていく。

「でまあ話は前後するんだけど、まあちゃんが引っ越した後ね? 俺ってばマセガキだから、文通なんてし始めちゃったのよ。大体週一ペースで、親に見せたくねえからって、そんな超絶アナログな手段でよ。

 そりゃあもう必死に書いたさ。なんてったって相手は大好きな女の子。出来る限り格好付けたくて、字もクッソ丁寧に書いたさ。俺らしくねーだろ? 今でもそう思う」

「そんなこと、ないですよ」

 美弥はそう言い、小さく笑みを浮かべると「そういう所、白井さんらしいです」と続けて呟いた。

「……そうか、嬉しいこと言ってくれるねえ」

 ニヤニヤとそんなことを言えば、しかし白井はまた顔付きをシリアスな色に戻し。そして、話を続けた。

「まあでも、格好付けたところで内容はくっだらねえ。今日はこれこれこういうことがあったとか、何を食って旨かっただとか、そんなようなこと。

 勿論、返ってくるのは手紙はそのツッコミから導入ね? ったく、今にして思えば、まあちゃんだって同じようなこと書いてたのによー。これって、不公平だと思わねえ?」

 冗談めかして問いかけてみれば、美弥がクスッと笑うのを見て。そうして白井も頬を緩ませると、しかして話を戻すときは、また何処か遠い目をした顔になり。ふぅ、と軽く息をついてから、白井はまた口を開いた。

「――――でさ、その文通がある日突然、ぱったり止まっちゃったわけ」

「っ……」

 美弥は、その理由わけを何となく感づいていた。両親がパイロットで、引っ越し先が激戦区の九州。そうなれば、可能性はひとつしかない――――。

「まあ、何となく分かってた。戦況ってニュース見ればガキにだって分かるし、俺ってば宛名までご丁寧に自分で手書きしてたから、まあちゃんの引っ越し先分かってたんだよね。だから、アッチの方のニュースはいっつも特に注意して見てた。

 ――――まあ、そんでもって文通途切れちまったワケだけど。そんな時に、緊急速報で流れてきたのよね、やられた地域ってーの? そういう所。そこにさ――――いつも宛名に書いてた、あの地名があったのさ」

「…………」

 話を聞いている内に、美弥はいつの間にか瞳を潤ませていた。だからか、それを隠したいからなのか、美弥は声を出せないまま、掛ける言葉を見失ったまま。ただ、黙りこくっていた。

「幾ら待っても、待てど暮らせど、結局まあちゃんからの返事は来なかった。――――今日の今日まで、どれだけ待っても」

 遠い目をしてそう言いながら、白井はポンッ、と、左の掌を美弥の頭の上に乗せてやった。深緑の髪を撫でるその手は一真と同じように硬く、荒々しい手だった。だが――――何処かに優しさと、そして押し秘めた憂いと辛さ、そしてやりきれなさを美弥は感じていた。

 感じてしまったからこそ、瞳から流れ落ちる涙を止めることは出来なかった。すると白井は「泣くなよ」と言って、美弥の頭の上から離した左手の、その指先でそっと美弥の目尻を拭う。

「美弥ちゃんみたいなに、涙は似合わねーさ。美弥ちゃんは、笑ってるときが一番輝いてる」

「……すいません、白井さん。つい…………」

「気にするなよ」白井はそう言って、軽く頭を後ろの壁に預けると、また遠い目をしながら言った。「少し、湿っぽい話をしすぎちまった。けど――――もう少しだけ、付き合ってくれ」

「まあ、だから俺ってば女の子見ちゃうと、声掛けずには居られなくなっちゃうワケ。綾崎やステラちゃんみたいに発育良いと、今生きてたらまあちゃんもこんな風なのかなあって思っちまうし。美弥ちゃんみたいに可愛らしい見れば、あの頃のまあちゃんと重なっちまう……。

 ――――要は、未だにまあちゃんを忘れきれないのさ。未練たらたら、未だに他のとまあちゃんを重ねてしか見られない、情けない男なのさ。俺って奴は」

「そんなこと、ありません……!」

 しかし美弥は、俯いたまま。涙声のまま、彼の方に顔を向けないままで白井の言葉を否定した。

「白井さんは、情けなくなんか、ありません……っ! 誰よりも心が強くて、優しくて……! そんな、そんな情けなくなんか、ないです……っ!」

 すると、白井はまたフッと小さく笑い。美弥の頭に左手を置き直すと、深緑の髪を撫でながら「……悪い、我ながら言い過ぎた」と短く詫びる。

「い、いえ……。あはは、私も何言ってるのか、なんでこんなこと言い出したんでしょうか……」

「まあ、話を戻すけどよ――――。だから、俺はパイロットを目指したわけ。俺が直に戦えば、その分死んじまうが少しでも減らせる。それに、いつか何処かで、まあちゃんに逢えるかもしれないしさ――――」

 あ、勿論モテたいってのが第一だぜ? 女の子にモテたいよ、そりゃあモテたい。百人ぐらいハーレム作ってみたい。わははは――――。

 最後に冗談めかしたことを白井が言えば、美弥もいつの間にか笑顔を取り戻していた。

「…………いつも、気を緩めていられるような。引っ越しちまった好きな子が、その先で死んじまわないような世界にしたいんだ、俺は。まあちゃんみたいな女の子が、それ以外の女の子も。呑気に恋して悩んで、喧嘩して……。そういう平和な世界を、俺は見てみたいんだ」

「……出来ますよ、きっと」

 首を向け、少しだけ赤くなった瞳で、美弥はニッコリと笑みを浮かべながら白井に向かってそう言った。

「出来ますよ、白井さんなら。きっと、そんな優しい世界を作れます。私も――――見てみたいです。白井さんが夢見た、そんな優しい世界を」

「――――っ」

 ニッコリと、太陽のように微笑みながらそう言ってくれる、そんな美弥の顔が――――何処か、あのまあちゃんと重なって見えて。いつか何処か、遠い遠い昔に見た、あの日のまあちゃんの笑顔と、そんな美弥とが。白井の眼には、どうしてだか重なって見えてしまっていた。

(ああ、そうか――――)

 すると、白井はフッと小さく笑い。咥えたままのマッチ棒を舌先でくりくりと弄りながら、また遠い目をしつつ、心の底から絞り出した言葉をポツリ、と呟いた。

「本当に、そんな世界になるといいな――――」

 そうだろ? まあちゃん。君のようなが笑って過ごせる世界を、俺は――――。

 鳴り止まぬ雨音が、遠くに響く。それは、まるで止めどなく流れ落ちる涙のように、止まることはなく。激しく打ち付ける雨の音を、白井はただ、それに耳を傾けていた。

 いつしか日は暮れ、夜が訪れる。島を暗い夜闇が覆い尽くしても、しかし降り続く雨はまだ、止むことはなかった。

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