Int.46:アイランド・クライシス/孤独二人、遠く雷鳴の唸る嵐の夜に③
バチバチと、焚き火の燃える音が洞穴に木霊する。その焚き火で暖を取りつつ、濡れきった装具セットと野戦服の上着を脱ぎ捨てた一真は、上半身を黒いタンクトップ一丁だけになって火に当たり、暖を取っていた。
「済まないな、瀬那。面倒を掛けて」
「気にするでない」彼の対面で自分も焚き火で暖を取りながら、軽く微笑んだ瀬那が言い返す。「集めた枯れ木に、防水マッチで火を付けただけだ。枝を擦って火種を作る手間が省けただけ、僥倖と言えよう」
「だな。持つべきものはなんとやらってことだ」
「ふっ、それは違うことわざだ、一真よ」
「あれ? そうだっけ……」
そんな風にわざとらしくおどけてみせると、瀬那は「ふふっ」と頬を緩ませる。
「こんな時でも、其方は其方らしいのだな……」
彼の胸元に揺れる、首から吊り下げられた二つ一組の
「無線機は二人とも死に、俺は脚をやっちまって。オマケにこの雨と来た。ったく、八方塞がりも良いところだぜ……」
洞穴の出口に見える外界を眺めながらそんなことを呟いて、一真は肩を竦める。
――――とにかく、自分がこんな脚になってしまっては、既に自力で動くことなど不可能に近い。ともすれば西條が恐らくは編成するであろう捜索隊の救助を待つのが第一だが、この雨ではとても来られないだろう。すぐに止む通り雨かと思っていたが、かなり長いこと降り続けている。今日の晩辺りまで嵐になりそうなのは、雲行きからなんとなく察せられることだった。
(だとすれば……真っ先に考えるべきは、飲み水の確保か)
幸い、食料も水も、万が一の時にと雑嚢の中に三日分は入っているはずだ。だが食料はさておき、水は多ければ多いに越したことはない。体力と気力が持つ内に、出来る限りの水を確保しておいた方が良い……。
そう思い、一真は傍らに置いて乾かしていた装具セットに手を伸ばす。そこから殆ど中身の残っていなかった水筒を引っ張り出すと、蓋を開けそれを一気に喉に流し込んだ。乾ききっていた喉が潤うと、少しばかり気力も回復してくる。
「瀬那、悪いがこれを外に置いてきてくれないか?」
すると、一真はコットン製のカヴァーから出した、プラスチックの水筒の中身部分だけを瀬那に差し出しながら、そんなことを言い出した。
「これを……外に?」
首を傾げながら瀬那が訊き返すと、一真は「ああ」と頷く。
「どうせ中身は空だ。雨水を溜めて、それを使う」
「……そういうことであるか。しかし、雨水など飲んで大丈夫なのか?」
「大丈夫さ。煮沸するか、折角あるし浄水錠を使ったっていい。尤も、こんだけの降り方なら水質も大丈夫だとは思うけど……念には念を入れて、殺菌処理はやっといた方がいいだろうな」
一通り説明し終えると、瀬那も何となく理解してくれたようで。「うむ、分かった。今置いてくる、少し待っておれ」と言って立ち上がると、一真の言った通り水筒を洞穴の入り口近く、雨の当たる場所に置きに行ってくれた。
(これで、少しは飲み水にも余裕が出来た……)
後は、瀬那の分も水筒を飲み切り次第、それにも雨水を溜めれば良いだろう。幸いにして浄水錠は二人分あるから、数には余裕がある。
「次の問題は……どうやって、外部と連絡を取るかだ」
しかし、こればかりは雨が止んでくれるのを待つしかない。雨が止み次第、フレアを洞穴近くに撒くなり、上空に信号拳銃で信号弾を打ち上げるなりするぐらいしかやりようが無いだろう。後は焚き火で狼煙を上げるなんかの方法もあるが、これも雨がこれだけ降っていては出来そうにない。
「とにかく、何もかも雨が止むまで待つべし、ってことね……」
参ったように肩を竦めると、一真は焚き火の方に視線を向けてみる。
煌々と燃え続ける焚き火の炎が、一真の視界の中で揺れている。時折パチン、パチンと火花を飛ばしながら、しかしその炎は希望の灯火のようにすら思えてしまう。
――――サヴァイヴァル状況下に於いて最も重要なことは、極限状況で生き残るための最大の方法は、自分を信じ抜くことだと、いつか誰かがそんなことを言っていたのを、そんな折に一真はふと、何故だか思い出してしまった。
自分は大丈夫、必ず生き残れる。自分を世界で最も高度で過酷な訓練を受けた、世界で最も優秀にして屈強な兵士であると信じ、そしていつか必ず仲間たちが救助に来てくれると信じることが。最後の瞬間まで決して諦めない心を持つことこそが、極限環境で生き残る為に必要不可欠な要素だと――――。いつか誰かに、そんなことを教わった覚えがある。
(とにかく、今はまず生き延びることが先決だ)
幸いにして、今回の場合はそこまで絶望的という状況でもない。こんな狭い小島で敵も無く、しかも味方が傍に居る状況でのサヴァイヴァルだ。数十時間以内、長くても数日以内に救助がやって来るのは明らかなことで、これ以上に希望の見えるサヴァイヴァルというのも、中々無いだろう。
そういう意味で、ある意味一真たちは幸運だったのかもしれない。心がけるまでもなく、希望を捨てずにいられる。ただ、この瞬間を生き残ることだけを考えれば良い…………。
「戻ったぞ、一真」
そんな思案を巡らせていた時、瀬那が焚き火の傍に戻ってきた。また同じように、焚き火を挟んだ対面にスッと腰を落とす。
「それにしても、其方はいやに詳しいのだな」
「何がだ?」
「こういう場合の対応と、知識だ。的確で、とても怪我人とは思えぬ。寧ろ、私の方が混乱しておるぐらいだ…………」
「仕方ないさ」
何処か自嘲めいた色を含ませる瀬那の言葉に、一真は苦笑いをしながらそう答えた。「前にも、経験あるからな。俺の場合は」
「
「ああ」頷く一真。「といっても、あるヒトに教わる上での、だけどな。まさか今になって、自分独りで実践するなんて思ってもみなかったけど……」
「……ある、ヒト?」
「俺を、籠から出してくれたヒトだ」
「と、いうと?」
そんな風に瀬那に訊き返され、一真は少しの間押し黙っていた。そして、
「…………俺がどういう家の出か、前にざっくりと話したよな?」
「うむ」瀬那が頷く。「概ねは、記憶に留めてある」
「なら、話は早い。――――俺は、何も俺だけの
「その者に、
「そういうワケだ」ニッと笑みを浮かべながら、一真は瀬那の言葉を肯定した。
「して、その者とは一体……?」
そんな風に続けて瀬那が訊けば、一真はまた小さく口角を緩ませながら、
「…………瀬那も、よーく知ってるあのヒトさ」
と、何処か含ませた言葉を紡ぎ出す。
「……!」
すると、瀬那も思い当たる節があったのか、ハッとして目を見開く。そして、
「…………まさか、舞依か?」
「ぴんぽーん、大当たり」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら一真がおどけてみせれば、瀬那は「……ふっ、ふふふっ…………」と独りで笑い出して。本当におかしそうに暫く笑い続けてから、やっと一真の方に視線を向けながら口を開いた。
「そうならそうと、さっさと申せば良かったものを……」
「言いにくかったんだよ、瀬那の手前な」
「そうか、そうであったか……。であるのならば、あの妙な部屋割りも頷けようて……」
「似たもの同士、みたいなこと言ってたもんな、あン時」
「言われてみれば、その通り……。ふふっ、なんとおかしな話か……」
「別に、隠してたつもりはないぜ? ただ、訊かれなかったから答えなかっただけだ」
フッと笑いながら一真がそう言えば、瀬那も小さく笑みを浮かべ直し。「一真。其方はやはり、いじわるだ」と、珍しく冗談みたいなコトを口走る。
「おあいにく様。俺はね、こういう男なんだよ。幻滅したか?」
「いいや」即座に瀬那は首を横に振って、そんな一真の言葉を否定した。「寧ろ、私は安心した」
「安心?」
すると瀬那は「うむ」と頷いて、続く言葉を紡ぎ出す。
「其方も、舞依に救われた者なのだな、と思ってな……。あの舞依が拾い上げた男ならば、私にとってこれ以上信頼に値する者はおらぬよ」
「……随分、信頼してるんだな。教官のこと」
「無論だ」即答する瀬那。「舞依は私にとって親代わりであり、姉であり、掛け替えのない友であり。私があれほど信じられる者は、この世に殆ど
「へえ、他にも居るのか」
「ほんの僅か、ではあるがな。爺やに霧香、そして――――今、この
「……ヘッ」
凛とした顔で、真っ直ぐな瞳でそう言われてしまえば。一真は何故だか小っ恥ずかしくなり、小さく笑うと思わず視線を逸らしてしまう。
「しかし其方も、やはり何処か肩肘を張っておったのだな……」
「そんなんじゃないさ」
続ける瀬那のそんな言葉にやんわりと首を横に振りつつ、一真はまた小さな笑みを浮かべる。
「俺はただ、強く在りたいだけだ。誰よりも、何よりも……。
それが、あのヒトの心に報いる為に、俺が出来る唯一のコトだ。だから俺は、誰よりも強くならなきゃならない。誰よりも、何よりも……!」
そう呟きながら、一真は知らぬ間に己の右の指を折り、硬く握り拳を形作っていた。硬く硬く握り締めたその拳は、殻のように硬く。決意と覚悟を押し込めた拳は、そのまま一真という男がどういう男か、それを暗に示しているかのようだった。
「…………左様か」
すると、深く、まるで噛み締めるように瀬那は深く深く頷けば、何故かいきなり立ち上がり。かと思えば、焚き火を回り込んで一真のすぐ目の前まで歩み寄ってきて――――。
「――――っ!?」
何故か、目の前で正座をするように両膝を突いたかと思えば――――華奢な両腕で引き寄せた一真の顔を、瀬那は己の胸元に抱き寄せていた。
あまりのことに、一真は混乱でわけが分からなくなる。しかし抱き寄せる瀬那の腕に籠もる力は思いのほか強く、とても抜け出せそうにない。
「…………なら、そうであるのなら。私は許そう。其方は、私の前でだけは気張らずとも
「…………」
そうして抱かれながら、耳元で囁かれている内に。何故だか一真は妙な安心感を覚えてしまい、最早抵抗しようという気すら薄れていってしまう。
自分と同じように、瀬那も濡れた上を脱いで黒いタンクトップ一枚になっているからか、ふわりとした感覚に一真は包まれていた。微かに漂う甘い香りに鼻腔をくすぐられながら、一定のリズムを刻む心音を鼓膜で聴いていると、まるで肩どころか全身の力が抜けていくように、言葉で表しようのない安らぎを一真は覚えていた。
「私は此処にいる。其方も此処にいる。他に誰も、邪魔をする無粋者など
――――だから、一真。今だけは、今だけは。其方が心に纏う、その重い鎧を
そうしている内に、段々と安らぎの中に包まれてゆき。あれだけ硬く握り締めていた拳も、知らず知らずの内に
それに気付かぬまま、一真は自然と瞼を閉じる。例え、こんな酷い状況だろうと――――今だけは、この安らぎの中で。彼女の胸に抱かれながら、眠りたい気分だった。
「安らかに眠るが
柔らかな安穏に包まれながら、段々と意識が遠のいていく。薄れていく意識の中、一真は一言だけ「……瀬那」と、今にも掻き消えそうな薄い声で、彼女の名を呼んだ。
「…………私は、此処だ。此処に
そんな、囁くような。赤子をあやすように穏やかな彼女の安らかな声音を聴きながら――――やがて、一真はその意識を安穏に包まれ、堕としていく。
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