Int.46:覚悟、切り拓くは唯一無二の男の拳

「ふぅ……」

 その日の夜も更けた頃。既に部屋の電灯なんて消してしまっているような頃合いに、一真は自分の床である二段ベッドの下段に腰を落としていた。

「…………」

 上では既に、瀬那が寝息を立てていた。というより一真も寝ていた――――はずなのだが、どうにも寝付けずこうして起き上がってしまっている、という具合だ。

 気に掛かるのは、やはり明日の決闘。我ながら緊張やプレッシャーに無縁な性格だと思っていたのだが、どうやら案外そうでもないらしい。一真は自嘲気味な笑みを形作る。

 いや――――きっと、元来はそういう性格なのだろう。自分のことに関しては、プレッシャーの類はまるで感じない。寧ろ気怠さすら感じてしまうのが、己の性格だと理解している。

 だから、肩にのし掛かるこの重みは、きっと――――期待と信頼、そして伴う重圧だ。

 今の一真がその双肩に背負うのは、己自身のプライドだけではない。自分の為に作戦を立ててくれた美弥や、≪閃電≫・タイプFみたいな規格外の機体を敢えて己に託した西條。それに白井や霧香、そして他でもない――――瀬那が己に託した、その想いの重さだ。

 一真自身にとっては、ステラから売られた喧嘩を単純に買い叩いてやったまでだ。それで勝とうが負けようが、その後どんな目に遭おうが、正直言ってそこまで興味は無い。だが……瀬那に対するあの物言いだけは、どうしても許すことが出来ないでいる。ステラ・レーヴェンスの高い鼻をこの手で叩き伏せなければ、こればっかりは収まりが付かない、付けられない。

 きっと、眠れない理由わけはそういうことだろう。負けられない、負けるわけにはいかない――――。

 背水の陣、とでも言うのだろうか。退路は無く、目の前の壁を突き破る以外に、一真に残された活路はないのだ。

「俺の目の前に、ドデカい壁が立ちはだかりやがるのなら――――」

 ――――俺はそれを、全力を以て叩き壊す。

 突き出した腕の指を折り、拳を握り締める一真に、最早迷いなどありはしない。覚悟なんぞは、とうの昔に済ませてきた。

(今の俺に出来ることはただ一つ。あの高飛車な野郎を、ステラ・レーヴェンスをこの俺の、俺自身の手で叩き潰してやることだけだ)

「…………どうした、一真よ」

 そんな時、突然頭上から凛とした少女の声が降ってきた。振り返り見上げればそこには瀬那が居て。二段ベッドのふちから顔を出し一真を見下ろしていた。

「ん、済まん瀬那。起こしちまったか」

「いや、構わぬ。…………寝れぬのか?」

「……まあな」

 すると瀬那はフッと小さく笑うと、二段ベッドを降りてくる。そうして開けた冷蔵庫から冷えたミネラル・ウォーターのペットボトルを二本掴み取ると、「ほれ」と言って片方を一真に手渡した。

 手渡しながら、自分も一真の横に腰を落とし、開封したペットボトルの水を煽る。一真もその隣で喉を潤せば、身体に籠もっていた熱が冷たい水のお陰で少しだけ冷めたような気がした。

「寝られぬのも無理ない、か。明日は本番であるからな、当事者たる其方がそうなるのも仕方の無いことであろう」

「緊張とか、してるわけじゃないんだ。人事を尽くして天命を待つ――じゃないけど、ここまで来たら後はどうしたって、なるようにしかならない」

 半端に中身の残ったペットボトルを雑にベッドへ置いて、一真は深く息をつく。

「なるようにしかならない、が――――俺は、どうしたってアイツに負けるわけにはいかない」

「……左様か」

「負けるわけにはいかない。けど……正直な、瀬那。包み隠さず本音を言っちまえば俺、あんま自信ないんだ」

「…………」

「相手はアグレッサー仕込みのエリート、つまり対人戦のプロだ。幾ら近接戦で勝ち目があっても、機体のスペック差は埋められても……最後の最後で、俺は俺を信じ切れていない。本当に勝てるのか、その確証が得られてない」

 ポツリ、ポツリと、一真は呟くように己の胸の内側を吐露していく。瀬那はそれに、一真の隣で黙って聞き耳を立てていた。

「俺は迷いたくねえ。迷えば、それだけ決意が揺らぐ。揺らいだ決意は波紋を呼び、それはやがて他の誰かに伝染うつってしまう……。

 決意は、ある。でもな瀬那、俺は最後の最後で、まだ俺自身を信じられてないんだ。今まで俺は、俺だけの為に何かを為してきた。だからさ――――こんな時、どうしたらいいのか。俺はその術を知らないんだ」

「……そう、か」

 小さく、瀬那が口を開いた。

「一真、其方に必要なのは、彼奴あやつと戦う理由なのであるか?」

「……分かんねー。が、多分そうなのかもな」

 自嘲めいた笑みを浮かべながら、項垂れる一真が答えた。

「男が売られた喧嘩を買うのに、大層な理由わけは必要無いのではなかったか?」

 フッと冗談めいて笑みを浮かべてみせながら、瀬那が言う。

「ま、言われりゃその通りなんだけどよ――――」

 一真は項垂れたまま、瀬那に視線を向けることなくただ、虚空を見つめるような眼でじっと床を見ながらポツリ、ポツリと言葉を紡ぐ。

「俺は、ここにいる」

「……ああ、其方は確かに此処ここる」

「ここにいる俺は、何をすればいい?」

「其方は、何の為に彼奴あやつと剣を交える? 其方自身の為か、或いは誰か他の者の為か」

「……自分の為だ。けど、それだけじゃない」

「なら、誰の為に?」

「――――」

 一真は言葉を詰まらせた。結局の所、己は誰の為に剣を取り、ステラ・レーヴェンスを相手に無謀とも取れる戦いを挑もうとしているのか――――。その意味が、分かってしまったから。

 すると、瀬那は黙りこくる一真の右手に、そっと自分の手を這わせた。一真の無骨でデカい手に、瀬那の細く華奢な手が重なる。肌から伝わる瀬那の体温は自分よりも少しだけ冷たかったが、しかし何故だか暖かかった。

「こんなことを私が申すのは、少しばかりおこがましいような気もするのだが……。一真よ、もし其方が彼奴あやつと剣を交えるのに、確たる理由わけが欲しいというのなら――――」

 しかし一真は、左手をかざし瀬那が言いかけていた言葉を半ばで遮った。そして「……そう、だったよな」と小さく囁くようにひとりごちれば、

「最初から、分かってた。分かってたはずなのに、俺は心の何処かで眼を逸らしてた」

「一真……」

「決めたよ、俺は。分かったんだ、俺自身の本音に。

 俺は明日、俺自身の為に。そして――――瀬那の為に、アイツと戦う」

 少しだけ首を傾げ、横目で瀬那の顔をじっと見据える彼の右眼に、今まで浮かんでいた迷いのような、揺らぐ波のような色は消えていた。あるのはただ真っ直ぐで純粋な覚悟と、燃え滾る闘志のみ――――。

「……そうか」

 そんな彼の視線に、瀬那はフッと小さく笑ってみせた。そして彼の方を向き、金色の双眸で真っ直ぐ彼を見据えながら、瀬那は続けてこう告げる。

「ならば一真よ。私の名も名誉も、全て其方に預けた。故に――――必ず、勝ってみせよ。其方のその剣で、その拳で、道を拓いてみせるのだ」

「……その命、確かに承った。不肖・弥勒寺一真、此処に拝命つかまつる。

 ――――必ず勝ってやる。だから瀬那、君は見ててくれ。そして、俺を待っててくれ。アイツに勝った俺を、待っててくれ」

 ――――――もう、迷いは必要ない。

 必要なのは、進み続ける意志と切り拓く拳のみ。己の運命は己自身で決める、切り拓く。弥勒寺一真はそれが出来る男だと――――アイツを叩きのめし、証明してやる。

 逆境など知ったことか、不利だなんて知ったことか。俺はただ進み続ける。この肩にみなの、瀬那の想いを背負い続ける限り、俺は進み続けられる――――。

 一真の眼に、もう迷いや逡巡は存在しなかった。あるのはただ、熱く燃え滾る純粋にして強烈な闘志のみ。

「……うむ、それでこそ一真だ」

 そんな一真の横顔を眺めながら、瀬那は小さく微笑んだ。そして、心の何処かでこうも思っていた。

 ――――この男ならもしかすれば、本当にあのステラ・レーヴェンスに勝ってしまうかもしれない、と。

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