Int.26:幕間、黄金の月夜④

「――――すまぬ、一真」

 風呂場から帰ってきた途端に瀬那がそんなことを言うもんだから、一真は立って彼女の方を振り向いたままの格好で、暫くの間固まってしまっていた。

「え、えっ?」

「……先刻のことだ。正直、些かやりすぎた」

「あー……」

 どうやら、さっきの一件のことを言っているらしい。瀬那の様子を見る限り、風呂入って落ち着いて、冷静になったら後悔してきたといった具合か。

「まあいいよ、俺も悪かったし」

 そんな瀬那に一真は、小さく笑みを浮かべながらそう言ってやった。

「だが、私は其方を」

「いーのいーの」尚もしょんぼりした顔のままな瀬那の言葉を遮りながら、一真が言う。

「大したことないし、気にする程のことじゃないって」

 ……正直、たんこぶはまだ痛む。だがじきに治る痛みだ。この程度のコトの為に、これ以上瀬那のしょんぼりした顔を見たくない――そんな気持ちの方が、強かっただけのことだ。

「だが、それでは其方に申し訳が立たぬ」

「うーん……」

 なんとかして詫びたいらしい瀬那が尚も食い下がるものだから、一真は思い悩むように暫く唸る。

「――よし、じゃあこうしよう」

 その後、何かを思いついたらしい一真が言うと「如何様いかようなことだ?」と瀬那が食い入るように訊いてくる。それに一真はこう答えた。

「瀬那さ、明日一日なにか用事ってあるか?」

「む? ……ふーむ、特には思い浮かばぬが」

「ならさ」と一真は言って、

「明日一日、ちょっと俺に付き合っちゃくれないか?」

「其方に?」

「ああ」疑問符を浮かべる瀬那に、一真が頷く。

「明日、土曜で休みだろ?」

「うむ」

「俺たち二人ともここの人間じゃないし、この間白井の奴に案内された所ぐらいしか知らねえじゃないのさ」

「確かに、言われてみればそうであるな」

 うんうん、と腕組みをした瀬那が納得したように独りで頷くのを見ながら、一真は話を続ける。

「でさ、だったら折角休みなんだし、この辺り色々歩き回ってみないかなって」

「ふーむ……」

 一通り一真の提案を聞き終えた瀬那は、顎に手を当てると暫く唸った。その後で、

「…………わ、私としては一向に構わぬ。だが」

「だが、なんだ瀬那?」

「その……だな。逆に其方の方が、私などを連れて行っても構わぬのか、と思ってな」

「んん?」一瞬瀬那の言葉の意味が分からず、首を傾げる一真。

「構わんも何も、俺は瀬那だからって思ったんだけども」

「私……だから?」

「ああ」一真が頷く。

「しかし、他に色々るであろう。この辺りに詳しい白井は当然として、霧香に美弥、それにステラもる。彼奴あやつもここ一帯の土地勘には疎いはずであるぞ」

 しかし一真は「そうじゃないって」と否定し、

「そもそも白井はどこぞに出掛けるようなこと言ってたし、ステラは論外。アイツとは俺が嫌だ」

「む、なら霧香でも美弥でも……」

「だから、そうじゃないって。――――別に今回のことは抜きで提案するつもりだったんだが、とにかく俺は瀬那と回りたいんだっての」

「わ、私と……?」

 何故か頬をポッと紅くしながら声を上擦らせる瀬那の反応を少しばかり変に思いつつも、しかし一真は敢えて追求しないままに「ああ」と肯定する。

「ち、ちなみに。ちなみにであるぞ!? ……な、何故なにゆえ、私なのだ…………?」

「うーん」

 ――――改めて言われるとなあ。

 どうして言ったものかと一真は少し言葉を選び、

「なんて言ったら良いか分かんないけど、隣にいて一番楽……だから、かもな?」

 と、自分の素直な気持ちに一番近い言葉を引っ張り出して瀬那にそう告げた。

「一番、楽……か。そうか、そうであるか……」

 すると瀬那は反芻するようにひとりごちる妙な反応を示した後で、

「――――うむ、相分あいわかった。明日みょうにち、私は其方に付き従うとしよう」

 と、一真に向かって告げた。その顔からは変な雰囲気が消えていて、いつも通りの凛とした、何処か自信に満ち溢れた普段の瀬那の顔に戻っている。

「して、刻限こくげんはいつ頃から参るのだ?」

「うーん」

 ――――そこまで考えてなかったんだけども。

 とはいえ答えないのも礼に反するというもの。一真は少しだけ思案し、

「まあ、朝飯食ってからでいいんじゃないか? どうせ寝起きするのは同じ部屋なんだし、そうカッチリ決めなくてもさ」

 と、ある意味無難極まる回答を瀬那に示す。

「言われてみれば確かに、な。心得た、とにかく明日のことは明日考えることにしようではないか」

「だな、決まりだ」

 うんうん、と頷き合う二人の間に、先程までの微妙な空気はどこ吹く風。お互いいつもの調子に戻ったようで、瀬那も一真も妙に肩へのし掛かっていた重みがいつの間にかどこぞへと消え去っていた。

 気付けば一真は、瀬那に対して何処か気が置けない間柄になっているような気すらしていた。それは彼女自身のさっぱりとした性格もあるのだろうが、しかしそれだけが理由わけじゃない。一真にとってこの瀬那は、なんというかかなり信頼できる人間のような立ち位置になっているというか。

 こんなに短期間なのに変な話だな、と思い、一真は独り苦笑いを浮かべた。だが人間、付き合いの長さだけが全てじゃないことだってある。そういう意味で瀬那は、もしかすれば一真にとって真に相性の良い人間の一人なのかもしれない。

 そんなことは、丁度瀬那も同じことを考えていた。だがお互いがそれを知るよしもなく。ただときだけが静かに流れていく。夜闇の漆黒に染め上げられた天蓋に浮かぶ半月だけが、それを見下ろしていた。


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