第七夜
パンの耳
学生時代に聞いた話である。
幼年期は体が弱く、とてもスポーツなどできなかった私ですが、中学に上がる頃には、それなりに運動もできるようになっておりました。
私の中学では、何らかの部活に入るのが義務でした。
入学したばかりの私は、さて何の部活に入ろうかと頭を悩ませておりましたが、男の子として抗いがたい引力に惹かれ、最終的には廃部寸前の弱小剣道部へと入部することになったのです。
……部員募集をしていた担当の先生が、ショートヘアーの良く似合う美人だったのですから仕方ありません。思春期だったのですから是非もないのです。
さて、剣道部と言っても段やら級やらを無理にとらせるような厳しい部活動ではなく、幽霊部員にさえならなければそれでいいという緩さもあって、私は半年ほど真面目に部活に打ち込んでおりました。
まあ、決して強くはなかったのですが、女子部員とはよい勝負ができるぐらいの実力だったとでも言っておきましょうか。
そんなこんなで学生生活を満喫していると、あっという間に夏休みがやってきました。
弱小だと言うのに、その剣道部には合宿などと言うものがありまして、当然私も参加いたしました。
一応自由参加だったのですが、顧問の先生のお宅にお邪魔できると言う一文に食いついた私は、一本釣りされたカツオのように合宿場(兼ねる先生宅)まで連行されていったのです。
合宿は夏と言うこともあり、剣道部の暗黒面(主に臭い)を遺憾なく発揮しておりましたが、練習の後の友人らとの語らいは、なかなかに愉快なものでした。
特に、毎夜のように先生の自宅で開催される、部員全員と先生参加の怪談話は大いに盛り上がり、現在のオカルト好きの私がこの頃から形成されていたのかと思うと、ある種の感慨すら覚えます。
そんなある夜の事でした。
「じゃあ、次はあたしの番か」
前の人の話が終わり、おもむろに先生が居住まいを正しました。
剣道をやっているだけあって、しっかり座るとピシリと背が伸びる彼女ですが、その時はむしろ、前のめりのような猫背を取っていました。
薄暗闇の中です。
夜の大部屋、車座に座った私たちの中心にランタンが一つあって、おぼろげな光を放っています。
明かりはゆらゆらと頼りなく、部屋の壁や畳に映る私たちの影はゆらゆらと揺れていました。
外では、虫たちがコロコロと鳴いています。
そんな中で、先生がゆっくりと口を開きました。
「これはね、パンの耳っていうお話しだ」
少し低めに整えられた声で、先生は語り始めました──
◎◎
あるところに、仲の良い母子がいたらしい。
お母さんは優しく、子供――B君(仮名)はまだ小学生になったばかりだった。
ある日の朝、B君は学校に行くために家を出た。
ちゃんとご飯を食べて、歯を磨いて、昨日のうちに荷造りを済ませていたカバンを持って、家を出た。
B君の家から学校までは、20分ぐらいの距離だった。
10分ぐらい進んだところで、B君は忘れ物をしていることに気がついた。
「それはね、その日どうしても学校で必要なものだったんだ。だから、B君は、それを取りに戻ろうと思った」
だけれども、今から普通に戻ったのでは始業のベルに間に合わない。
「そこでB君は、近道をすることにした。普段は、危ないから絶対に一人で通っちゃいけないと言われている道を、ね」
B君は、来た道を急いで戻った。
近道をして戻ろうとした。
その道には踏切があって、いつもはお母さんと一緒でないとわたってはいけないと戒められている道だった。
それでもB君は、忘れ物を取りに戻りたい、学校に遅刻したくないと言う一心で走る。
やがて、彼はその踏切にさしかかって――
「……しばらくして、学校からお母さんのもとに電話がはいった。〝もしもし、今日はまだB君は学校に来ていませんが、お休みですか〟ってね」
何も知らないお母さんは、もちろん不思議に思った。B君はいつも通りに家を出ていたからだ。
お母さんはB君を探すために家を出た。
近所を探していると、踏切の方角が喧騒に充ちていた。
嫌な予感がした。
慌てて駆けつけた彼女は、そこで、悲劇を知ることとなった。
「B君は、電車に轢かれてしまったんだ。不幸なことに、急いでいて踏切の音に気が付かなかったんだ」
始めは、その遺体は誰のものかわからなかったのだという。
「だって、B君の身体は事故の衝撃で、そのぐらいバラバラになってしまっていたからね。でも、お母さんにはわかった。遺留品に、B君のカバンがあったからだ」
お母さんは泣き崩れた。
バラバラになってしまった我が子に泣きついて、嘆いて、この世の終わりのように悲しんだ。
「B君の遺体は本当にバラバラで、幾つもパーツが足りなかった。それを知って不憫に思った母さんは、我が子の身体の足りない部分を探すことにした。警察や鉄道の人、みんなが一生懸命に探したけれど、結局見つからない部分があった」
それが、右耳だったのだという。
「右の耳がね、どうしても見つからない。でも、お母さんは探した。毎日毎日、事故の現場の周りを探し続けた。雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も。ずっとずっと探し続けた。でも、見つからない。諦めようかと思っていると、夜、枕元にB君が立った」
B君は泣きながら、お母さんにこう訴える。
『お母さん、痛いよぅ痛いよぅ、右耳が痛いよぅ』
「目を覚ましたお母さんは、突き動かされるように右耳を探した。来る日も来る日も探し続けた。それでも、右耳は見つからない。それでもB君は、毎夜のように枕元に立つ」
だんだんと、お母さんの方が参っていったのだと言う。
「それでね、ある夜、B君が枕元に立ったときお母さんはこう言ったんだ」
B君は言う。
『痛いよう、痛いよう、右耳が痛いよう』
泣いている我が子に向かって、お母さんはこう言った。
「〝B、安心おし。おまえの耳は見つかったよ〟」
『本当!?』
「〝ああ、本当だよ。おまえの耳は、これだろう……?〟」
そう言って、お母さんが差し出したのはパンの耳だった。
それを見て、B君は首を横に振った。
『違うよ、それはぼくの耳じゃないよ』
「〝じゃあ、おまえの耳は何処にあるんだい?〟。そう、お母さんが優しく訊ねると、B君は俯きがちな表情でこう言ったのさ」
『ぼくの耳はね、ぼくの耳はね――』
『こ の 耳 だ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ――ッ!!』
「「「ひぃやぁーーー!?」」」
決め台詞を言うや否や、先生は素早い動作で身を翻すと、私の耳を思いっ切りつねりあげました。
絶叫する私。
悲鳴をあげて逃げ惑う部員。
「あはははははは! どうだ、面白かったろう?」
ニヤニヤと意地悪く笑いながら私を開放してくれた先生は、これ以上なく楽しそうにしておりました。
……それが、その合宿中でもっとも怖い思い出だったということは、もはや言うまでもありません。
百物語の中には、こんな手法もあるのだと知った、若かりし日のことでした。
第七夜 パンの耳
今宵にて──おしまい
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