真夏のオーバードライブ

竹乃内企鵝

第1話

 どん、と何かにぶつかった。

 前を見ると、女の子がフィギュアスケーターのようにくるりと回転しながら、倒れた。


 あ、やべぇ……。


 僕の体中から蚤のような汗が吹き出してくる。

 自転車で人を轢くなんて、これは一大事だ。マジでやばい。

 しかも、僕の前方不注意だ。


 こんな事態を引き起こしたのは、知力を奪うような真夏の暑さと、催眠状態に誘い込むような強烈な蝉の声のせいだ、なんて言い訳が、一瞬だけ僕の脳内を駆け抜けた。

 だけど、それは本当にしょうもないただのいい訳だ。

 そんなのが通用するわけがない。


 僕は自転車を放り、彼女に駆け寄る。


 彼女は大の字になって、長い黒髪をマットレスのように敷きながら、地面に倒れていた。

 そして、まったく落ち着き払った様子で、真上の青空を見ているようだった。

 耳には大きなヘッドフォンをつけていて、そこからかすかにベース音が漏れ出ている。

 彼女は服装は、白と濃紺のセーラー服で、どうやら僕と同じ高校生のようだった。

 その光景は、樹冠から斜めに差し込む陽光とあいまって、まるで印象派の絵画のような美しさがあった。


 僕はちょっとぼおっと見とれてしまったけれど、そんな場合じゃない。

 僕は加害者、彼女は被害者だ。


 彼女は僕の姿を認めると、目をぱちぱちさせ、

「曲沢村も物騒になったわね。突然自転車で襲われるなんて」

 と、仰向けのままヘッドフォンを外して言った。

 ロック調の音楽ががしゃがしゃと聞こえてくる。どうにもここには不釣合いな音楽に感じた。


「ごめん、襲ったわけじゃないんだ。これは事故なんだ。僕の前方不注意で、君のことを轢いちゃったんだ」


「本来なら賠償金をたんまりもらうところだけど、残念ながら、まったく怪我をしていないわ」


「本当に? 二回転くらいしたみたいだったけど」


「ええ。これはチャンスと思って、わざと派手に回転してみたのだけれど」


「それって、マジ?」

 もしかして、当たり屋的なやつ?


「ええ。でも、その目論見は外れたわ。私の身体能力が高すぎたのがアダになったみたいね。そうそう、私だけ倒れているのも癪だから、あなたも倒れてみない?」


「え?」


「こうやって私のことを倒したのだから、それくらいは聞いてほしいわ」


「う、うん」

 なんだろう、すごく変な子だな。

 あんまり関わらないほうがいいかな。けど、やっぱり僕は加害者なわけで。


 しかたなく僕も彼女の隣に仰向けに寝そべる。

 葉陰の間から、きらきらとした粒のような光が差し込み、僕は目を細める。

 遠くの入道雲が、魔物の城のように青空にせりあがっている。


「あなた、ここの土地の人間じゃないわね」

 と彼女が言う。


「うん、まあ」


「どこから来たかしら?」


「千葉から」


「東京ね」


「東京じゃなくて、千葉だから」


「誤差みたいなものよ」


「誤差じゃないから」

 たしかに浦安にあるのに「東京ディズニーランド」とかいったり、最近まで成田にあるのに「新東京国際空港」なんていってたりしたけれどさ。あと、袖ヶ浦の「東京ドイツ村」とか。


「でも、千葉からママチャリでこんな北の果てに来るなんて、すごいわね」


「別に千葉から自転車漕いで来たわけじゃないから。すぐそこの火門から来たから」


「火門? 隣の貧乏部落」


「どこが貧乏だ」

 たしかに寂れてはいるけれど。


「私は隣の野々森から来たわ。そういえば、ここは二つの部落の中間地点ね」


「僕はあんまりよく知らないんだ」


「何のためにこんなところを自転車で漕いでいたの? 僻地を自転車で漕ぐ趣味でもあるのかしら?」


「コンビニに行こうと思って。こっちのほうにあるって聞いたから」


「あのファミリーマート? ここからでも自転車で30分以上かかるわ」


「そんなに遠いの? いちおうスマホで検索してみたんだけど」


「スマホより私のほうがアテになるわ。案内してあげる」


「本当に? なんか悪い気がする」


「ただし、その人を轢いたダメな自転車は置いていくこと」


「自転車で30分以上あるのに、歩いていくの?」


「ええ、夏は長いのだから、ゆっくり行けばいいわ」

 彼女は僕のほうを向いて、太陽のように微笑んだ。

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