第三十五話 くっ殺セントール2
――黒城、城門から少し離れた場所。
「いいか、絶対に黒城に手を出すんじゃないぞ。何か言われても受け流せ。用件があるのなら必ず私を通せ」
クシャトリアが族長の理由は、前族長の一人娘である上に群れの中で一番強いからだ。鎧の下には裸一貫で行う強者を決める祭りの際に追った傷痕を持っている。
そんな二つの要素を併せ持つクシャトリアだからこそ、群れの男たちも女たちも彼女を認め、そして発揮されるリーダーシップから安心してこれまでついてきた。
だがそれがいま、疑いの目で見られつつある。
「族長……もうちょっとしっかりと強気になってもらわないと困ります。群れの中で、黒城にびびってるんじゃないかと言う輩もでてますぜ」
クシャトリアと側近の男以外は特に特徴の無い普通のセントール達だ。
そんな普通のセントールの中でも野心を抱える者たちがいる、その者たちの間ですぐさま族長を変えるべきだと言う主張が出され始めている、この男もそんな野心派の一人。
黒城から帰ってきたクシャトリアはひたすら震え怯えていた。
話せるようになるのですら時間がかかり、ようやく口を聞いたと思ったら黒城に媚びへつらうとも取れるようなことばかり。
「びびるくらいで丁度いいのだ。アドリアーネの冒険者たちからも逃げて生活しているだろう?警戒は大事だ」
本心としては、びびるどころの話ではない。もう全力で全てを捨てて平野からすら離れたいところだ。
だが、一度築いた縄張りを出て他の魔物の土地を侵略するのはあまり進んでできる行為ではない、セントールはそこまで魔物の中の上位者というわけでもないから。
弓と剣が使えるというだけで、種族的な特徴はあまりないのだ。それに構造上、背後が弱点となるし、生きていく難易度はそれなりに高い。
他の場所へ移って生活するのもいいが、冒険者にばったり出会ったりしたら仲間が死んでしまう。
見通しのいい平野に住み、敵影が見えたら早めに迎撃、そして撤退を繰り返す。ほとぼりが冷めたら元の縄張りへ戻る。
それがセントールの今までの生き方、それに先祖代々続くこの周辺の土を手放したいと思う者はいない。
仮に移住を提案したら即座に族長からおろされてしまうだろう。
それほど他へ行くというのは首を傾げる決断だ。
そうなったとしたら黒城へ乗り込んでいこうという案が出るかもしれない、それだけは絶対にありえない。
ゆえにクシャトリアは恐怖を押し殺し、必死に我慢をして言いくるめ、自分へ恐怖を植え付けた黒城の付近に根をおろすしかないのだ。
仲間は知らないから。
黒城の恐怖を。
言って聞かせたら必ず臆病風に吹かれたと言われるに決まっているから、伝えられもしない。
「それに族長はなにしにいったんですかね、警戒網の連携も取り付けられないで、居場所だけ確保するなんて……良いように話を進められたというか、居場所くらいはくれてやるとでも言われたみたいだ」
(そんなことを言っている奴が居るのか?、暫く戦っていないから誰が一番強いのか忘れたか。この私が話に行ってこの場所の安住を取り付けたのだ。文句はないだろう?)
安住なんて。どれだけの嘘を重ねるのだろうと自己嫌悪に陥るが今は群れの中で問題が起きないようにしなければならない。
「いいか、文句のあるやつは全員ここへ集めておけ。私が直々に――」
「うまくやっているかしら?様子を見に来てあげたわ」
「いっ、え……あ……を、あ……」
……私は相当酷い顔をしているのだろう、目の前にいる、今命令を下そうとした男の顔が引きつっている。
ああ、羨ましいな。お前はこの声の主の本当を知らない。私は知っている。恐怖の牢獄に一生閉じ込められたままこれからを生きるのだろう……。
隣に、いつの間にか……本当に気配も何もなく表れた、恐怖の体現者。私に弱者の首輪をつけ、視線だけで逆らえなくした女。
「ど、どう……し、したの、……だ」
……どうしたのですか、そう言えない今の立場を解ってください。と見たくもないが……それを目で訴えるために、仕方なく横を振り向く。油の無いブリキのおもちゃみたいに首がなかなか動かない。
数秒はかかっただろうか?、ふりむいた先には、昨日と変わらない妖艶な女性が居た、そして……。
「……ひぁ……あぁ…」
「あら?どうしたのよ。そんなに震えて……ただ、労いのために肩に手を置いただけよ。なにもしやしないわ……うふふ。それじゃ、またね」
……もたなかった。だって仕方ないだろう?、視線だけであれだけの死を教え込まれて、まだ一日もたっていないのだ。まさか、触られるなんて……敵意が無いことはわかっていても、死が私に触れたのだぞ?これは仕方ないことだろう……。恥だなんて、思わない……。
「………だ、だれにも言うな……」
肩に触れられた瞬間、がくっと足の力が抜けて地に伏したクシャトリアは、そのまま尻を震わせ、盛大に水音をたてて地面を濡らした。馬の尿量はかなり多い。
目の前の男は、突然現れた上に下位種であるハーピィ――ニイアの見た目からそう勘違いしているだけだが――が急になんだと訝し気に見つめるも、今まで慕いついてきた群れの強者が崩れ落ちたことに驚いた。
その前から、声をかけられたときから族長の強張った様な、泣きそうな様な、そんな顔に、震える身体、動かなくなったような首の動きと、まともに喋れない尋常じゃない様子から何が起きてるんだと困惑していたが、それが驚愕に変わった。
肩にニイアが触れた途端、腰が抜けて崩れ落ちた上に人前で漏らしたのだから。
漂うのは尿の匂い。元々のクシャトリアの体臭と合わさって甘ったるくなっている。
「族長……え、え……どういう……?」
流石に、どうしていいやらわからない。さっきのハーピィが何なのだと疑問に思うも、いきなり現れいきなり消える。さらには目の前の族長、と処理すべきだが回答が解らない問題ばかり起きて男はひたすらどうしたもんかとおろおろと辺りを見回している。
「は、はは……少し、力が抜けたようだ。だが心配は、な、ない……向こうに行っていろ」
ここは平野で見通しが良い。だが今は男と族長二人だけなのだ。黒城付近の定住する場所を決めてから、その場所を住みやすいようにひび割れを治したり今日の獲物を狩りに行ったりと他のセントールは働いている。
話があると言って無理矢理時間を作り、定住地からは死角となる黒城の反対側へとこの男は誘っていた。
ただ単に話を聞かれたくなかった、みなが慕っている族長をおおっぴらに批判しているのを族長派の者に見られたら厄介だと思ったから。
だが……。
「族長、人前で……漏らすような人だったんですね、みんなどう思いますかね…?今の、変な奴に対する態度も」
「私は……確かに苦手としているかもしれないが、屈してはいないさ。さぁ、もう忘れろ。私はきちんと群れを守り抜く」
無理して笑みを作る、それを向けた相手の顔は酷く歪んでいた。クシャトリアの状態を楽しむかのように。
強く気高かった彼女の弱い姿は男の心を刺激した。
驚愕は飲み込まれ、蛇が首をもたげるように征服欲が持ち上がる。
「口止め料、もらってないですぜ……おもらしセントール……」
「お、お前……私はっ、お前たちのために、身を削って……!」
その怒りがきっかけに、なんとか立ち上がることができた。後ろ足で地面を蹴って必死に証拠を隠滅しながら、羞恥と怒りで赤く染まった顔を男に向ける。
「よく考えろよ、今の族長の状態がばれたら群れなんて瓦解する。俺たちのために身を削ってきたなら、今回は別の方向で削ってみろよ。約束は守るぜ?、しっかり払ってくれれば誰にも言わない……むしろ協力してやるよ」
黒城外壁の陰に押し込む様に身体を押し付けられ、壁と男セントールの身体に挟まれるクシャトリア。
発情を誘うかのように馬の身体を擦り付けられ、鎧で覆われていない腰の部分を撫でまわされる。
「やめろ!、私は……族長だ。武で群れを守る……それだけだ」
だが群れ一番の強者は伊達ではない、押し付けられた身体を押しのけ、逆に相手を転倒させる。女として良いように使われそうになった怒りがその身体に力を取り戻させる。
「いってぇな……族長!!、なんでこんなことを!!」
倒れ憎々しげに見つめるも束の間、自分のものにならないと判断した男は大声を張り上げ痛そうに顔を歪めて地面で苦しみだした。
「なに!?、私がなにをしたというのだ!」
長い金髪を振り乱して慌てる、そんな大声を出すなと。
だが族長の想いに反して騒ぎ出す男の声を聴きつけ平野に散っていた群れが駆け付けてくる。
「ひでぇよ……いてぇ……」
駆け付けてきた群れの仲間たちに苦し気に助けを求める男セントール。
「き、きさま……」
……何故だ、なぜこんな仕打ちを受けなければならない?、私は今まで……必死にやってきただろう。それゆえに、この恐怖を……この身に受けることになったというのに……!
「族長がご乱心だぁ……黒城の奴が現れたとたん、漏らして怯えて服従してやがった……しかもそいつの言う通りに俺を突き飛ばして……」
集まってきた群れの者たち。野心派は疑うことなく男の言葉を信じ騒ぎ立て、煽る。
中立の者は辺りに立ち込めている尿の匂いに顔をしかめ、疑いの目を向ける。
族長派の者はクシャトリアに寄り添い、擁護の言葉を張り上げているも語気は弱い。
「待て、待って……聞いてくれ、私は確かに黒城の住人に恐怖しているが……あれはとても別格過ぎるのだ、殺気を当てられ、萎縮した……だが、群れを守るために必死に黒城付近に住むことを取り付けてきた。
それに臆してはいるかもしれない、だが――」
「臆病者に族長など務まるか!!、小便垂らして媚びるような女には群れは任せられん!!」
必死の言葉に帰ってくるのは怒号と混乱。族長が群れで一番強いのは誰もが知っている。そんな族長が怯えているというのが事実とは、黒城への敵意が高まる、安住の地と教えられた黒城付近は本当に安全なのかと、疑惑が持ち上がる。
中立派も、誇り高いセントールなのだ。敵に怯えるような者を擁護はしない。
「え……」
側近含めて数人以外、自分の側へ立ってくれず。族長としてまとめてきた自分に対立するようにたち視線を送ってくる群れの大多数の者たち。この現状に言葉が出ない。
守ってきた、仲間から浴びせられる疎外感に耐えきれない。
「そうか、解った……。私は族長を降りる、今まですまなかったな…」
たった二日の出来事で、今までの積み上げた信頼と歴史が崩れてしまった。
魔物にとっては珍しいことではない。トップは常に変わる、ケガや力の変動で。
セントールはプライドの高い生き物だ、トップが怯えているのを許すような種族ではない、それが今までずっと自分たちを守ってきた存在だとしても。
「さようなら……」
クシャトリアは群れを去った。理由は二つある。
一つは、クシャトリアが結局は力があるだけの娘だったという事かもしれないが、今まで守ってきた者からの非難が耐えられなかったことと、そんな皆をこれからも群れとして受け入れるのは無理だったから。
そして二つ目は、あのままだと必ず、近いうちに黒城へと押しかけると思ったから。
そうならないように、クシャトリア自身がストッパーとなりうまくやっていくつもりだったのだが、族長でもないのならそんなことができるはずもない。
「なんとも脆く儚い種族に生まれたものだ……」
クシャトリアも、その父も、祖父も、人間とのハーフであった。そのため多少元来のセントールより感性が違うのかもしれない。受け入れがたい手のひら返し。
「だが、私はここで終わる気はないぞ……。尊敬する父のためにも、生き抜く。私の支えは今は亡き家族と、我が身に残してくれたこの武力のみ。
ならば……!」
失うものは何もない。群れという枷は無くなった。
このまま単騎で平野を彷徨っても他の魔物になど対応できない、他の群れに入るのも縄張りが近すぎて今の群れの様にうまくいかなくなるはず……。
「彼方殿に、用事があるのだが」
……私は再び、黒城の前に立っていた。今回は一人だ。
あれから夜になるまでの猶予の間、いろいろ考えたが、やはり私に残された道はこれしかないようだ。群れに戻る事は考えられないし、戻ったところで慰み者にされるだろう。
魔物の世界は厳しすぎる……。他の魔物はどうなのだろうかな。
とりあえず道は決まった。
今日の門番はここらじゃ珍しい鬼の様だ、頭に深紅の短い角が二本生えているのが見える。服装も珍しい……。
「そのようですね、ではどうぞこちらへ」
「うむ……」
今回は、用件を聞かれることなく、すぐに通してもらえたクシャトリア。
その理由が、門番が違うからではない事を、なんとなく察しながら。意志ある瞳と覚悟を決めた顔つきで、前とは理由の違う悠然とした歩みで城へと入っていった。
――レイドアース。
「現在、知っての通りエアハートは手薄となっていますの、今こそ攻め落とすための足掛かりを作るべきですわ」
レイドアースの現国王は、女王。シャルロッタ=レイブンである。
「なるほど。本格的に攻め入ってはその隙をキャヴァリエに襲撃されるやもしれない……そのため、まずは傷口を広げるための攻撃を仕掛けると。その程度ならば我が国の防衛をおろそかにしないままにエアハートへ着実にダメージを与えられるというわけですな」
此処は中央塔上部に作られた会議場。
こういうところへ来るのは嫌がるシャルロッタがわざわざ足を運んでいるのは重鎮達の意見の統合を行い、この機を逃さずエアハートを手中に収めるための第一歩を踏み込むためである。
シャルロッタの提案に多くの大臣が頷き、同意の声を上げる。
それもそのはず、この国、大体は女王の一声で決まるのだ。
レイドアースの実権は前にも言った通り、オルソなどの所属する研究機関と女王が握っている。
他の大臣達はほぼ傀儡といってもいいほどに機能はしていない。
野心溢れる女王の我儘に今まで振り回されつつも国が大きく発展してきた。
なにより、レイヴン家に逆らえる者など存在しない。
シャルロッタはいかにも王女様然とした姿、フリルのついた扇子を常に持ち、ふんわりと裾の広がったスカート。頭には小さな王冠を被り、後ろに膨らんだ髪は何本もの金髪縦ロール、赤い瞳のつりあがった切れ長の眼を持つ。
「ええ、そうですわ。エアハートは愚かにも二つ名を一人死なせた。操積のジャニーヌはレイドアースからの侵攻を防ぐ防衛役を担っていましたわ。あの希少金属の壁を即座に作り出す力はとても厄介でしたけれど、もう居ない。
なれば今こそ攻め入るとき……なのですけれど、いまいち判断に迷っていますの」
どよめきが広がる。王女は大体決定しか口に出さない。珍しく判断を決めかねている、しかもそれを口に出すという事は集めた大臣達の意見を聞こうと思っているという事、かなり珍しい出来事である。
「それは……一体、どのような?」
「黒城に住まう、シャルマータ。その一団の変態する化け物レイナス、そして恐らくシャルマータの中の誰かからスキルを付与されたクラッドという男。
考える材料が多くてちょっと面倒になってますの。
クラッドは我が国の手中にありますわ。
シャルマータというのは知っての通りガムザ平野の真ん中付近に黒城という拠点を構えるアドリアーネを陥落させた化け物集団の呼称。
さらに我が国に移住の誘いを出したところ使者が殺されたみたいですの」
ううむ……。と唸る声が四方から聞こえる。
シャルマータの黒城はその位置がガムザ平野のほぼ真ん中、それはつまりガムザ平野を囲む様に位置する人間三国のどれとも同じ距離を保っている。
急になんだかよくわからない物が平野に立っているが自分の土地じゃない、わざわざ調査に行くほどの手間を省く理由もないし、重要そうな、金になりそうな遺跡でもないので放っておこう。
それが大まかな放置理由である。
ただエアハートは黒城設立前から不運にも関わりがあるので他の二か国とは違うが。
そのような理由で今までその存在は認知され、危険視されていたりもするが静観されていたのである。
「使者が殺されたと、それは通常なら宣戦布告。攻め滅ぼされても仕方のない行為ですが……」
「しかし、シャルマータの化け物はなかなかの不死性を有していて変態能力も目を見張るものがあるとか、そこに利用価値を女王様は見出しておられる……」
「その通りですわ。ですから目標はシャルマータの戦力を手にすることと、エアハート……アドリアーネをさらに壊すこと。
それらを達成するために、黒城の扱いをどうするのかという事ですわね」
「ふむ、使者をもう一度送ってみますかな?、相手の思惑が解らないのでは手の付けようがありませんからな」
「また殺されたらどうする。次は貴殿が行って下さるのか?」
「次は……少し前に拾った男を使ってみましょうか。それならちゃんと返ってこれるでしょう。やはり大臣では武力がない、役に立ちませんわ」
役立たず扱いされても誰も顔色を悪くはしない。その光景が女王の権力の裏付けである。
大臣達もそんなくだらないことで反応して自分が遣わされ死ぬのは御免なのだ。
「それでは、菅原真と雷獣を黒城への使者として遣わす様に。エアハートは私が見繕って送り込みますわ」
国を攻撃するという大事を、気軽に個人で決めるという女王、これが今まで通りの光景であり、いつも通りの事であった。
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