第六話 影響


 ――木々生い茂る、豊穣の森グリム。


「まだ、まだよっっ!!」


 まだトリノのハーピィ種が存命だったころ派遣された偵察隊のリーダー、キルシー。アニマの力に魅せられ、ハーピィ種の崇める神〈神翼〉であろうと決めつけ、偵察の任と共に同胞すら捨て置き、偵察と称してアニマの後を追っていたキルシーであったが見事に頭上を通り過ぎ、マンダルシア湖の奥に広がる山々をどんどん奥へと進んで居た。当然ラツィオから離れる様に進んでいるため、進むほどに凶悪なモンスターの跋扈する地に足を踏み入れることとなる。

 

「はー…、は、っ……ふ、うぐ…」


 そこまで強くない種とはいえ群れることにより安寧を得ていたハーピィ。危険地帯での、ましてや単独での生活の仕方、休息の方法など知りもしない。重ねて偵察専門に育ったため狩りの仕方も覚束ない。細かいことで躓く。そんな毎日を送り続け、今日もまた敵対した事のないモンスターと遭遇する。


「ニワトリが……!!」


 人よりも大きな体躯に赤い表皮、武器は持たないが、かなりの基礎能力とパワーを誇る、頭に角を生やした、鬼である。ハーピィと鬼、鬼はその眼球すらそこそこの硬度を誇る。ハーピィの、他モンスターと比べてただ尖っただけの爪で傷を作れる部位は鬼にはない。キルシーの爪は鬼に届いてはいるが、その表皮を撫でているだけ。鬼の拳や蹴りを避けつつの攻撃では傷を負わせることすら難しい。


「ふ…。うぁ……は、ぁ、右、左、避けて……、逃げ、るっ」


 この森に来てから、キルシーは飛ぶことを諦めていた。ただ飛行できるだけの羽の機動力では飛んだら一撃で殺される。避ける事はできない。人間種より強靭なその両脚の足先、踵にそれぞれついた爪で大地を掴み、蹴り、相手の動きを必死に読んで躱し続ける。逃げに徹する。と言っても攻防や逃走の最中、敵の攻撃に当たってしまうこともある。キルシーは既に左腕の羽はすべて削げ落ち、右腕は肘から先がなく、両手の爪は全てが欠けるか千切れ、左足首から先は長い葉が包帯代わりに巻かれ失われ、常に血が滴り落ちるほどに全身は傷ついていた。心臓の鼓動に合わせて傷から溢れ出る血液、そんな見ていられない程の重傷でも魔物の世界ではちょうどいい獲物にしか映らない。不幸中の幸いのようなものがあるとすれば、ここが豊穣の森だという事。数多のモンスターが巣食うこの森だが、食料を果実や木の実に限定すれば困ることは無い。何か見つけては運任せに口にし失った血液を補充するのに最適な果物や、傷から腐敗や病原菌を防ぐのに役立つ果物。必死に頭に刻み込み、知恵をつけ、しかし少しずつ身を削りながら生き延びている。

 キルシーが生きていられた理由は、なによりその原動力、意思の力、思いの強さにあった。どれだけ体が傷つこうが失われようが、あの日焦がれた、追い求めると自分に誓った。自分と種にとっての神、〈神翼〉……その実態は勘違いされたアニマ、龍人であるのだが、そうと信じて、突き進む。

 犠牲にしたものは自分の肉体だけではない、肉の盾にしたわけではないが偵察隊の面々は全員死んでいた。グリムにくる以前の森で既に敵の牙に屠られたのだ。


「思い返せば可哀想かもしれないわ、けど私は神翼様を諦めない、出会った時にはあなたたちの名前もお伝えするわ」


 心は痛まない。神翼を追うと決め、一心不乱に突き進んできたから。


「生き残りたいと考えたら負ける……、私は会いに行きたい、この生が尽きたなら……幽霊種になれるかしら、そうしたら死んでもまだ追える……」

 瞳に狂気を携えて今日もキルシーはひとり更なる強者の園へと歩を進める。同胞が残らず死滅した今日もまた。









――大都市ラツィオ、中央塔、会議室。鳥龍大戦、同日夕方。


「なにをしていたーーー!!!」

 怒号が空気を割り、振り下ろした拳が机を割る。


「敵の一派と思われるエンビィと名乗る剣士に遭遇しまして、交戦しておりました」


「はーー……役立たずどもが。騎兵団を率いる団長副団長合わせて独断専行とは……。それとその事実も隠せ。お前ら二人がかりで敵の一人も倒せんというのは士気に関わる。しかもアルマンド、お前、儂のやった剣折られたそうだな。替えは自分で調達せい」


 ラツィオは駆け出し冒険者の街という色が濃い。それは立地条件だけでなくラツィオのトップが騎兵団総司令官だからだ。先日辛くも痛み分けたアルマンドとレザーズの二人は都市周辺の状況が落ち着くと同時に呼び出しをくらっていた。作戦会議も兼ねている。

 騎兵団総司令シュトルンツォは顎鬚が濃い代わりに頭部に頭髪の無い筋肉質の巨漢の男。そこそこの年齢である。口は悪いが嫌味ったらしくはない、冷静に考える頭と都市のためを思い行動する熱血さを併せ持つ人物。


「よろしいでしょうか、現在の状況を整理いたします。まず一番被害の大きいマンダルシア草原とその湖はご存知全壊……というよりは消滅。元の大地よりちょうど湖の底と同じくらいの高さまで森林地帯前までの大地が削られ低くなっています」


「さらに山岳地帯トリノの山々も吹き飛び平地となっています。そしてこの都市ラツィオの被害ですが……、湖とトリノ方面の二つの城門は半壊しましたが、それ以外は全くの無傷です、都市民にも被害はでていません、以上」


「トリノの山々は吹き飛び、湖は消失、その力の源はトリノと湖の間で戦っていた龍人と思わしき少女。トリノと湖の間にあるこの都市は魔導隊の結界で守られたため無傷と……」


 事務官の報告に呟き整理するシュトルンツォ。本来はハーピィの大規模術式を見据えての結界であったが思わぬ形で役に立った。結界は当然継続中、さらには都市の警戒を最大に引き上げいつでも応戦する準備ができている。あくまで応戦だが。


「目下の問題は……ありすぎるな。第一に龍人一派を討滅するとなると、この都市で戦わねばならん、草原がくぼんでいるからな。まともに歩けんわ。加えて戦力の問題。そして第二に、その一派はどこへ消えた?、第三に、都市周辺復興のためのあれこれか」


 龍人少女アニマとエンビィが出てきたのは、ある日草原にいきなり建っていた白い洋館であるとアルマンド等の証言により判明している。その洋館をちょうど訪問していた湖偵察隊のリーダーからの報告によれば、開いた玄関からは複数の人影が見えたとのこと。そのため龍人一派と仮称している。

 先日起きたハーピィとアニマとの闘い、鳥龍大戦とラツィオでは呼ばれている。その際、ハーピィとの対話を試みたラツィオの交渉人の不可解な死、それを受けて観測隊に周囲を調べさせたところ洋館を発見、さらにはその屋上部分にて六人の他種族一派を視認。あの大戦の中、逃げもせず眺めている異常さに関係性を疑い観察を続けたところハーピィ全羽全滅の確認と共に龍人少女が屋上の怪しい一派に合流。仲間と断定し詳しく情報を集めようとするも術式妨害を受け、その後の経過は不明。安全確認後、広範囲を調査するも洋館もエンビィも龍人合わせた八人のいづれも見つけることができなかった。そのため全城門に兵を配置、連絡体制を整え町中も警戒網を強いている。


「儂の見立てではその一派……龍人を筆頭としたパーティだろう。恐らく最後のハーピィを全滅に追い込んだ一撃はそうポンポンうてるものではない。そして洋館の上で見ていたのはリーダーの活躍を眺めていたのだろうな。最後の一撃で一時力を蓄える必要ができた龍人は配下と共に姿をくらまし、時を稼いでいるのだろう」


「実際に戦ってみた感じ剣士の実力は龍人よりは下だと思います。まぁ当然の事かと思いますが」

 

 当然、という理由の根拠は世界的に周知である。人間が全種族のうちかなりの下位種であるからだ。だいたい2クラス程度離れたら歯が立たないと考えていい。ハーピィは人間種より1クラス上の種である。採取専門の冒険家エルンターや、知識を求めて旅する冒険家ヴァイサーらの見聞を集めたうえでギルド系列の専門協会が公式に区分け本を出版している。その差を覆す要素もあるがそれはまた今度のお話し。


 さて、脳筋なりに感じたことを述べるアルマンド。副団長レザーズは黙って考え込んでいる。内政担当者やギルド長など本来呼ぶべき会議ではあるが防衛や整備のためあちこちへ奔走している。現在会議室には記録兼報告事務官を含めた四人のみ。1人が押し黙り一人は口を出す身分でもないため、騎兵団長と総司令の二人で話を進めている。


「この都市内へ潜入されているということはないのでしょうか?」


「都市全域に探知魔法をかけ続けているが今のところ反応はない」


「そうですか……。総司令、もし奴らが再び現れ戦うとなれば私ではエンビィを倒すので手一杯です、友好都市に応援を要請するべきかと」


「友好都市の前に伝手を頼ろう、このラツィオ出身のランク後半の冒険者と二つ名を呼ぶ。二人程な、一人は連絡がついている。儂の知り合いの巫女を呼ぶ」


「み、巫女様!?明らかな過剰戦力です。気配を感じて周辺の魔物が殺気立つのでは……。二つ名が来るのは安心、というより二つ名だけで十分かと……」


 ふぅ……、と会話を聞いていたレザーズは考え事にしかめた顔を和らげる。懸念していたことはどの程度の戦力を揃えられるのかという事だ。敵の情報もろくにわからない現状、総司令のいうランク後半が複数、更に二つ名が来れば申し分ない戦力。流石に〈龍殺し〉を呼ぶことはできないだろうが心配はないだろう、金髪の剣士エンビィをアルマンドと自分で押さえ、その間に二つ名に龍人らを討滅してもらえばいい、巫女様については総司令の人徳のなすところ、本来呼べるような存在ではない。アルマンドの言う様に周辺の魔物がどうなるかだけ不安だが。とレザーズは考える。

 都市規模での探索をかいくぐり消息不明のままでいられる、剣士の不可解な剣技、龍人の一撃も見たことは無い。不安要素は多い。そもそも龍人などここらの都市群に居るような存在ではない。懸念事項は数あるが、ひとまず二つ名級の冒険者を呼んでこれるのだから大丈夫、という安心感のもと、会議は締めくくられた。



 二つ名。ランク1~10の冒険者と一線を画す実力の持ち主でスキルや実績、経験などを基に総合的に判断され、偉業をなした者に贈られる、人類からの祝福。ただ熟練ならなれるというわけではない、真に格が違う実力者に与えられるものだ。そしてその二つ名、ただの通り名や通称ではない。かつて脆弱に過ぎた人間種の身を案じた神によって魔法が行使可能になったように、人間種の希望という意味を込めて贈られるこの二つ名には、種の神からの加護が含まれている。授かると同時に加護を得、いわば超人というくくりへと強化される。神の使途とも呼べようその存在には絶対的な信頼が置かれている。

 


 

 

 ――鳥龍大戦、その数日後のラツィオ。



 ギルド集会所。普段通りであれば迎える側の立場であるはずのその女性は逆に、集会所酒場に集う冒険者たちから迎えられていた。


「なんの呼出しだったんだー?文句つけられたなら俺たちにいえよ、騎兵団なんか目じゃねぇぞ!」


「大丈夫です、ありがとうございます……!うふふ」


 質問攻めに遭い、若干疲れ気味にではあるものの、いつも通り受付嬢として受付へ立つ。

 数刻前、ギルド上層部から通達があり、今回の鳥龍大戦に関わった者が数日前に冒険者登録をしていることが発覚、その情報を持って当時受付した者が騎兵団との情報共有をはかりに行かされたのである。大した情報は全くない。むしろ受付嬢の方が情報を得てほくほくしていた。


「スキルシリーズ〈聖骸〉所有者。二つ名〈巫女〉のソフィア=グレーマン。人間にして多数の加護を受け、種族的に進化したと認められた存在。その種格は超人を超え、聖人認定。……人間種の誇る超絶戦力がこの都市に……一目見たいです……!」


 でも巫女様戦闘はできないですよね、人海戦術前提?、などと考えつつ巫女様の来訪に合わせて城門まで出迎えようと内心画策する受付嬢であった。





――半壊した草原方面とは反対に位置する城門付近の宿屋。



「危なすぎんだろ……あのままトリノで寝てたら死んでるとこだ」


 とある宿屋、元盗賊の、さらには生き残り、現在冒険者ランク2のクラッドがぼやく。登録を終えたその日に簡単な依頼を達成、低い階級のため簡単に上がった冒険者ランクだが自分の夢を叶えている、という実感を得られて満足していたのも束の間。警戒警報が鳴り響き、都市中が騎兵団と、冒険者だが緊急時の招集に志願した臨時兵団で溢れ、低ランカーや一般都市民はあまり外にも出られない、そうこうしてるうちにハーピィの大群が見えたと思ったらそれごと含めて草原も山も消えた。困惑しながら不安で出向いた酒場では二つ名が二人も来訪するらしいという噂で持ち切り。しかも片方は〈連理〉。クラッドの目指す冒険者像とは離れているが、その名の通り鮮やかな戦いざまを見せつける冒険者の二つ名である。それを聞いて多少の安心を得たクラッドは再び借宿へ戻っていた。


「最近のラツィオはどうかしてた……、始まりの都市とも呼ばれるここは弱い魔物が多く、遠くへ行くほど強い魔物が巣食う。その特異な地理状況を理由にこの街にはたいした冒険者がいねぇ、騎兵団長が一番強いが超人ほどの活躍はできないし、なにより対個スキルじゃぁ戦いには向いても守るのにはむかねぇ。ラツィオが復興するのか一時移民して再興の時を待つのかはわからんが、今回の事でもっと他都市の戦力を回してもらえばいいんだ……」


 クラッドの言う様に、一番弱い魔物しかいないラツィオは好き好んで強い者が住む場所ではない。そんな都市は他にもあるがそういうところの防衛役には都市が二つ名等の冒険者などに直接交渉し、定住、警護をしてもらう代わりに報酬を支払う方式になっている。強くどこへでもいける者の定住という名の拘束にはかなりの金がかかる。そのためラツィオは長年の平和、安定もあり防衛水準を下げて運営されていた。というより誰もスカウトして来られなかったのだ、最弱初心者の街に居座る人間の誇り。そうなるのを好き好む二つ名冒険者はあまりおらず、肩書を気にしない誠実な二つ名持ちはその誠実さがゆえ引っ張りだこで来られない。良くも悪くも最初の都市、そんなラツィオに人間種最強格、聖人〈巫女〉と二つ名持ちの超人〈連理〉が来訪することとなっていた。





――水林地帯サフロン、そしてその果て。


 サフロン。そこは平坦で、ぽつぽつとまばらに木の生える林の様な場所、平坦であるのに一定方向へ細い水流が大地の上を這うようにあちこちに存在する場所。曰く、その水源は〈幻獣種・八海大蛇〉ヤツウミオロチ。世界最強格の種族〈神魔種〉その中の海の神の使いであるとされている蛇である。その神の使いの蛇はサフロンの果ての果て、海の何処かに存在する天水境と呼ばれる場所に、ただ一匹永い時を過ごしている。

 八海大蛇は、見下ろしていた。同胞を無惨に殺され、自分だけ気まぐれに生かされて、助けを求めて彷徨い、事切れた一匹の大蛇種の姿を。見下ろすと言っても目の前にいるわけではない。天水境の湧き出る水に時折何かの光景が映し出される。特に、自分に助けを求めるため天水境を目指し過酷な旅を続けていた水大蛇は、よく映し出されていた。

 その水を通して映し出された水大蛇。とうとう此処へ辿り着くことは無かった。というか土台無理な話だった。過酷な環境を乗りこえる道程もそうだが、なにより幻獣種しか此処へ来ることはできない。

 神の使いという立場、役割上、八海大蛇は迂闊に動けない。同情や悲哀の気持ちはあるが強い者に屠られるのは世の常。それでも放ってはおけない…と、水面に向かって尾を叩き下ろす。広がる水面の波からは、それが収まるまで、水でできた巨兵が生まれ続けた。

 次々に天水境から飛び出す巨水兵。動かすは水でできた体躯、両手に持つは水でできた槍と盾。幻獣種〈八海大蛇〉の眷属が軍勢となって押し寄せる。行く先はラツィオ。道半ばとはいえ命を賭した旅を続けた、二本の歯が砕けている水大蛇の故郷、マンダルシア湖である。


 ……であるが、その湖、今は既に消えている。

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