第54話 紅鸞

 「おや、あんた……もっと怖がるかと思ったのに、度胸だけはあるのね。まだ逆らうつもりだとはね。でも、あがいても無駄よ」

 追い詰められた獲物を前に、傀儡師の娘は切れ味のよい高笑いを放った。人形は相変わらずかたかたと音を立て、振りかざした刀は宝余の心臓に狙いをつけていた。


「なぜこんなことをするかって?あんたを好いていればこんなことをすると思う?決まっているじゃないか、殺す以外に理由でも?」

「だから、どうして私を殺したいの?とにかく理由を聞きたい。――もしその答えに納得できれば、私はあなたに殺されてもいい」

 紅鸞はぺろりと唇をなめた。

「いい覚悟ね。――これからすぐにでも死のうというのに、なかなか大したことをいう。殺しがいがありそうだ。なぜ殺したいかだと?決まっている、あんたが死ぬべき人間だからよ」

 柄にまき付けられた鞭をゆっくりと解く。


「第一、どこの馬の骨だかお嬢さんだか知らないけど、あたしの前でお姫さま然としているのが気に食わない。あたしこそ、本当のお姫さまなのに」


 宝余の怪訝な顔を、紅鸞は愉快気に見返した。


「教えてあげましょうか。あたしはね、もとは天子さまと同じ血を引く、傍系の皇族を父として生まれたの。でも父は政争に敗れて流され、私も田舎の村で育った。とても貧しかったけど、両親も揃っていてそれなりに幸せだった、あの頃はね。父親は不思議な能力を持っていて、私にも伝わった。母親は人形を作って鬻ぎ、生活の糧を得ていたから、私も仕事を手伝って人形を遣うことを覚えたの。でも、ちょうど十四になった年、お役人があたし達一家を殺しに来た。理由なんて知らない――父さまも母さまも、虫けらのように殺されたわ。むざむざと……あの力を使えば逃げられたのに、馬鹿な父さま。『人前で使ってはならぬ』という自分への戒めを、後生大事に守って死んでいった。とにかく、両親の遺体を見て逆上したあたしは、小雲を使ってお役人を傷つけ、村から逃げた。逃げ延びて――当時、華を回っていたこの班に拾われたというわけ」


 紅鸞は「はっ」と吐き捨てるように嗤ったが、それが自嘲か宝余に対するものかは宝余にはよくわからず、返すべき言葉もみつからなかった。ただ、彼女が自分の正体を嗅ぎ取っていたのか、しばしばあえて「お嬢さん」呼ばわりして憎悪を見せていたのも、これで腑に落ちる。

「…紅鸞」

「でも、そんな昔話をしたところで、腹も膨れやしない。いい?私は天下で最も上手く人形が遣える。この班を底から支えていたのは、芝居ではなくあたしの人形よ。だけど、『選ばれた』のは彼で、私ではなかった。あたしは大班主として華に戻り、家族を苦しめた者達を見返し、一矢報いてやらなきゃいけないのに――」


 宝余はふと、青黛楼の燕君を思い出した。燕君と紅鸞は、確かに高みの身分から落とされたという点で、境遇は似ている。だが、両者では決定的に異なっているところがある。それは、運命といかに対峙するか――。諦観のうちに自らの運命を引き受けた者と、運命をどこかで受け入れられず、憎悪を募らせもがき苦しむ者と。


「班主の中の班主、この天下に存在する、あらゆる国班と雑班の長にして遊芸人達の守り手。もっともふさわしいものが選ばれ、位と御旗を継ぐはずなのに、そうではなかった。貴種の血と芸を持つあたしではなく、芝居と用心棒くらいしか取り柄のない男が次の大班主となる。これはおかしいのでは?そうは思わない?」

「いいえ」

 凛とした否定の言葉が宝余から発せられた。彼女はこれが死を前にした人間かと思えるほど、落ち着き払っていた。

「ふさわしいものが継ぐ――そのとおりであれば、忠賢を跡継ぎに選んだ先代の大班主は正解だったと思うわ」

 それを聞いた瞬間、紅鸞の体内から火花が散ったようだった。

「――何だって?」

 相手の怒りに直面しても、宝余は引き下がらなかった。


「あなたの生い立ちは気の毒としか言いようがないし、たしかに、烏翠で一番の傀儡師です。いえ、この班だけではない、私は諸国の班をあまねくは知らないけれども、それでもあなたが天下で第一の人形遣いであり、誰もそれに異論を挟むものはいないでしょう。でも、それと大班主の話は別よ。あなたは知るべきだった、最も力があるものが必ずしもその地位にふさわしいとはかぎらないことを。貴種の血は、この遊芸の世界に意味を持たないことを。それに、大班主の地位は、あなたの復讐の道具ではない」

「何ですって?」

「班主というのは、大海をいく船頭のようなもの。水夫や乗客の命を預かり、凪の時は風をよく見て進むべき針路を定め、荒れ狂う嵐のときは自分の全てを犠牲にしてでも生還に命を預ける。少なくとも忠賢は、この班できちんと役目を果たしてきた。単に秀でた芸だけでは大班主どころか、班主の資格さえも得られない。ましてや自分の芸を人殺しの道具に遣うなど!」


 相手の眼はかっと見開き、鞭を一度床に垂らした。人形がまたもやかくかくと動き、宝余を威嚇する。


「この――何も知らぬくせに!よそから来て、短剣をちょっと投げられるだけのあんたが、この私に説教を垂れるか!ふん、忠賢に媚を売るつもり?私がそなたを殺してやろうと思うのはね、そなたが死ねば忠賢が少しでも悲しむだろうからよ」

 宝余は一歩も引かず、相手を睨みつけた。


「あなたが私を殺すことはできない。その理由は二つ。わかる?一つ、私が殺されても忠賢はきっと悲しむことはない。いいえ、忠賢は忠賢のままだったら悲しんでくれるかもしれないけれども、もう大班主となれば悲しんではならないから。二つ、私はさっき、あなたの答え次第では殺されてもいいと言った。でも、いまの答えではとうてい納得できない。だから、あなたに殺されてなどやらない!」


 細い鞭がひゅっと鳴り、次の瞬間には獲物の頸に巻きついていた。宝余は自分の頸を締め上げるものに手をかけた。しかし、それは蛇のように絡まったままびくともしない。紅鸞が右手を無造作に動かすと、宝余は床にひきずり倒された。息が苦しく、眼の前が赤く染まる。傀儡師の娘は、歪んだ笑みを浮かべてさらに手元をぐっと引く。


「小雲、こうしておけば次はしくじることがないでしょうよ。さっさとこの目障りな女を黄泉路へと送っておしまい。私の昔語りを聞かせてやった、木戸銭はその命で払ってもらわなきゃね」

 宝余が咳き込みながら見上げると、すでに人形は自分のすぐ近くに浮いており、手中の小刀を振り下ろそうとしている。眼の前に迫る白刃――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る