第3話 酒肴

 貴人の行列が向かう先には五百年の歴史を擁する烏翠の都、すなわち瑞慶府が鎮座している。開国の君がここを都と定めて以来、ただの一度も動座することなくこんにちまで存続してきた。

 北を魁山かいざんに遮られ、蔡河を挟んで南北に広がる城壁のなかは、北側には王宮である瑞慶宮ほか官庁、貴顕の一族が住む邸が連なり、いっぽう南側には下級官吏や庶民が暮らす家々がひしめいている。


 行列の事故があったその前日も、王宮では王室の婚儀の準備に全力を上げ、外朝も後宮も忙しく立ち働いていた。しかし夕方になると、退庁した若い官吏の多くはすぐには帰宅せず、街へと繰り出した。貴族や金を持つ者達は妓楼へ、あるいは寒門の貴族や懐具合に余裕のない者達は蔡河の屋台へと、場所や食事の格こそ違え、そこで話し合われたことは似たり寄ったりのものだった。

 蔡河沿いに点々と並ぶ屋台に陣取った下級官吏は、自分の座る古ぼけた椅子をがたがた言わせ、旺盛に飲んだり食べたりしながら、ひたすら話に夢中になった。中には官服の襟をくつろげ、ほろ酔い気分で高歌放吟こうかほうぎんするものまで出てきた。


「…いずれにせよ、やはり異国からの妃というのは問題だねえ」

 と口火を切ったのは、一団のなかでも最年長格の者であった。

「でも、お話をお決めになったのは宰領さいりょうでしょう?呉一思ごいっしがどうしてあれほど涼の公主にこだわったのかがわからないけれども、あの油断ならない彼のことだ」

 そう言って豚足の和え物に箸を伸ばした男は、後ろからぽかりと殴られた。

「暢気そうにものをいうなよ。あれは話を決めた、というより、向こうの要求を呑んだのだ。何と情けないことではないか、あんな屈辱的な条件で」

「異国の王妃が屈辱的な条件ですか?」

 と、童顔の男が眉を寄せれば、いきなり、隣の一人が激した口調でまくし立てる。


「あのとき、内政があのような状況でなければ、烏翠は涼の介入を跳ね返せた!呉一思、あの弐臣じしん(注1)!我が君の代になれば失脚するかと思いきや、まんまと宰領の地位を守り抜いた。奸物のせいで、わが烏翠はこのような屈辱的な条件を呑まざるを得なかったではないか。呉のせいで国君が涼で人質としてご苦労なされ、あげくに向こうの公主を妃として迎えなければならなかったのだ。しかも、向こう三年は側妃を一人も立てられないという約束までさせられて。しかも涼王――あのいまいまいしい古狸が、今やわが君の国舅こっきゅう(注2)だぞ!これを屈辱と言わずして何といおうか!」


「…といくらここで力んだところで仕方ないではありませんか。涼王にお聞かせできるならいざしらず。私はあなたのように今回の納妃に反対するというわけではありませんしね。ここ数年で外戚のもたらした政治上の混乱や粛清と、異国の狸爺が国舅となる事実を天秤にかけても、どちらがましかわかりはしません。ご安心なさい、いくら涼が烏翠を支配しようといったところで、そう簡単にはいきませんよ」

「しっ。外戚云々と口に出すなよ、不敬を問われるぞ」

「いずれにせよ、俺は楽観しないね。何しろ、今回の納妃にかけては、太妃さまが猛烈に反対なさっていたのだから、これからも問題の火種になるだろう」

「…太妃か」

 居並ぶ人間達の間から、そろって苦笑が漏れた。

「お気の毒だな、その王妃も」

 それまで沈黙を守っていた男がぽつりと漏らし、ぐっと盃を煽った。その一言で、それまで談論活発の雰囲気だった席が何となくしんみりしてしまったのは、おそらくめいめいの妻と姑の仲を思い返し、それを――まことに不敬ながらも――顔も知らぬ異国の妃と、あの手ごわい太妃の姿を重ね合わせたからに違いなかった。


***

(注1)「弐臣」…ふたごころを持つ臣下。

(注2)「国舅」…君主の舅。

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