第12話
翌朝。寝床が変わったせいか、はたまた煩悶を引きずったせいか快眠とは言えなかったが、それでも予定の時間には起床できたようだ。
金烏は気怠い頭を抱え寝台から降りる。
さて、それでは今日を始めるとしよう。
身支度を整えた後、扉を開けると隣室から玉が顔をのぞかせている。
「おはようございます!」
「うん、おはよう」
溌剌そのものと言った表情の玉兎。同じく気力溢れる言葉を返してやりたいところだが、もう少し時間がかかりそうだ。
眠気を逃がそうと目を瞬かせる姉を見て、不思議そうに首を傾げた。
「珍しいですね、寝不足ですか?」
「まあ、そんなところ」
とりとめのない会話を交わしながら廊下を歩くと、官舎の大食堂に出る。
そうして弟と真向かいで朝食を取る頃にはもうすっかり覚醒し、頭も本来のように機能している。
この大食堂を朝に利用するのは二人と同じく官舎住まいのはずだが、その数は疎らだった。
ゆえに、見慣れない新入りの二人の姿は目立っている。徐々に視線が集まってきているのを感じた。
新参かつ若年者という組み合わせでは無理もない。金烏達はそれには素知らぬふりで茶を啜る。
どうせ十日間という限られた期間だ。溶け込む必要はない。それより立ち居振る舞いに不審さが滲むことがないよう気にするべきだろう。
そうこうしているうちに、始業を告げる鐘が耳に飛び込んでくる。
金烏は椅子から立ち上がり両手をパンと打ち鳴らした。
「さて、二日目も頑張りますか」
**
界維鏡の向こうでは赤茶けた空の下、昨日と同様に田児丸が二人を待っていた。
「おう、今日もよろしく頼むわ」
田児丸は片手を上げてそう声をかけてきた。
では早速と、金烏は指導役に本日の研修内容を尋ねる。
「今日はどんなことを?」
「そうさなあ、どうせなら面白そうなやつがいいよな」
しばし考え込んでいた田児丸だが、やがてとある案を思いついたらしい。
二人より先に歩き出すと、身振りでついてくるよう促した。
「面白い仕事、とはどんな?」
内容を伏せられた業務、という状況に興味を隠せない玉兎がこの先輩から聞きだそうとするが、彼は笑って首を振る。
「それは見てのお楽しみってやつだな。きっと驚くぞ」
秘め事めいた物言いに、弟の関心はますます高まったようだった。対する姉の方はいまいちその期待に乗り切れずにいる。
ごろごろとした岩一歩手前の大きな石を避けながら、平衡を保つのに四苦八苦する。
(何か今日はどうも調子が出ないな)
朝の時点で本調子を取り戻したかと思っていたが、やはり感覚が今一つだ。何も失敗しないといいのだが。
「……ふぎゃっ」
そう思った矢先、金烏は何かに顔から突っ込んだ。その何かに弾力があったせいか特に怪我を負うことなく奇妙な声を上げるにとどまった。
自分が正面衝突したのは田児丸の背中だと気づいた金烏は、立ち止まった彼の背後から向こう側をのぞき込む。
「ほー……ん?」
金烏の口から出てきたのはそんな間の抜けた一声だった。
玉兎の声も戸惑いの色を見せる。
「これ、何を作っている最中なんですか?」
玉兎がこれ、と指さした先にあるのは――梯子の架けられた小さい高台に、斜めに板のようなものが立てかけられている――作りかけの何かだ。
その名称や用途などは分からない。物見の高台に形は似ているが大きさが違う。金烏もまじまじと見つめるが答えは見つかりそうにない。
他にも大量の砂が撒いてある、木材で四角に囲った場所など、とにかく一言で言い表すのが難しい。
周囲にはその様々な「何か」を作ろうと、せっせと働いている獄卒連中が見える。
「なにか、修行の道具とか?」
玉兎は自らの経験の中から導き出した答えを口にするが、田児丸は軽く否定する。二人の驚愕を引き出せて嬉しそうだ。
「いいや。これはな、遊びに使うもんだ」
「遊び」
金烏と玉兎の声が重なる。
「そうだ、現世にある、『公園』という施設を模倣したもんだ」
「こうえん」
また言葉が被る。
「公園と一口に言っても色々種類があるらしいが、この形のものは子供の遊び場だそうだ」
遊び場。この言葉のおかげでこの場所の理解がぐっと進んだ。
向こうのあれもこれも子どもたちが遊ぶための道具であるらしい。
「石塔の積み上げが無くなって、何か気晴らしになるものを、って景さんが言い出してな。どんなんがいいか子どもらに聞いてみたら、こんな形になった」
「なるほど、現世のものなんですね」
同じく納得した玉兎が感心しきりとうなずいている。まったく未知であったのも得心がいく。
閻魔庁はたびたび現世調査を行っていると聞いたことがある。亡者の裁きがその時代と照らし合わせて、過不足があれば修正を加えるためだ。
長寿ゆえに時の流れが緩慢な冥界に対し、現世の情勢は目まぐるしく変化する。その変化に対応してこそ十王の裁判は正しく行われるのだという信念に成り立つものだ。
これはその副産物のようなものだろう。金烏はそう結論付けた。
同時に自分は思っていた以上に世間知らずだったらしいと、金烏はひそかに落ち込む。知る機会のなかったものとは言え、形状を見ても判断がつかなかったという事実はそこに存在している。
今、金烏の意識は負の思考に絡めとられていた。
だから、反応が一瞬遅れた。
「痛っ!」
誰かに突き飛ばされたのだ、と気づいた時にはもう遅かった。金烏の軽い身体は呆気なく宙を舞い、吸い付けられるように地面に倒れこむ。
「姉さん⁉」
頭の向こうから慌てた玉兎の声がする。
身体の前面に鈍い痛みが広がる。骨に達するような怪我はなさそうだが、瞬時に立ち上がれそうにない。
そんな金烏の眼前に例の小瓶が見えた。おそらく倒れた衝撃で転がり出たのだろう。
(まずい)
中身の散逸を危惧したがヒビらしきものはないようで、ひとまず安心する。とにかく、誰かに見られる前に回収しないと。
「えっ」
そう思った金烏が小瓶に手を伸ばすよりも早く、誰かがそれを拾い上げる。
次に謎の人物に反応を示したのは田児丸だった。
「あっ、お前、耕太! 何してるんだ!」
金烏を突き飛ばしたと思しき人物――耕太と呼ばれた十五、六の少年はニヤッと笑った。
「ちょっと悪戯」
それきり田児丸たちに背を向けると、電光石火もかくやとという速さで駆け出した。
「ちょっと待て、こらっ!」
金烏は痛みも忘れて起き上がると、その背を追いかけて猛然と駆けだす。背後で制止する男二人の声がするが、構っていられなかった。
あれを持ち去られては非常にまずい、足場の悪い中、金烏はその一心で走った。
しかし、金烏の追跡はそう長くは続かなかった。逃してなるものかと一心不乱に駆けたが、街のような一角に逃げ込まれて、曲がり角を過ぎた後にはその姿を見失っていた。路地は行き止まりであるのに、かの少年は忽然と消えていた。
誰もいない道で、金烏は肩を大きく上下させた。
今までこんなに必死に走ったことはない。無茶をさせた肺が灼けつく様だ。
しかし、全身が軋むようなその痛みよりもなお頭を支配する思いがある。
「どうしよう……」
金烏は呆然と立ち尽くした。
**
とりあえず、冷静になろう。こんな有様では名案など浮かぶはずもない。金烏はゆっくりと息を吸っては吐いて呼吸を整える。
混乱もやがて収まり、平素の状態まで落ち着いた。
しかし、ここから先はどう手を打ったものだろう。
例の小瓶の蓋には一種の
よって、そう簡単に中身が発覚することはないだろう。
開封できない腹いせに地面に叩きつけられない限りは。
しかし、あの少年は何なんだ。掏摸の類とはまた違うような。確か、田児丸が彼を知っている様子だった。そもそもこの周辺のことについても話を聞かなければ。
これ以上ここに留まるよりも、彼に事情を聞いた方が事態は進展しそうだ。
気が重いがいったん戻ろう。
それから、路地から出て来た道を辿り始める。
滅茶苦茶に走り回った気もするが、何とか戻れそうだ。この時ばかりは方向音痴でなくて良かったとこっそり思った。
金烏は早くあの場に残してきた二人と合流しなくては、とやや足早に進む。下手をすると約一名「二次迷子」が発生しかねない。
幸い、あの公園とやらまでさほど離れていなかったようで、玉兎と田児丸はまだそこにいた。
姉の姿に気づいた玉兎が真っ先にかけ寄ってくる。
「姉さん!」
大丈夫ですか、と無事を確かめられたが、ああ、と曖昧に答えるしかない。
遅れて田児丸も傍までやってきた。
「災難だったなぁ。取られたもんは取り返せたかい」
残念ながら、と金烏は首を振った。田児丸は気の毒そうに頭をかいた。
「そうかぁ。あいつはな、耕太って言って、ここは俺より長い古株だよ。昨日話したろう?」
その言葉でそんな存在がいたことを金烏も思い出した。あれがそうなのか。
「あいつを追いかけていったら、向こうの方に街らしき建物群があったんだが……」
「ああ、あそこらは、先々代くらいの河原守がここの子どもら用にと手掛けたらしいんだが、何に使いたかったか詳しいことはよく知らねえんだ」
顎をさすりながら田児丸は続けた。
「活用するのか取り壊すのか、宙ぶらりんなまんまで放置されてるっていうのが現状だな。危ないから近寄るなとは言い聞かせているが……」
「言うことを聞くやつばかりではないと?」
濁した言葉の後を受けて、金烏が口を開く。
「そう言うこった。あの区域に悪戯坊主たちの溜まり場があるとなると、少し骨が折れるな」
あの地区のことに言及すると、田児丸は少々険しい顔で腕を組む。
「何しろ、獄卒である俺らも滅多に近寄らない場所だ。地の利はあっちにある」
田児丸よりも古株だというあの少年が、獄卒たち以上に地理に明るい可能性は十分にある。
厄介なことになった、と金烏は眉をしかめた。熟練の獄卒たちが手を焼いている彼から人知れずあれを取り返せるだろうか。
「ところで何を取られたんですか? 何か小さいものだったようですけど」
玉兎から発せられた素朴な疑問の声に、思考の沼から引き戻される。
まさか、毒殺用の薬を持っていかれたなどと、言えるわけはない。
「なんというか、大事なものなんだ」
そんな曖昧な表現にとどまった。
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