第3話

 翌日、金烏と玉兎は別々の授業だった。金烏は今能力開花の指導を受けている。

 これには事情がある。引き取られた当初、金烏が見せた力が原因だった。

 当時、警戒心も露な彼女は、自分たちを保護しようとする大人たちに対し力を行使した。遭遇した人物たちによると、光の洪水が沸き起こったかと思うと、二人から遠く離れた場所まで飛ばされていたというのである。しかも、二人の周囲には結界のおまけつきで。

 

 その力を何とか再現できないかというのだ。

 しかし、当時の出来事は正直どうにも曖昧で、金烏が行使したとされる力も伝聞された内容でしか把握していない。指導役は当時のことを思い出させようと躍起だが、その成果は芳しくないものだった。

 辛うじて覚えていることと言えば、周囲にいた連中を追い払うこと、弟に危害を加えさせないことないことだった。


「何か、他にきっかけになるようなことはなかったの?」

「心当たりと言われても……」


 指導役の女性は金烏の様子を一瞬たりとも見逃さないようにのぞき込んでくる。

 彼女は金烏に無理強いしないのでさほど身構えずにいられるが、期待に応えられるかどうかは別問題だ。


「そう。じゃあ、またおさらいでもしましょうか」


 小さく首を振る金烏に、彼女はあからさまに落胆の表情を浮かべるが、すぐに気を取り直して言葉を続けた。


「冥界で術体系として最も成熟しているのは全部で三つ。一つ目は周囲の元素をもとに力を行使する術。二つ目は己の体内に巡る氣を使う術。三つ目は強力な道具を媒介にする術。あなたが使った力もこの三つの内のどれかだと思うんだけど」


 そこまで言って彼女は苦悩を表すかのようなため息を一つつく。


「光による結界と空間転移を同時に行使する術なんて聞いたことがないし」

「術の体系が解明されれば、また使うことができると?」


 術理についてはまだ知識も理解も不足している金烏は、慎重に口を開いた。


「そう。それには、自分がいかなる力を用いていたのかを理解するのがまず必要なんだけどね」


 頭が痛むのかこめかみの辺りをもみながら彼女は言う。


「こればかりは他人がどうこうできる問題じゃないから。気長にやるしかないのよ」


 あなたの素質は疑いようのないものだから根気良くね、彼女はと付け加えた。おそらく上からはそれを正反対のことを言われているのは想像がつくが、金烏には解決方法の持ち合わせはない。

 その後はそれぞれの術について講釈を受けて終わった。


 昼餉をとるために食堂へ向かい、途中玉兎と合流した。食事を済ませると午後の授業だ。今度は二人一緒である。

 長廊下を歩いていると、窓から春の光が差し込む。春特有の柔らかな匂いが鼻腔をくすぐる。


「あーあ、外はいい天気なのに、また机にかじりついてお勉強か」


 若干のわざとらしさとともに金烏は愚痴をこぼした。


「本当に日向ぼっこ好きですよね」

「なんか訳もなく安心するんだ。こうふわーっと気持ちよくて」

「ああ、分かる気がします。僕は夜のほうが落ち着いて好きですけど」


 気の緩んだ会話。そんな益体もないやりとりを楽しめるのは玉兎だけだ。

 それ以外とは事務的なやり取りしかした覚えがない。こういう何気ない言葉を交わせる相手のことを何というのだったか、ええと。


「……ともだち、だっけ」

「なんです、いきなり?」


 金烏の独り言を拾い上げた玉兎が訝しげに問いかける。


「こんな風に話せる奴のこと、なんて言うんだったかな、と思って」


 ああ、と納得した玉兎はうなずいた。


「姉さん、友達が欲しいんですか?」


 改めて問いを投げかけられて、金烏は首を傾げた。


「どうかな? 欲しいというか、もしわたしに友達ができるとしたら、どんな奴なんだろうって気になっただけなんだけど」

「ぼくじゃだめですか」


 明らかにしょげた様子を見せる玉兎に慌てて言い添えた。


「だって、玉兎は友達じゃなくて家族だし。気兼ねしないで話せる貴重な存在であることに変わりはないから」


 その言葉で玉兎は気落ちした状態からすぐに脱却した。分かりやすくていいなと金烏は思ったが、口に出さないほうがいいのは明らかだったので、心にとどめておく。


「でも、友達を作るとしたら、ここじゃ見つからなさそうですよね」

「まあね」


 本で得た知識でしかないが、「友達」とはお互いに信頼し合える相手のことだという。信頼するに足る人物がこの邸にいるとは思えない。


(もし、外に出られたら、そんな風に思えるやつもどこかにいるのかな)


 それを目的にしてみるのもいいか、と友達という言葉が新たにできた光に見えて、胸の内をじんわりと満たしていった。


  **


 午後の授業では、金烏はかつてないほど真面目に耳を傾けていた。

 本日の内容はこの世界の仕組みについてだ。

 明日の遠出に合わせて改めて理解を深めさせようという狙いだろう。


 この世界は死者を迎え入れるためのものだ。冥府には十人の王がいて、亡者は順々に彼らの裁きを受けることになる。十王を取りまとめているのが閻魔王だ。閻魔王には他の九王とは違い、もう一つの側面を持つ。

 ここまでは以前学んだ内容だ。


「冥界に暮らすものたちにも生活がある。現世と変わりなく、国府に相当するものがなければ立ち行かない。ゆえに閻魔王たる主上がそれを担っているのだ。裁きの場を閻魔庁、政務の場を冥泉府めいせんふと称する」


 淡々と説明を続ける教師役の声はさらに続く。


「しかし、この二つを主上おひとりで行うのは困難だ。死者の裁きは主上御自らが行う必要がある性質上、政務をとられるには、廷原衆の方々の尽力が不可欠なのだ」


 演説めいてきた声音に金烏はひっそりと息を吐いた。


(あいつらが潜り込ませたいのは冥泉府こっちの方だよな、多分)


 権勢を振るいやすいのはもちろん、廷原衆の影響力が強いのも後者だろう。

 ということは、もう一方には息のかかったものは少ないと言える。これが足がかりにならないだろうか。そう思い至った金烏は、手を挙げて質問を投げた。


「閻魔庁はどういった仕組みになっているのでしょうか?」


 いつになく丁寧な金烏に眉を寄せながらも教師は答える。


「そこまで複雑なものではない。死者が冥府に辿り着き、十王の裁きを受ける。そして、その魂の行き先は六つある。いわゆる六道だな。答えられるか?」

「天、人、修羅、餓鬼、畜生、地獄の六つです」


 逡巡もなく金烏の口はスラスラと淀みない。可愛げのない金烏に教師の苦虫を噛み潰す様は、玉兎が感心に金の瞳を輝かせているのとは対照的だ。

 だが、教師は咳払いひとつで気を取り直した。


「その通り。しかし、六道には例外がある」

「例外?」


 隣の玉兎は素直に疑問を顔と声に出した。金烏もすました顔をして教師の言葉を持つ。


「そう、賽の河原だ。ここは六道の外にあり、親よりも先に死んだ子どもの魂が迎えられる。この子らは十王の裁判を経ることはなく、人道つまり現世に転生する」


 なるほどだから「例外」なのか。


「それでは、そこは閻魔庁の管轄外ということでしょうか?」


 玉兎が行儀よく挙手をして教師に問う。いい反応を得たとばかりにうなずく教師。


「いい着眼点だな。あそこは例外ゆえに王の直属の部署だ。が、大した権限があるわけではない。いわゆる閑職だな」


 金烏は閑職、という言葉に反応する。そんな役職ならば、うまみのない廷原衆の派閥とは無関係かもしれない。金烏は更に突っ込むことに決めた。


「賽の河原の長官はどんな方ですか?」


 この質問は教師にとって予想外にものだったらしく、明らかに意図を探っている。しかし、教師という職務に忠実な彼は少し考えてから口を開く。


「あそこは……ああ、臙景だな」


 臙景という名を口の中で転がした。出口につながる大事な糸だ。たとえどんなに細かろうとも手放さないようにしないと。


「彼は成り上がりで、主上は何かと気にかけておられるが、物の数ではないな」


 どうやら教師は彼にいい印象を持ち合わせていないようだ。悪し様に言われる彼には興味がわくが、まあ、そんなことは会えば分かることだ。

 朧げだった金烏の計画が徐々に形がはっきりしてくるにつれて、興奮で頬が上気していく。

 彼女は教師や玉兎に見えないように小さく笑んだ。


  **


「ふー、さっぱりした」


 今は夕食を食べ終え、風呂上がりの身体を冷ましている最中だった。

 椅子に座って扇でパタパタと顔を仰ぐ。強くも弱くもないほど良い風が頬や額を通り過ぎていく。洗い髪も十分に水気を拭ったのでじきに乾くだろう。

 ついに明日が計画実行の日だ。自分が知らず知らずのうちに高揚しているのが嫌でも分かる。ほんのりと赤い頬が熱いのは、風呂上がりのせいだけではあるまい。


「楽しみだな、明日」


 寝台の上で寝ころんでいた玉兎にそう声をかけた。玉兎は首を巡らせてこちらの方に向き直る。弟の瞳も明日に心躍らせていると伝えてくる。


「わくわくし過ぎて寝坊しないか心配です」


 ふふと微笑む顔は愛らしく。金烏と同じ顔であるはずなのに子供らしさを十分に発揮している。それは金烏が守りたいと思う唯一のものだった。


「じゃ、もう寝ようか」


 燭台を枕元の卓上に置いて、金烏も玉兎の隣に潜り込む。大人用の寝台は小さな二人が身を寄せ合って眠るのにちょうどいい。

 二人はほぼ同時に眼を閉じたが、寝息は一つも聞こえてこない。どちらともなく目を開けてくすくす笑い合った。


「寝られない?」


 金烏が柔らかく問うと、弟は相好を崩した。


「だって、初めて外に出られるのが嬉しくて」

「わたしもだよ」


 秘密の計画のことはもちろん、初めての遠出は、やはり金烏にとっても楽しみだったことに気づかされた。


「ぼくがもっと大きくなって、姉さんを守れるくらい強くなったら、いろんなところに行ってみたいです」


 幼い夢を語りながら、光をきらめかせる玉兎の金の瞳を、金烏は本当にきれいだと思った。

 様々がこみ上げてくる己の銀の瞳をゆっくりと瞬かせて、金烏はふわりと破顔した。


「わたしも。本でしか見たことのない景色を見てみたい。お前と一緒に」

「じゃあ、約束しましょう。はい」


 すいと差し出された小指に同じく小指を絡める。それは大切な相手との大切な約束を交わす儀式だと少し前に読んだ本に書いてあった。

 金烏は契った小指をそっと抱き、今度こそ眠りの淵に誘われていった。


  **


 そして、朝が来た。

 二人とも寝起きはいいのでパチリと目を開ける。日はまだ完全に昇りきっておらず、室内はうすぼんやりとしている。


「おはよう、玉兎」

「おはようございます」


 いつもと変わらない夜明け。しかし、「いつも」とは違うこれからを手に入れるために、金烏は力を尽くさなければならない。


(ここからが正念場か)


 金烏の行動いかんによって全部決まってしまう。ひとつ間違えば何もかも失うことになりかねない。廷原衆は己に逆らう者に容赦はしない。

 弟を「処分」に巻き込まないように、細心の注意を払わなければ。


「姉さん、怖い夢でも見たんですか? 眉間にシワが」


 起床して早々に難しい顔をして黙り込む姉を見てそう解釈したらしい。指摘されて思わず顔に出ていた緊張を解く。


「何でもないよ。少し寝不足なだけ」

「大丈夫ですか?」


 とっさについた嘘に、玉兎は疑うことなく金烏の額から熱を計ろうとする。

 金烏は苦笑とともに弟の手を己の額から外した。


「大丈夫だって。せっかくの遠出なのに留守番なんてしてられないって」


 お前も一緒に行けないのイヤだろ? 尋ねると弟はその通りと頭を縦に振る。


「着替えて、顔を洗って、ご飯を食べましょう。急がないと置いてかれちゃいますよ」


 先に寝台から降りた玉兎が金烏に向かって手を伸ばしてくる。その小さな手をきゅっと握って金烏も飛び降りた。

 自分の手から伝わる命の音と温かさ。それさえあればきっと何でもできる。

 朝の身支度を整え、朝食を終えた後は、いよいよ城へ向かう。興奮が次第に体中に広がっていく。そして、未知の景色を夢見て一歩を踏み出した。

 そのたった一歩が、彼らに思いもかけない変化をもたらすものだと、まだ誰も知らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます